手を放した。

表面的に見たら何も起きていないけれど

水面下では色々自分の中で決断することがあったりして

ここ数日はちょっとした挫折感とも似て違うような

落胆とも似て違うような

絶妙な気分に浸っていた。

 

自分にはどうすることもできないことや

自分がいるからこそ人を駄目にしてしまうこととか

そういうことを考えて、そこから離れようと思った。

アドラーで出てきたような気がする

馬を水辺に連れていくことができても

馬が水を飲もうとしなければ馬は死ぬ。

他者の問題や課題に自分がどこまで介入するのか

あれこれと奔走していくうちに

自分に依存させる形になってしまっていないか

相手の可能性を自分が奪っているのではないか

そういう気持ちになることが多々あった。

疲れたような、少しすっきりしたような

不思議な気分だ。

 

手を放そうと思ったときに

今までの人生の中で

私は結構色んな気にかかるものに

手をつけていたんだなと思った。

それは本当にそれが気になっているのか

自分の本来のすべきことに腰を据えてやることから逃げていたのか

どっちだったのだろうと考えた。

今はどれも持っていないような状態で

大きな余白が自分の中にできた気分がしている。

 

ささやかなフェルトもそうなんだけど

昨日はそういうささやかなことだけをして一日過ごした。

自分お疲れ、という気持ちで心が凪のようだった。

これからまた自分の時間を丁寧に作っていこう

取り戻して行こうという気持ちで。

 

少し前に卒業の歌を聞いてうるうるしたのも

何年越しの大きなものを一旦自分が手放すことになるからだったのか。

それもそうなのかわからないけれど

自分らしくいるということは

自分の人生を生きるということは

そのまま何もせずにいていい、という事ではない。

自分の人生の中で何かのタネを撒いてそれを育てていくという行為

それが毎日の生活の中でなされていく

その積み重ねが人生という作品なのだなと感じる。

 

他者の問題も大事だけれど

自分として生まれてきた以上は

この人生をどういう形にさせていきたいのか

そこに一番目を向けてあげなければ

自分がかわいそうだ。