みんな一緒に生きている。

私の家の近くには

色々な生き物がいる。

*最後に虫ちゃんが出てくるので

虫ちゃん苦手な人は注意であります。

 

昨夜、天井にホクロのようなものがついていて

何かと思ってみたらてんとう虫のようだった。

 

今朝起きても天井にいたので

「このまま天井にくっついていても

食べ物がないだろうなぁ。

かといって天井に手が届かないので

外に逃がすこともできないし。

やはり虫取りあみが必要かなぁ」

 

などと思いながら

洗濯物をしたり朝食の準備をしていた。

 

そして洗い終えた洗濯物を干すために

網戸をあけて準備をしていると

何か黒いものが私の目の前に

さっと現れて、驚いた。

 

ちゃんと目視できていなかったのだけど

天井をみるとてんとう虫がいなくなっていた。

 

恐らくてんとう虫は

外に出る機会を伺っていたのだろう。

そして私が窓を開けたのを確認して

外に出て行ったのだろう。

きちんと考えたり見たりしているのだろうかと驚いた。

 

昨日の夜

寝室にアダソンハエトリグモがいた。

この蜘蛛はしょっちゅう現れるので

もう同居人のような気持ちでいる。

 

アダソンハエトリグモは

よく白い壁にとまっていて

昨日もパトロール中だったのだけど

小さな黒い天の汚れに飛びかかった。

恐らく虫だと勘違いしたのだろう。

ただの汚れだとわかると

気恥ずかしそうにすごすごと歩いて行った。

(気恥ずかしそうに、というのは私が勝手につけた

感情なのだけれど)

 

またある日は、

お風呂場の天井にいた。

私はシャワーの水で蜘蛛が落ちてしまわないように

気を使って髪を洗っていたのだけれど

蜘蛛の方も濡れないように

気を張っているような感じがした。

 

そして私が髪を洗い終わるまで

同じ場所でじっとしていて

洗い終わってお風呂場を出ると

すごすごと動き出した。

 

元々私は虫が好きなのだけれど

この家に住んでからというものの

虫にも思うことや

考えがあって動いているのだということを

肌で実感する機会が増えた。

 

もはや道端を歩いていて見かけるような

通りすがりの他人のような存在ではない。

一緒に生きている

相手はきちんと生きている

意思のようなものが

人間のそれとは量が違っていても

存在しているのだと確かに感じた。

 

そして台風の中を過ごして

私は自然という箱の中で

生きているに過ぎないのだな

と思ったり

部屋の中に遊びにくる虫たちを

観察していたりすると

ますます

自分が存在していることは

とても分け隔てがないことなのだなと感じる。

 

そう思いながら生きていると

だんだんと感じ方にも変化が表れていて

 

今日洗濯物を干しているときに

ベランダに小さい蜘蛛が

巣をはっていることに気がついたときに

いつもなら

恐怖と嫌な気持ちになっていたのだけれど

この場所は私だけのものではないしなぁ

なんて思いが自然とわいて

嫌な気持ちにならなかった。

 

「蜘蛛よ、そこに住むことにしたのか」

と思った程度だ。

私は私で、ここで洗濯物を干す。

ただそれだけのこと。

 

夏にはたくさんの虫にあったなぁ。

秋はまた別の虫がやってくるのだろうか。