意識と無意識の狭間。

数日訳もなく悶々としていて

悶々としている時ってその後に開ける事が多い

という事を最近なんとなく思っていたので身を任せていると

やはり昨日の夜から開眼した。

 

私が開眼する時って大体

夜中とか明け方にスッと目が覚めて

頭の中にある言葉が浮かんでくる

そしてそれをスマホのメモに書いていく

で寝る。

 

翌日あまり覚えてないのでそれを見てふむふむとする。

今日はその後で喫茶店に行って

今回は書き作業がなかったので

自由に今後の特に絵画の展開の事などを書いていったら

面白いことがほわほわと出てきて

悶々はどこへやらて一点してわくわくになった。

「考えたり色々インプットする→なんだか悶々する(深部で変化していってる時期)→開眼、意識的に変化がでる」

この一連の流れがわかりつつある。

そして先ほど久しぶりに一枚絵を描く。

描きながらもう一枚わりと大胆なことを思いついたので

明日やってみよう。

 

ちなみに昨日の夜に目が覚めて頭に浮かんだことが

「思想に縛られている」「自分の目的を遠ざける要因を排除する」

という言葉だった。

こういう時って意識と無意識の狭間から生まれている感覚で

頭で考えて出す言葉よりもかなり的確な気がしている。

今後の絵画については結構まとまりだしているので

それについては明日書けたら書こうかな。

あなたのためを思っているという罠

最近、身近な人が人間関係のごたごたに巻き込まれているのを

はたから見ていて思うことがあった。

 

youtubeのおはなしでもどこかで話したのだけど

やはり謙虚さを失う所に争いというのは生まれやすいのだなと。

「自分の考えが正しいんだ」という気持ちによって

周りが見えなくなった時に、摩擦は起きる。

その正しさを相手に当てはめようとすれば

相手が抵抗したくなるのは不思議じゃないことで

相手はひとりの人間として考えや感性があるのだから

それを上から「こうなりなさい」「あなたのためよ」と押し付ければ

反発が起こり、そこから争いに発展する。

 

「自分の考えが正しい」と思うだけならまだしも

どうしてそれを言葉にして相手をコントロールしたがるのか。

もちろん私も無意識にそうしてしまう事というのは過去沢山あって

そうなってしまいがちな時の自分を振り返ってみると

大抵は自分の生活や自分自身に満足がいっていない時になりがちな気がする。

 

今の自分に納得していないとか

やらなきゃいけない事があるとわかっていて

だけどそれをやっていない時

などに、自分の問題から目をそらして

他者の問題に首をつっこむ事で自分の問題をごまかす。

これは意識的にじゃなくて無意識レベルでやってしまう。

 

意識して「私は自分の問題に目を向けないで

あの人の問題を考えることでごまかしてるの!」

なんて思う人はまずいない。無意識的にやってしまうのだ。

 

だから「周りに目を向けて色々言いたくなりがちなときって

わりと自分自身に解決すべき問題があるとき」と思えると

それを自分に当てはめて冷静になることができる。

疲れている時もそうなりがちである。

普段は気にならないことがノイズに感じてイライラして

言いたくなるとか。

なので、そうなりそうな時は正気に戻ることが必要だ。

 

しかし、自分がやる側ではなく、

相手から押し付けられたり干渉された時は・・・

そういう時はことを荒立てずそーっと離れるのが良いと思っている。

相手がコントロールしたいという欲求で話してくる時は

対話はまずできない。分かり合えることは少ない。

なので、そーっと離れてなるべく害が及ばないようにする

嫌な思いもすると思うので、

その発散や嫌な目にあった自分にご褒美を用意してあげて

自分を守ることが必要だ。

 

相手も何かしら課題を持っているのだろうと適度に同情をしながら

自分は自分で境界線をきっちり引いて防御する。

相手に引きずりこまれない、真に受けない。

境界線を引いた付き合いができない人というのはわりと多い。

教えられることがないから無理もないかもしれない。

境界線を越えることを思いやりや人情だと思っている人もいる。

そう思っている人同士ならば気持ち良いのかもしれないけれど

本来の人間は自立しているものなので境界線を曖昧にする事は

居心地の悪さに繋がる。

親切な顔をして「あなたのためを思って言ってるんだよ」と

歩み寄ってくる人には注意する必要がある。

あなたのためかどうかを決めるのはあなただけであって

他人が決められることではない。