怒りや悲しみの扱い方。

十月二十四日。晴れ。

今月は何回か喧嘩のようなものがあった。

ずいぶん自分が変わったなぁとしみじみとした。

昔は人と口論しているとヒステリック気味になったけれど

最近は怒ったり悲しくなったりしながらも

それを眺めているもうひとりの自分がいる。

 

自分の気持ちを意識して観察するようになってから

移ろいゆくものなんだなということがよくわかる。

いつまでも最初の気持ちでいる事は少ない。

あぁ言ったけど、本当はこういう事もありえるよな。

相手の気持ちも決めつけてたけど

本当は違うかもしれないよな。

そうやってひとつの出来事から、

いろんな見方ができる。

 

その見方にどれくらいバイアスがかかっているか

これはかなり思い込みに近い見方だな

これはわりに相手寄りの見方だな

などひとつひとつ見ていく。

人の気持ちは移ろいゆくものだと感じてからは

その時の気持ちを感情重視で言わないように

気をつける場面もでてきた。

今この瞬間、憤慨して爆発したくても

時間は流れていく。

その時の爆発はきっと長く続かない。

その時の気持ちで一回壊したものは

もう戻らないかもしれない。

後悔の方が長く続くかもしれない。

それなら今もう少し冷静になろう。

という自分がでてくる。

この言い方は無駄に傷つけるかもしれないから

なるべくしない方がいいからやめよう。とか。

 

そんな事を書いていると

だいぶ理性的な生き方に思われるかもしれないけど

そんなことはない。

嫌なことも悲しいことも苛立つこともある。

多分私は他の人よりもそういう感情を抱きやすい。

これはもう避けようのない感情なんだなと思う。

避けたら、何かが死ぬように思う。

闇があるから光がわかる。

 

だから心の鈍い痛みも

逃げないで感じてみようと思う。

感じきらないでいると不安や恐怖がうまれてくる。

感じきってみると

案外に受け止められるものだなと

自分に少し自信と親近感がでてくる。

嫌な自分も、逃げたい自分も

ちゃんと自分と付き合ってくれる自分がいる。

理屈や観察の結果よりも

最初に感じた自分の気持ちをまず大切にしてあげる。

そして相手には

最初に自分が感じたことをなるべく正直に伝える。

悲しいとか、嫌だったとか。

「こんなことが嫌だなんて、小さい人間だな。」

「我慢できないのかよ」

そう自分にいってくる自分もいるけれど

そうやって自分の気持ちを押し殺すと

どんどん事態が複雑にねじまがってしまう。

 

だからシンプルに

そしてなるべく早く伝えられるように。

ちょっと恥ずかしくも思うし

なかなか勇気がいることだけれど。

最近そんなことを考えている。

目的は相手を変えることじゃなくて

自分を知ってもらうということ。

その逆も。相手の気持ちを知ることで

それならこう形を変えようとか

この言い方は今後はしないようにしようとか

そうやって相手との居やすい空間を作っていく。

そのためのぶつかりあいだと思うと

すごくいじらしく愛おしいやりとりな気がする。

人間らしいなぁと思う。

自分の形だけを突き通すでも

相手の形だけを突き通すでもなく

伝え合って、試行錯誤して

お互いの形を作っていく。

自分の好きなこと、嫌なこと。

相手の好きなこと、嫌なこと。

なるべく素直に丁寧に伝え合って

その積み重ねで

かけがえのない関係ができていく。

そのためには時間もぶつかりあいも必要なんだな。

 

なんのぶつかりあいもない関係は楽だけど

こうやって自分や相手の気持ちを深く考えたり

学んだりすることも少ないだろうな。

全部の人付き合いでぶつかりあう事はないけど

近しい人達とは

きちんと付き合って形を作っていきたいって思った。

そんなことを思った十月。

絶唱。

後ほど今日のブログを書き直す。

十二月には久しぶりの東京で公演が決定です。

今年は内省的生まれ変わりイヤーだったため

もうこれで良いお年をの挨拶なんて早すぎる。

ぜひ会いにきてください。

出演時間はわかり次第お伝え致します。

チケットはticket@shigi.netまで

お名前と枚数を記入のうえ送信してください。