自分の生傷を見つめる

新しいことへ挑戦していくことは

本来の自分に帰っていくことなのかもしれない

社会の中で生きるうえで身につけなければいけなかった賢さとずるさ

けれど賢さや理想に染まりきれない自分の本心

私がいつも心惹かれてきた作品や人は

ただの強い、エネルギーのある人ではない

達観した人でもない

自分の弱さを引きずりながらも生きていこうとする人たちだった

自分の人生という戦いのさなかにある人たちだ

作品からその臭いが感じられるものだ

気休めではない かといって強がりや見栄でもない

自分の弱さや汚さを見せられる人が強い人だ

良いことばかりを見せようとするのは弱い人だ

虚勢をつい私ははろうとする それこそが弱さのあらわれ

でも、いいんだよ

本当の自分に戻っていこう

それこそが大切なことなんだ

そう教えてくれているような気がする

私が私に帰ること

私が私を見つめること

人生というひとつの作品、

ある日のライブ前、女性のシンガーソングライターにこう質問された。

「緊張した時はどうすればいいですか」

私は体の力を抜いてリラックスするということについて答えた。

「体の力を抜くためには、一度体に思い切り力をいれるのがいいですよ」

 

思い切りプラスにいくために、思い切りマイナスに振り切る。

その逆も然り。

 

私は考える人が好きだ。

その人に与えられた時間、脳みそ、情報から得たもの、感情

それらを料理のように混ぜ合わせている。

簡単に楽に流れない人。答えのない答えを歩く人。

 

私の友人に哲学書が好きな人がいる。

たまに二人で食事した時、俗世的な話が多かったかもしれない。

ひとりで過ごしていると、そんな昔の時間を思い浮かべ想像したりする。

私はその人とまた食事ができる時には、その人の頭の中の話

その人についての話を沢山聞きたいと思った。

 

死ぬことが思考からの解放だとするのなら、

死は私にとっては褒美のようなものだ。

思考に苦しみ、思考から快楽を感じる身としては。

死を感じ切るために、生を感じ切る。

人間としての生を感じ切ること。

そこに間違いも正しいもない。

ただ、感じ切るということに誠実さを手向ける必要があるだけだ。