利用される側であれ。

何かを始めると必ず反省がその次にくる。

ああした方がよかったな

これじゃちょっと甘かったな

それは始めたから体感として認識できたこと。

人から「こうしたほうがいいよ」といわれるよりも

実感が伴う分

何かを始めたあとにくる反省は貴重だ。重さが違う。

想像していた事とやってみたら違っていた

ということも沢山ある。

だからさっさとやってみるというのは大事だ。

 

悩み事を聞いていると

大半が悩んでいるのではなく勇気がでないだけのような気がする。

怖いから勇気がでないからやれない。

でも人の失敗した姿を見ても(やばい失敗は置いといて)

そこまで深刻に感じたりしない。人ごとだから。

でも自分の事になるとどうしても過保護になって動きが鈍る。

傷つかない道ばかりを選んだ方が結果的にダメージがくる場合も

結構あるような気がする。

なぜかというとそのダメージは「後悔というダメージ」

だからだ。

やっちまった失敗のダメージの方が(やばい失敗は置いといて)

広い視野で見た時に、どちらが良いかでみると

やっちまった失敗の方が、体験談としてネタにもできるし

失敗はしたが「やった人間側」に入るので

失敗しても得られるものはあると思う。

 

「何を言ったか」より「誰が言ったか」が大事

というのはよく言われるけれど

私の場合はその「誰が」をどんな誰がに重きをおくかというと

受信者側ではなく発信者側であること

自分から何かを始めた人間であること

そしてそれが継続中であるということ

というものに重きを置いている。

 

私の現在の視点からすると

メジャーというシステムに乗っかっているよりも

そこから外れた場所で動きを始め、作っている人

の方に興味を持つ。

自分もそっち側の人間になりたいと思っている。

 

大きな会社はシステムが出来上がっている。

本当に大変で価値のあるのは

そのシステムを作った人間だ。そしてその数は限られている。

自分が始める、自分が動かす。

こういう自分ごとの自覚を持って生きている人が好きだけれど

けれど勇気が出なくてくすぶっていた時期が

私はトータルで10年近くあったので

そういう時期はそういう時期があったというネタにもなるから

どのみち無駄なものはないと思うし

勇気がでない、不安だからといって

そんな自分を下にみる必要もないと思う。

大事なのはそのうえでどういう選択をしていくか。