完璧じゃなくていい。

パソコンを使った作業をするために

電源のある喫茶店に行こうと思い検索していると

2017年の記事で「なんとここの喫茶店は1つのフロアに

電源が20個もあります!!!」というのが

上位2つ目くらいに出てきて。

それを見て思ったのが

「最近の喫茶店やファミレスは

1つの席に1つ電源が置いてあることも結構あるから、

1フロアで20個でもそんなに驚く事じゃないな」

と思った。

 

話は少し変わり、

HPを作成して困った時に検索すると

2018年の記事で

「これはこのボタンを押すといい!!」というようなことが

書かれており

それを探したのだが、それがどこにもない。

実際はそのあとにアップデートされていて

そのボタンはもう別のものに変わっていた、というオチだった。

 

この2つの体験をして思ったのが

「もう1、2年前の情報は古いのか」

ということ。

よく「思い付いたことはすぐやれ!」という言葉があるけれど

そのことを本当に実感する。

「いや、ちゃんと整えてから」「まだこれが足りないから」と

言っているうちに整った時にはもう遅い、となっている。

 

現在はアプリが良い例だけれど

最初に出したものが完成ではなく

「出した後でユーザーの声などを聞いてから

アップデートをしていく」というのが基本になっている。

そう考えると、アップデートがありきだからと思えば

最初から完璧じゃなくてもいい、と思える。

これがアップデートではなくて成長や改善とも言い換えられる。

やっていれば成長するのだから

成長したあとに出さなくてもいい。

成長した時はした時で、また別の改善点が出てくるから

「何かを完璧にしてからだす」というのはこの時代には

あまりマッチしていないのかもしれないな、と感じた。

 

風のように軽やかな動き方をしていった方がいいのかもしれない。

「しなやかさ」というのはどういうことかというと

鉄のような強いものというのは

固すぎるのでそれに勝る強さのものがぶつかった時に折れてしまう。

しなやかさは強い意志をもちながらも

それに執着することなく、柔軟に対応できることだと私は思っている。

立ち向かうだけではなく、

時には逃げたり避けたりする感覚も

選択肢の中にいれて動けること。

想定外も失敗の可能性もいれた上で動くこと。

もちろん、中途半端で力が抜けていてもいいとはならず

ある程度のブランディングや方角をどうしていくかなどは

定めた上での話になるのだけど。

しなやかさが大事な時代だと感じる。

 

私は完璧主義で鉄のような人間と言われいたし

その自覚もあったので

「まだだ、私はまだまだだ。。まだなんだ」と思って過ごしてたけど

それを言ってるうちに日が暮れるわ!と自分にツッコミが入り

「やりつつもだしつつも」を心がけて生きる形に変えたら

なかなか風通しの良い体感がしている。

私の中に「ちゃんとやりたい」という気持ちと

「そっこーでやりたい」という気持ちが同居しているので

今はそっこーモードに7くらいの軸を置きつつも

ちゃんとモードを3くらいの割合で使って生きていく

という感覚で生きています。

アディオス。