格好悪くても美しく生きることが格好良い。

最近、とある人の密着取材を見ていて

すごく腑に落ちた事がある。

 

何かが目の前にあったとして、

それに自分が手をかけた瞬間に責任は生じる。

好き好んで責任を負いたい人はいないだろう。

けれど手をつけるという事は

責任にも手をつけるということだ。

 

私は過去に一回手をかけて

途中から「やっぱりやめた」と行動をした事がある。

それで無責任な事をして何人かの人を傷つけた。

色々理由をあげようと思えばあげられるし

自分を擁護しようと思えば

そうする事でもできるけれど

単純に「そこまでして責任を負いたくない」と

感じた結果だったんだろうと思う。私は愚かだった。

過去には戻れないので

その時からやり直すことはできない。

 

何なら責任を負えるのか。

それは自分の好きな(愛する)もの、

好きな(愛する)ひと。

(好きとも言えないのだけど

何故だか)使命を感じるもの。

 

好きなものには自然と使命感がわく。

そして使命を感じるからこそ

責任を負うことも厭わない。

とても単純な話なんだなと思う。

よくいう、好きだけじゃやってけない、とか

好きは仕事にしない方がいい、とか。

 

好きなことしたって嫌なことしたって

どう生きたって面倒なことや大変なことは起きる。

それなら自分が美しいと思う方を

選択した方が良いのではないかと

私は思う。

 

ここで使った美しいというのは

見栄えの美しさではなくて

決して見栄えは美しいとは思えなくとも

心の真っ直ぐ通った、

つまり私の好きな類の話、の美しさである。