にゅすけの話しをしよう

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不甲斐ない時間を送っている時に、

「こんな状態では会えない」と思う人がいる。

何かひとつ思う通りにいけた時に、

「これで顔向けができる」と思う人がいる。

それが私にとってはにゅすけなんだと、

この間にゅすけと話したら、同じことをにゅすけも思っていたらしい。

 

なかなかお互いがこう思い合える人間関係ってないんじゃないかと思う。

同性同士、お互いを尊敬しながら、

会えない時も思い出しながら、あぁこれじゃ会えない、あぁこれなら自信を持って会えると思いあえる関係を、友達という言葉で片付けられるのだろうか。

 

それぞれの場所でお互いの道を歩みつつ、見守りながら、それぞれ戦いに行く。

 

離れていてもお互いのことはきっと心の中にずっといるのだろう。

辛い時に苦しい時に、誰かに慰められるよりも、

「あいつがいるから頑張ろう」と思える存在に出会える事って、

なんてありがたくて大切なことなんだろうって心から思った。

こんなのどれだけお金持ちになっても作りたくても作れる事じゃないよ。

ありきたりな事いうけれど出会いってかけがえのないものだな。

 

書いててちょっとうるっとしてしまった。

にゅすけありがとう。

君がいたから私はくたばらずにいられる。

天国にいっても漫画書いてね。

 

という感じのしんみりした内容になりましたが存命です!!

にゅすけは存命どころか単行本が発売されてもう生きて輝いてます!!!

ネットでもにゅすけの本を買えるので皆さんどうかお手に取ってほしいです!

面白くてほろっとして思春期特有のお話なので、

主人公と同じような感じだった人もいるのかと思います。

私は音楽以外はぼーっとしてた時代だったのでへんこちゃんとは違うきもしますが。。

とにかく!

「ヘンコちゃんになりたくて」という本です。

ぜひぜひ読んでください〜!

人と人

人間関係ってのは一筋縄じゃいかないものですね

我慢を必要としない関係というのはあるのかな?

一ヶ月に一度会うとか、週に一度だけ顔を合わせるならまだしも、

毎日顔を合わせる関係柄だと、皆どこかで我慢しながら過ごしているのかな、

友達、親友、親、恋人、伴侶、親戚、祖父母、と人にはそれぞれ関係性があるけど、、

と今日話しをしていて思ったりしました。

そして友人に「私も敏感すぎるところがあるから、少しは鈍感になりたいものだよ」と話しをしたら、

「あなたは十分鈍感ですから!」と言われて心外な気持ちになりました。

はて・・。。

 

鈍感の前に、私は根っからの面倒くさがりなので、人間関係の煩わしい話しを聞くと、

「うげ〜。お菓子でもぽりぽりかじりながら歯も磨かないで眠りたいなー面倒くさい」

とか呑気な事を頭の中で考えてしまいます。

 

しかし「我慢」ではないのかもしれないな。

「折り合い」なのか?

いや、こういう微妙なニュアンスは言葉遊びの一種になってくるのでやめよう。

 

人が平和に生きられる方法を考えてみよう・・

まず・・

「1日100人に褒め言葉をいうの巻き」

これはしかも知り合い以外にも言わなければいけないので、

渋谷のスクランブル交差点とかですれ違う人とかに、

「お、おたくのネクタイなかなか渋いですな」と知らないおじさんに言わなければいけなく、

またその話しかけられたおじさんも相手に何か褒め言葉を言わなければならないので、

「そういうおたくも口ひげがたまらなくセクシーですな」

と返さなければいけないのであります。

うーん。しかしこれだと嫌みをいう人が出てきそうな気がするな。。

それもまた面倒だ。。

「全員毎日匍匐前進で歩くの巻き」

これは、駅まで向かう道とかで皆がほふく前進をしなければならないという決まり。

これによって、急いだために人とぶつかり

「何ぶつかってんだてめー!」

「あぁ?おめーがそこにいるのがわるいんだろーが!」

なんていうどうでもいい争いを起こるのを防ぐためばかりでなく、

たくましい肉体美の持ち主が増えるという利点もあります。

でもこれもなんだかピンとこないなぁ。。

女子高生のスカートがそもそもほふく前進するのに危険だし。。

女子高生は反復横跳びにしよう。進まないから!

 

やはり何か褒め言葉を言うのは悪いことではないなと思います。

さぁ、あなたも今日からまず知らない人3人に褒め言葉をかけてあげましょう。

でも私は遠慮しておきます。

 

私は夜中にどうしてこんなくだらないことをだらだら書いているんだ。

眠ろう。