子宮

貧血の原因は婦人系の疾患の場合もあるということで

今日は婦人検診を受けにいってきた。

 

検診をしながら先生がモニターを見せてくれて説明をしてくれる。

「これが子宮ですね。すごく綺麗な子宮をしています」

「こちらが卵巣ですね、卵巣もとても綺麗ですよ」

と言われる。

前に別の病院で検診を受けた時も、子宮がとても綺麗です、と言われた。

これはもう、私の子宮は婦人科の先生のお墨付きをもらったも同然だ。

 

しかし子宮が綺麗な事を言う場所ってそんなにない。

「これから登場していただくのは、子宮の綺麗なシンガーソングライターシギさんです!」

「どーもー!私こう見えて子宮が綺麗でしてね・・」

なんてことは多分受け入れられないだろう。

 

しかも毎回そう褒められるたびに思うのだけど

「子宮が綺麗ですね」と言われた後に

「え!?本当ですか!?やったー!!!」というのもなんだか違和感がある。

「子宮が汚いですね」と言われるよりは嬉しいことなのだけど。

なので大体「え!そうなんですか」くらいで留めている。

次あたりに「やったー!!!!!」っていってみようかな。

 

こんなことを脳内で思いながら面白かった本日。

婦人検診は全くもって異常がなかった。

先生から、若い人は食べるものによっても左右されるといってたから

思い当たる節があるとすれば

狂ったように緑茶と昆布を食べてたあの頃のこと

思い当たる節がありすぎて震える。。

 

鉄剤は飲み続けているので

来週の内科検診で問題なかったらひとまずは問題なしです。

自分にさえ縛られない。

「そんな人間と関わるのは時間の無駄だよ」

私はそう友人に言いながら

「しかし果たして無駄とはなんだろうか」と

自分に対して思った。

 

「無駄を削いで必要に突き進む。人生は限られているために。」

思いやりがあって社会に適用しようとしすぎる多くの人にとって

こういう言葉は必要なように思う。

 

生産性という言葉も溢れている。

自分の成すべきこと、野望、使命、のためにただ走り続ける。

これもまた、本人が望む所ならそれは幸せな人生だ。

 

私もまた自分をがんじがらめにし

やるべきことのために命を使うのだ、と力むことが多かった。

力みながら、心ではぜえぜえ、息が苦しくなっていた。

誰にもそれを望まれてるわけでもないのに、楽ができなかった。

 

数年前に私が自分を振り返る要因になったのはしょへの一言が大きい。

「頑張ればいいってもんじゃない」という言葉。

頑張れば報われる、大変だったらやってる証。

そういう日本人あるあるの根性論的な美徳が私の中にもあったので

頑張ったって報われるものではないという事実は

私の中にぐさっと突き刺さった。

頑張るというのは、現実を見ないようにしているという側面も

実はある。

 

そのままの自分でいる事に限界を感じて、そこから一年内省した。

そして少しずつ自分と向き合い、内省しながらの体験も通し

3年近くたっただろうか。

今年はもっと素の自分と出会っていき

その自分が望むことをかなえていってみよう。

努力とか、野望とか、そういう所ではなくて。

そう思いながら遊ぶように生きている。

 

遊ぶように生きていると、

誰からも頼まれていないのに色々な決まりごとを

自分に押し付けていた事に気がつく。

そしてそれにがんじがらめになってたから心が動きづらかった。

それは私のような人間ではなくてもよく聞く言葉ではこういうものがあると思う。

「家族がいるから」「周りがこう言うから」「これしか自分にはないから」

「私には才能がないから」「私はもうこんな年齢だから」

そう言って「だから私はこうあらねばならない」と自分に釘を打つ。

釘が刺されているので、自由な動きができない。

自分が自分を許さない。

それでも、その状態の自分に満足しているのならば良いのだ。

 

私は自分にしていた決まりごとで自分が苦しくなっていた。

それを遊ぶように生きてみてからよくよく気がついた。

その渦中にいる時はわからないことだった、それが自然すぎて。

薄い鎧のようなものを自分につけさせていた。

 

「そんなやつと関わる時間が無駄だよ」そういう自分の声に疑問に思ったのは

「無駄なことをする時間があったっていいのでは」と

もうひとりの自分が言ったから。

全てが「こんなはずではない」と思いながら生きているのならまだしも

自分の人生を自分が作っている時に

無駄だと思いながらする事に発見があるかもしれない

寄り道だと思いながら寄り道をする事に発見があるかもしれない

そう思えた。

 

