物質と心

この間、車を走らせていた。

夜で大通りだった。みんな結構スピードを出していた。

走っている時に隣の車線に何かがあったのでちらっとみたら何かの死体だった。

 

いつもは「あらぁ。。」と思うだけだったのだが、

その時は結構メンタルが敏感だったのでショックをうけて考えた。

 

その死体は猫なのか犬なのか誰なのかもわからないくらいだった。

血と、雑巾みたいな薄いものが何カ所かにあるくらい。

顔も内臓もなくなっていた。

きっとスピードが出る道でその場に長いことあったから何回もひかれたのだろう。

 

長いことあった。長いこといた。

この違い。

 

その動物がひかれる一分前、鳴いたり走ったりしていたのだろう。

自然に生きて、お腹がへったとか、あそこへ行こうとか思っていたかもしれない。

 

でもひかれた瞬間にその生き物はただの物質になってしまうんだな。

脳みそは不思議だな。

少し前まで温かかったものが、ほんの一瞬でただのものになってしまう。

こんにゃくとか、ペンとか、グラスとかと同じ。感情がない。

動物だけじゃなくて人間もそうなのだから、

自分もいつかただの物質になるんだろう。

 

昔、好きな歌手の詞でこんなものがあった。

「自分が来た道をただ通っているだけのような気がする」

この歌を聴いた時にも同じようなショックをうけた。

 

この先自分が何十年生きたとしても、いろんな経験をしたとしても、

それは全てが喜怒哀楽のどれかにいれられるものなんだろう。

何をしても、その出来事は1つのカプセルの中に入って、

そのカプセルは喜怒哀楽4種類のボックスのどれかにぽいっと入る。

その繰り返し。どんな目標を設定しても、どんな人に出会っても、

どんな失敗をしても、どんな涙を流しても、

出来事の内容が違うだけで結局同じような感情の中でぐるぐると生きていくだけ。

 

それを感じた時に、なんだかとても漠然とした世界に包まれた。

生きていることがとても漠然としたものに感じた。

 

その時のことを思い出したりしていた。

結局そんなことを考えながら、

感性豊かな暇人ということだな。。と思ってふふってなった。

 

大学生の時に先生が

「哲学者は暗いことばっかりいってるけどあいつら運動したらそんなこと考えなくなるからね!部屋の中で何もしないから難しいことばっか考えるんだよ!」

といってたのを思い出す。(世界中の哲学者を敵にまわすような発言である。笑)

 

今に打ち込むことがあり、過去や未来を考える暇もなく、

ただ今を生きて体を動かしていれば、

何かに思いを馳せることもこのように漠然とすることもないだろう。

 

私もライブのことや制作のことに集中しているときはそんなこと考えないように。

 

まぁでもいいじゃないか。

そのやるべきこととやるべきことの間に、

心の隙間に何かを漂わせてそれについて考えることがあっても。

そういうものを咀嚼することも人生の楽しみのひとつかな。

 

すごく暗い内容に聞こえるかもしれませんが、

私はとても元気です。

今日はやりたい事を沢山出来て大満足なのでお風呂に入って寝ます。

ぐない!