愛するということ。

一月二十四日。晴れ。

Netflixでアメリカの社会現象にもなっている

近藤麻理恵さんのお掃除番組を見た。

夫を亡くしたことにより

時間が止まってしまった女性の部屋を

片付けるというものだった。

40年経っても変わらない夫への愛に

見ていて胸が苦しくなった。

福厳寺のお坊さんが言っていた。

「愛するということは

そのことから生じる憂い、苦しみ、不安に対して

覚悟をもつということである」と。

愛する人がいるということは

どんなに幸せなことだろう。

愛してくれる人がいるということは

どんなに幸せなことだろう。

けれど愛は幸せなだけではいられない。

もれなく不安も嫉妬も孤独もついてくる。

ひとりでいる時には襲われることのない気持ちに

襲われる。

殺人事件を起こした人が言っていた。

「俺は誰からも愛されなかった」と。

誰かを愛することで生じる苦しみ

又は愛する人を失う苦しみと

誰からも愛されない人の苦しみ。

どちらが苦しいかなんて愚問だ。

どちらも苦しい。

仏教の教えは苦しみからの解放にある。

それほど遥か昔から人は苦しみに苦しめられてきた。

孤独でも苦しみ、人を愛しても苦しみ。

安定を求めては苦しみ、自由の中にも苦しみ。

 

現実にいえば苦しみは幻。手で触れられるものでもない。

それは喜びも同じ。

その手で触れられない、

脳味噌の中のことに人は翻弄される。

全ての事象が表裏一体だとするのなら

光と闇が背中あわせだとするのなら

苦しみの横にあるのは温かい何かだろう。

夜明け前が一番暗いように。暗闇のすぐそばに優しい光。

だからどちらも抱きしめる。

光と闇のどちらをもそばにいていい。存在していい。

邪魔者扱いしないよ。

いたい時にいていい。必要があって現れたのだろう。

愛する人との思い出の品に別れを告げ

新しい人生をはじめた番組の女性。

けれど愛する人との思い出とは別れない

これは誰にも渡さないといっていた。