過去の私に言いたいのは

自分の力がでるのは、案外力んでいない、リラックスしている時だ。

頑張らないと結果がでない、なんてこともない。

頑張らないと自分はよくない、なんてこともない。

でもだからといって、リラックスしていないといけないわけでもない。

力みたい時に思いっきり力むことも楽しい。緩急があった方が面白い。

思いっきりがむしゃらになるのもいい。イキリまくるのもいい。

ダイナミックになるのはなんでも面白い。

小さく、ちゃんとした、良いこで、いようとしなくていい。

そうはなれないのだから、息が苦しくなる。

そうはなれないのだから、そうなる必要もない。

 

だから冒頭の言葉は少し変えよう。

「そんな人間と関わるの無駄だけど、面白いならいいんじゃん?」と。

趣味も、音楽も、無駄と言われれば無駄なのだ。

料理の飾り付けも、細かい味付けも無駄だと言われれば無駄だ。

なんだってそうだ。命も無駄だと思う人もいるかもしれない。

かといって必要なものばかりをして生きていくのは

それもいいと思う人もいるだろう。

今の私は、それよりも面白い色付けをしてみたいと思う。

ちょうど絵を描いている時に

青できたけれど、ここで少しだけ黄色を足したらどうかな?

と思って付け足すようなもの。

案外そのポイントが生きたりする。

 

7割は自分の意思でやる。けど3割は偶然を面白がりたい。

今の私はそんな感じ。

夢が伝えたいこと

「私がダメになったらもう離してね」

そう言う人の言葉に

「何言ってるんだよ、何度でも起こすよ」

そう腕を掴みながら言った。

しかし私はそう言いながら、

もうその人はダメだという事をどこかでわかっていた。

わかりながらも私はそう言っていた。

 

という夢を見た。

ドラマチックな夢だなぁと思ってぼーっとした。

誰の腕を掴んでいたのか、そこだけ思い出せない。

たまにこういう類の夢を見る。

助ける夢と、助けられる夢とどちらも見る。

 

その後に、トイレにいる夢を見た。

トイレで手を洗う場所にタネが置いてあって

「もう少しで咲くのをお待ちください」

と紙に書かれてあった。

私は「何が咲くんだろう」と思いながら

手を洗って、その水がタネに流れ落ちていった。

という夢の内容だった。

 

なかなかにメッセージ性が強い夢二種類を見て充実した。

魂は永遠に。

生きるということと死ぬということの哲学。

私の中での生死の哲学。

死ぬということは魂が肉体から解放されることだと思っている。

肉体の中にある時のプレッシャーや圧から解放されて

概念からも解き放たれる。

霧のように宙を舞っていく。

自殺した時に残された者が悲しみ嘆くのは

その人の抱えていたものの重さに

無くした後で気がつくから。

笑いながら泣く人がいるように

人間の心中というのは簡単に他人が見れるものではない。

亡くなった人が一番辛かったのは命を終わらせる前の時間。

今はもう苦しみからも悲しみからも解き放たれている。

 

 

残されたものは残された命を生きる。

しかし多くの人の胸には

その人の笑顔や言葉や表現や

色々なものが刻まれている。

それらは死ぬことがない。

ひとりの人の残したものが

多くの人の心の中を生き続ける。

そう思う時、魂は永遠だ。

心の中で永遠に生き続ける。

今は悲しみにくれる人の心中を想い

その想いが安らかになるように祈りをこめる。

君の人生を君自身が証明していく

生まれてから色々なものを摂取した

それは歓迎されることから

歓迎したくないものまで

色々なルールや常識や

他人の物語や気持ちを

取り入れたり背負ったりしてきた

そこから次は削いでいく

ゆりかごから墓場まで

人が老いていくのは子供に帰ることに似ている

自然と生まれる前に戻るのなら

大人の段階から子供に帰りたい

生きていくうえで自分には必要のないものを

削ぎ落としていって

本来の自分に自分を返したい

遊ぶように生きたい

私は自分が何に基準を置いて生きているか

言葉でわかるようになった

私の全ては面白いかつまらないか

それが大きな基準だった

20歳前後から30歳前後まで

自分がつまらないと思うことを

どれだけして時間を潰してきただろう

自分の気持ちに背を向けているようなものだ

これから先は面白い事を選ぼうと心に決めた

私の音楽も

人間のブルースや業が面白いから表現していた事だ

そう考えていくと

だんだん自分の人生を人生として

見れなくなってくる

人生を人生として真に受けるとき

人は失敗や不安を恐れるようになる

人生は劇だ

ひとりにひとつ与えられた劇だ

悲劇こそ喜劇ならば

恐れはなくなる

全部がこの劇のネタになる

この劇はなかなか面白かった

死に際にそう思いたい

そう考えると

音楽に力まなくなってきた

音楽で出来ることがまだまだある

少しずつ自分でデザイン出来るようになってきた

子供の感性の自分と

今の自分の感覚が合わさることで

可能性はもっと開かれていく

人生を使って楽しんでいる感覚がする

本当の自分とは

立派でもすごくもない

そうなる必要もない

ただ自分の心が喜ぶ事をして楽しむ

自分の心の呼吸を取り戻す

本当は君のための人生だ

君が主役の舞台だ

舞台の隅で小さく怯える演技もいいが

怯えることに飽きたなら

好きに暴れるのがいい

君の人生を君自身が証明していく

幸せへの通過点

手紙の詩が届きました!

