出会いの一日。

九月十六日。曇り

今日はFM川口でもお世話になって

工藤パイセンにEIRAYさんを紹介して頂き

EIRAYさんの個展にしょへいと共に遊びにいってきました!

場所もさることながらEIRAYさんの世界観が

とても素敵でした。

自由に生を書いて貼るコーナーがあったので

私も書いてきました!

夜ごはんは工藤パイセンおすすめのお店で食べました。

どの料理もめちゃくちゃ美味しかったのですが

特にコンソメスープがおいしかったぁ!

私も個人的に料理や食べることが大好きなので

地元で採れたり栽培した野菜の説明を受けながら

シェフやお店のこだわりを一皿一皿感じて

それを見た目や食感や味で感じられるというのは

とても幸せな時間なんだなぁと思いました。

シェフとシェフの息子さんとぱしゃり。

シェフから「ぶれちゃいけないよ!」と

力強いメッセージを頂きました。

また絶対行きたいー!

沢山の素敵な人との出会いをした一日だった。

 

ものづくり

九月十五日。晴れ

ラジオを録る。

話そうと思っていなかったことを

流れで話し出したら

それが止まらなくなった。

普段の思っていることを話すと

かなり自然体でいられるんだなと

話しながら感じていた。

そういうのが多くなるといいな。

終わったら喫茶店で作詞。

はじめにいくつか言葉を綴り

あんまりだないまいちだなと思いながら

ある一つの文章をきっかけに

つらつらと書き進められた。

他の人の言葉や文章の形よりも

自分の本心から出た言葉は

しっくりくる。

これでよかったんだなぁと

少し感慨深い気持ちになる。

物をつくる事が楽しい。

お茶はじめました。

九月十四日。晴れ

曲の録音を三曲。

集中したので疲れた。

作詞は明日にまわすことにした。

今後のスケジュールを決める。

色々楽しんでもらえそうなもの満載。

これを作りたい!という気持ちが

沢山湧いている。

ひとつひとつ形に残していこう。

お茶をはじめました。

記載できず。

九月十三日。天気不明。

そして行動も不明。

恐らく行動しまくってくたびれていた。

心境の変化。

九月十二日。天気不明。

頭をわちゃわちゃに働かせて大変な一日だった。

自分の中の思いと、

でもまだそれに至らない脇の甘さ。

それでも少し前の自分では

湧き上がらない想いだったので

自分の中の成長というか変化を感じた。

不明。

九月十一日。天気不明。

スケジュールも空白。

一体俺は何をしていた!

自分と友達になる。

九月七日。天気不明

私たちは、生きている間にどれだけ自分の気持ちに嘘をつくのだろう。

そんな事を最近考えた。

本当はやりたくないのに、やったほうがいいからとやり。

本当は面白くないのに、笑ったほうがいいからと笑い。

本当は違うのに、そうだとすること。

本当はしたいのに、しなくていいと言うこと。

こういう事の積み重ねは、確実に自分を蝕んでいく。

「自分が何をしたらいいかわからない」

「何を楽しいか、何が好きなのかわからない」という人は

誰かを愛するよりも、誰かを幸せにするよりも

自分と友達になることをするのが良い。

その友達は、どんな事で喜ぶのか。どんな事が嫌なのか。

シャイだから、はじめはなかなか教えてくれないけれど

のんびりとそばにいてやると、だんだん教えてくれる。

「普通はそうしない」「そんなことしちゃだめだ」なんて

常識の物差しでその友達を押さえつけてはだめだ。

何を言ったっていい。何を思ったっていい。

まずは聞かせてほしいな。

わからなかったら、子供の頃のことを教えて。

本当は何が嫌だったかな。何が幸せだったかな。

少しずつ少しずつ、打ち解けあっていく。

自分という友達。

自分という友達をコントロールしようとせず

正直に、素直に、自由にいさせていたら

少しずつでも、目の前の世界が変わっていくだろう。

自分に用意された世界なのだ、命なのだと

思えるようになっていくのだろう。

どれだけ嘘をついてきたか。たくさんついてきたな。

今までも、これからもきっと、ついてしまうだろう。

人の気持ちを推し量ったり、めんどくさくなったり。

疲れていたり。そういう時もあるもんだ。

けれどこれから先は、そういう時に声をかけてくれる人がいる。

それが自分という友達。

今嘘ついたでしょ。本当にそれでいいの?と

その友達は純粋に声をかけてくれる。

自分の中にいる自然体で無垢な自分と友達になろう。

生きていることがもっともっと素晴らしいと思えるはず。

嵐の去った夜

九月九日。晴れ

めちゃくちゃさぼってしまった。

この後全ての日程を書いて何もさぼってなかったということにしよう。

台風が去り、本日は近所のスーパーでささみがお得だったので

散歩がてら買い出し。

6パック買った。2キロ。

台風去りし後の街並みは

木が2本、根っこからはがれて外にでていたり

屋根の瓦がはがれて消防車が来ていたりと

色々と爪痕を感じた。

 

