大変だけど好きなこと。

答えのない討論は本当疲れるけど

ある程度お互いが納得するまで

その場を共有するということは

必要なんだなと思う。

 

去年の夏は本当に修羅の日々だったな。

あれだけいろんなものに揺り動かされることって

ないだろうなってくらい

いろんなものが綺麗に重なって現れた時期だったな。

それで自分の弱さだったり酷い部分を垣間見て、

もっと過去の日記とかを振り返ってると

私ってなんにもわかってなかったんだなぁと思うけど

多分再来年あたりの私が今日の日記を見ても

同じことを思うかもしれないから

それはそれでっと思ったりもした。

精神的なえぐさを去年、一昨年あたりから体感して

自分の中で自分にごまかしがきかなくなり

そこから内省と変革モードに突入して今に至る。

 

「生きることの定義」だったり

「愛することの定義」だったりが

人からあたえられた言葉じゃなくて

自分の中でしっくりくるものを見出せることが

大人の階段のぼるってことなんだろうなって思う。

私は今年その定義がかなりはっきりわかったのだけど

定義がわかったところで自分がそこに伴うかといわれると

全然伴わなくて

わかってはいるけど現状は心もとないまだ子供な自分

という状態。

その時の疲労とか余裕によっても変動するし

でもそれはいくつになってもそうなんだと思う。

そこを自分で自分に許容する事ができない人が

他人にもきつく当たるような人になるのだと思う。

今だって思い当たる節が自分にあるからいうけれど。

本当は急がなくたっていいし

本当は何もしていなくたっていいはずなんだけど

なりたい理想とか、頑張りたいことがあると

ついつい自分に優しくすることが後回しになって

そうなると周りの人にも厳しくなっちゃったりするよ。

そこでまた自分という人間の小ささを

突きつけられるわけなんだけれども。

けれどそれを考えて内省していくんじゃなくて

そういう自分を受け入れて、

かつ人と生きていくという道を

不器用ながら放り出さずにしている毎日の自分に

ちょっと褒めてあげたい気持ち。

音楽でも、私生活でも

随分人と生きるようになったなぁと感じる。