前回今回と詩が届くと嬉しくて

ここに勢いで載せそうになる。

 

本日は手紙の七月分の楽曲歌録りを行いました。

ひげも生えました。

前回とは全く違うテイストの曲になりました。

毎月の曲の違いも味わいとして

楽しんでくださいね。

テイスト的に私の曲の青空が好きな方は

気に入ってもらえるのではないかなぁと思ってます。

七月の歌のテイストは大体

六月ぐらいの下旬には想像できていたんですが

八月はまだ想像が浮かんできておりません。

といってもまだ七月中旬だからか・・

カード払いを指定されてる方には

前回よりも少しお早めのお届けができそうです。

銀行払いの方は入金がされている方のみお届けです。

その他、到着日についてや継続については

メールでお知らせしますのでお待ちください!

 

なお八月からの手紙を新規注文受け付けできそうでしたら

七月の下旬頃にブログなどでお伝えします。

思うは自由

自分が思ったことを

そのまま受け止めてごらん

でもでもだってちゃんは黙らせて

思ったことがどんなことだって

思うだけなら自由だ

それが犯罪行為でも倫理違反でも

思ったことは

思ってしまったんだ

それでいいじゃないか

こんな事を思ってはいけないと

自分を戒めてばかりいると

どんどん卑屈に苦しくなるばかり

そして他人にも戒めさせたくなる

思ってたってやらなければいい

思ってたって言わなきゃいい

思うことに罪はない

思うに至るまでの理由があるのだから

思うことを責めずに抱きしめる

保護中: あなたの人生の目的地。 *シ組

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愛する人。

愛とは、その対象にどれくらい自分の時間を使ったか。

なぜなら時間とは、命そのものだから。

自分が何かに時間を注ぐというのは

自分の命を削いで渡しているということ。

気持ちとして想うだけではなく行動に移すこと。

それは自分が「きっと喜ぶだろう」と思うことではなく

相手がされて嬉しいとわかることを行動に示す。

相手が嫌がることをしない、という行動をする。

相手が満たされることに喜びを感じられる。

相手の安心と、喜びのために。

そう思える時、愛は静かにしかし逞しく育まれていく。

利害や損得を度外視できること。

これは無理をして出来ることではない。

自分の心が愛に出会った時、それは自然と芽生える気持ち。

そして自然と芽生えた愛は、育まなければ育たない。

ひとりの成長が、ふたりで一緒に作り出す成長に。

人生という時間を使って育んで咲かせる信頼関係。

限りのある人生の中で、そしてひとつしかない肉体を使って

自分が大切だと思う人やものにエネルギーと時間を使う。

それがきっと人生にとって一番後悔しないシンプルな道だと感じる。

気まぐれな感情ではなく行動で表現し続ける。

日常は夢の中

昨夜は眠る前に着たい服の内容が定まりだして

テンションがあがって眠れなくなった。

髪の色を変えてから洋服も少し今までのがしっくりこなくなり

もうちょっと別の方角のものを着たくなった。

引っ越しと髪の色を変えるはでかいことを学んだ。

そして今日も沢山絵を描いた。

何回も何回も重ね塗りをしていくから

絵の具の量をかなり使う。

キャンバスも買ったそばからすぐなくなる。ひええ

自分で思いついた組み合わせを重ねていく。

無意識と意識の間くらいの感覚。

なるほどなるほどと出来上がりを眺めて想像する。

多分この先は引き算を私は覚えていくだろうな。

抽象画の中にも意味を存在させそうだなと予想したり実際にやったり。

全部やってみよう。

10のレベルで考えると2くらいのレベルで音楽の波音が聞こえだしている気がする。(独特な言い回し)

次作の音楽のために音楽に距離を置いて絵を描いている。

あえてピントを外した方が見えてくる時がある。

そのピントを外した状態の時でいると

だんだんと心の隅の方から「あーなんか出てきそうだなぁ」という感覚がする。

感覚とか気がするばかりになってしまうのだけど

理性と思考にコントロールをにぎらせないので

夢の中でメッセージを見るのと同じような状態で日常を送っている。