「その行動は自分に対して誇れるものなのか」

伊藤詩織さんのニュースを見ていて

ひとつどうしても違和感に思ったのは

山口敬之さんサイドが言っていた

「被害者が笑うのはおかしい」という内容の発言。

 

ここにも「普通」という呪いが出てくる。

普通、被害者は悲しんでいるものだ。

普通、被害者が発言する元気があるのはおかしい。

 

裁判はまだ続くし、断定的なことは言えないけれど

この発言はどうにも疑問に思ったし、憤りを覚えた。

 

そういう「普通はこうしない」という圧力によって

殺された声があまりにも多くあると思う。

 

日本は経済も発展した成熟した国ではあるけれど

強制性交の被害のわずか4%しか被害届が出されないという。

勇気を持って警察へ行っても、人形を使ったレイプの再現などをさせられ

セカンドレイプにも近いことがあるという。

傷を何度もえぐられたくないと行くことを躊躇するのも当然だろう。

 

BBCもワシントンポストも、中国や韓国のメディアでも報じられた。

こういう事が世界に拡散した時に

「日本が悪いと思われるだろう」「世界に恥をさらすな」という

愛国者を名乗る声が存在するけれど

私は日本を本当に愛しているのならば

日本にある問題には紳士に眼差しを向けるのが愛であり強さだと思う。

「臭いものに蓋をして、誇らしい所だけ世界に発信」というのは

違和感に思う。

どこの国もその国の問題はあるものなのだから

強がらず、もっと正直に誠実にあるべきだと思う。

 

セクハラについても、昨今はより敏感になっている。

今まで「仕方がない」「私さえ我慢していれば」と思っていた気持ちに

光が当たるようになってきた。

 

「どこからセクハラになるかわからないから怖い」という人もいるけれど

仕事をする上でそれと関係のない発言をしなければいいのだと思う。

立ち入ったこと、失礼なことをせずに、仕事に集中する。

そもそも相手に対して何が失礼にあたるか、という事を意識せずに

好き勝手話しているとデリカシーのない人間になる。

人間は誰しも心があるのだから、

相手と会話をする時は礼儀や距離感を保っていたい。

 

少し前の世代の中には「下の人間を馬鹿にして笑う」「からかいも愛情」という事が

コミュニケーションとされていたけれど

これも今の時代では通用しないことだ。

年下年上、男性女性、上司も部下も関係なく

ひとりの人間として尊厳が踏みにじられることを良しとしない。

そんな時代に少しずつでもなってきたかと思うと希望を感じる。

 

けれどそんな時代になってきたのは

勇気を出しておかしいことをおかしいと声をあげた人たちがいるからこそ。

だからこそ勇気を出した人の声には誠実に耳を傾けたい。

 

「確かにおかしい!」

「いや。そんなにおかしくなくない?」

声をあげると、色んな賛否がわくけれど

問題が浮上し、それを知ることで個々人が考えるきっかけができる。

それが大事なことなのだと思う。

 

一方で、男性が女性から暴力やセクハラを受けているという声は

まだほとんどあがっていない。けれどそれも確実に存在している。

 

「男のくせに」と笑われたり信じてもらえないことが声をあげづらい一因だという。

 

性的な問題は男性から女性、ということばかり取り上げられがちだけれど

その中でまだ隠された声が多く存在するということを忘れたくない。

私は女性として、男性に対して失礼な言動をしないように意識したいし

「こういう女性の発言に傷つく」という声には積極的に耳を傾けたい。

「知る」ということが大事なことだ。

他人のことは、知ろうとしなければ知ることはできない。

自分が傷つかない選択を優先し始めると、

周りの人も傷つかずにいられる環境にしたいと思えるようになる。

そのためには知ること、伝えることが大切だ。

 

自分の立場を利用して断りづらい相手に性的な気持ちを持つことは

人間のずるさ、弱さとして断ち切ることは難しいかもしれない。

そういうずるさや弱さを持つ人もいるだろうから。

 

けれどそれを実際に行動に移して相手を傷つけることは

断じて許されることではないし

その行いをする事を恥だと思える人が増えることを願う。

 

「その行動は自分に対して誇れるものなのか」

そう自問してほしいし

私自身もそうしたい。