芸術の一回性

ついに煮干しに手を出した。

顔とお腹とらないでそのままでいけますと書いてあったので

そうしたけれど

こんなことを書いていいのかだけど

死んだ魚が再び水に浮いてるという光景がちょっと…ぐぅとなった

生物特有の存在感を感じる出汁だった。

味噌汁が合う、昆布鰹はお吸い物が良い。

次は昆布と煮干しのやつにしたらもう少しまろやかになるかな。

出汁で使った煮干しは佃煮にしました。お正月のあれだった!

これは日本酒コースですね。

あと残りは亀にあげた。

 

今日から魔界練開始。今までと少しやり方を変えてみている。

シギの音楽は、今は生み出すとかじゃない部分で超苦戦中。

平行しているんだけど。

苦手なことやってるけどこれを乗り越えられたら

新しい自分に出会える気がしている冬。

結局周りとの試行錯誤や出会いで変わる部分っていうのは

かなり大きいものだと思うのだけど

自分の中に芯や主張が濃く存在しなければ

結果としてそれをやったという実感、実績が残るだけで

それと本当の満足感とは結びつかないなと最近よく思う。

感じるというものを、生身でもっと感じたい。

 

大抵は面倒だし怠惰だし

色々理由をつけて自分はそのままの自分として

可愛がるものなんだけれど。

今の自分でできること、過去の自分が積み重ねてきたこと、

そこから想像がつく曲をかく、ライブをする。

それじゃ何も変わらない。

恐怖感と刺激が存在してほしい。作家は常に。

人生暇つぶしってんならもっと楽しませてくれよ自分、

と自分に言ってるような。感じがする。最近。

 

今日「2話だけでいいから見て!」と勧められみたアニメが

「え!?え!?なんじゃこりゃ!?」と思うような見せ方をしていて

ちょっと戸惑った。戸惑いというのは自分の中での異物、

つまり新しさと同義であって

そういう気持ちにさせてくれる作品を見ると

すっこーんと頭殴られたみたいな気持ちになる。

その作品の斬新さもさることながら

愛してる人を信じ抜く気持ちとか、

傷ついても諦めない心とか、そういうパッションも熱くて響いた。

「シギのアーティストとしてのあり方に近い」と言われてたんだけど

納得した。

 

その後で、その作品を作るにあたって影響を受けた

作家がいるという事を知って

めちゃくちゃ有名な人なのだけど

改めてその作家を調べていたら

「今の世の中にあるような

道徳的だが面白みのない作品に対して不満を持っている」と

話していて、

こういう不満や、自分ならこうしてやるという気持ちが

ぱっと火花のように咲いて

それが人々の心に刺さり、

また斬新な作品として残るのだろうと思った。

 

私は音楽に限らず映画もアニメもなんでも

「私をうちのめしてくれ!」という気持ちをもってみている。

稀に「やられたあああああ!」と思う作品に出会うと

土下座したい気持ちになる。「まいりましたああ!!」って。

いやぁ、すごいっす、自分くずっす。みたいな。爽快感。

今日はなかなかそんな気持ちになった。

自分の想像をこえる作品に出会う体験。大事。

 

脱皮できない蛇は死ぬのさ。

今までの自分に「お前超甘いぜ、もっとすごいぜ今の私」と

言えたら、昔の自分はきっとにやっとするだろう。

未来の私にそんなこと言われたいもんな。

そんな人生が楽しい。

血尿してる場合じゃねえ!

 

魔界は2月16日です!