我が家は、風には怯えたけれど

事前に危ない台風になるかもしれないという情報があったので

ベランダの物干し竿や靴など置いていたものを全て玄関に一時避難。

ドアの前に置いてあった傘や虫除けの置物なども玄関に避難。

お風呂場にお水をため、やかんにも水をいれた。

停電した時のために、ペットボトルにいれた水を凍らせた。

めるちが暑くて大変になることを予想したからだ。

いつか使うかもしれないので、携帯トイレもいくつか買っておいた。

実家を出て初めての台風。

自分で何が起こるかを予想して、できる限りの対策をした。

結果我が家は幸いなことになんの被害もなかったけれど

今も停電にあっている人もいる。

今日は外が救急車や消防車の音が忙しかった。

電気の復旧を夜通ししている人もいることだろう。電車も。

今は、昨日の嵐が嘘かのように静かで、虫の鳴き声が聞こえる。

自然に翻弄されている、という言い方もできるけれど

自然の中に生かされている、

自然の場所を使わせてもらっている立場なんだなと感じる。

生活から学ぶ。

九月八日。晴れ台風

実家を出て初めての台風の備えをした。

実家にいた時は親に任せきりだった。

住むというのは、色々なイベントがあるんだなと

その度に感じる。

そのイベントごとに、自分でどうしたらいいか考えて

周りに聞いたり調べたりしつつ、やってみる。

あぁ、これはやる必要なかったかも、とか。

あぁ、これはちょっとうまくいかなかったな、とか

そういうのは洗濯物ひとつとっても色々出てくる。

そういうものを一つずつ感じて、

じゃぁ次はどうしようかな、もっとよくなるためにどうするかな、

などと考えていく。

これって音楽も全く同じような流れだなと思う。

色々なものが繋がっていて、

別の角度で感じたからこそ、信憑性が高まったり

納得がよりできたりする。

だから、音楽以外でも自分が興味があること

好きなことってどんどんしていきたいな、と思った。

なのでこの日は台風の備えをしつつ

今後趣味にしたいものの買い出しをしたりなどした。

今の君は「なぜ生きているのか」という問いになんて答えるだろう。

九月七日。天気不明。

私は、タイから帰国してしょへいと揉めた。

疲れている中、しょへいが次から次に今後のことを話しだし

私は「ぶおおおおおわあああああああああああああ!!!!」となった。

しかし、今冷静になって振り返るとどちらが悪いわけでもなく

ただ私は疲れて余裕がなく思考回路がまわらなかったことと

しょへいは疲れて余裕がない中で今後のことへの考えを巡らせていたこと

これがただぶつかりあったということだ。

結論。「疲れてる時に無理に考えるのは、話すのはやめましょう」。

だいたい疲れてる時に考えることでろくなことはない。

私は考えることが癖のようになっている人間で、それ自体が好きな人間なのだけれど

時々脳みそを机に置いて脳みそのない体で布団に入りたくなる時がある。

思考というのは恐ろしいものだ。

死ぬことが思考がやむことだと思うと

死ぬということがご褒美のように感じる。

自分が次から次に思考の波にのまれる、それも苦しみながらも欲する時がある。

それでも今は

どちらかというと思考の渦を置いておきたい。

身の回りに流れる無理のない空気を感じていたい。

考えていると、何かをした気分になりやすい。

「なぜ生きているのか」こんなありきたりな問いを改めて今した時に

「結果を出したいから」「満足をしたいから」という

自分への勝利や競争的な考えに最近は至らない。

無理のない自分とは、何者なのだろう。

そんな疑問に手を伸ばしたい、という欲を今抱いている。

そういう事を考えていたら、ブログを書くことが滞った。

ブログを書くことが滞るときというのは大抵

色々なことが自分の中にあふれていて整理をしている時のような気がする。