そして私の考え

ひとつ前にコロナと政治についてざっと書いたけれど

それを踏まえたうえで。

 

私自身はコロナに関しては

現場でコロナの治療に当たっている医師の方を

数名フォローしてそこから情報を得ている。

数名なのは1人だと偏りがでそうだから。

そこからコロナの最近の傾向とか

その医師が推測していることなどを見る。

そこからこうなりそうだなと予測したりする。

 

政治家やその周りのいうことは話半分で聞いている。

これは別に私が自民党を支持していないからとかではなく

政治やその周辺の人がいうことは

その人たちの都合が大なり小なり何かしら入っているだろうと

想像するからだ。

なので真に受けすぎないけど、あがった情報は見るくらいの程度。

 

外出はコロナあるなしに関わらず出かける用事があまりないので

食事の買い出しやひとり作業しにいくことなどをしている。

あとは前にも書いたけれど美容院は続いてほしいから通っている。

買い物は投票だという言葉がある通り

自分が支持したい、続いてほしいと思う所にはお金を出したい。

きっと私にプレゼントをくれたりCDを買ってくれたりシ組に入ってくれる人も

同じ気持ちでいてくれるように思うので

そのありがたいお金を、私の活動と

それ以外にも私が続けてほしいと思う場所へ渡していきたい。

そういうお金のまわりかたって素敵だなって思うから。

 

政治のやり方に怒り狂う人

コロナはただの風邪という人

ワクチンは危ないという人

自粛しろという人

いろんな人がいるけれど

このいろんな人たちの意見もざっと目を通す。

なぜそう思うのかを知るために。

だけど「どこかに加担する」という事にはならないようにしている。

私は私で調べたいくつかの情報を並べて

自分はこれとこれが信憑性があると思うな

などと感じるものを採用している。

 

どちらにせよ生活や生き死にに直面している人が

怒り狂うのは仕方がないことだと思う。

そういう事が行われたということは忘れてはいけないとも思う。

 

私は二元論に陥らないように意識している。

私は生活や生き死にがすぐ眼前にあるわけではないので

二元論に陥らないように意識することはできる。

「何が悪い、何が良い」「何が正しい、何が間違ってる」

という考え方はとてもシンプルでわかりやすいけど

環境や立場や状況によって見え方や捉え方はいくらでも変わるので

二元論に陥ることは思考停止に陥ると思っている。

なのでなるべく自分のジャッジを抜きにして

いろんな意見を幅広く見つめたいと思っている。

コロナと政治

身口意の話は何度かここでしているけれど

改めて身口意とは思うこと口にすること行動すること

この三つを揃えるということ。

 

例えば口では「みなさんのためを思って」と言いながら

稼ぎの全てを独り占めしていては言ってることとやってる事が揃わない。

人はよく見ているので、そういう人には不信感が生まれる。

 

 

 

コロナに関しての政治家の言動は

身口意が揃っていないのではないかと感じた。

少なくとも国民の目には揃っていないように見えているのではないか。

 

外出をする人のことを「静かな暴動のようだ」と言っている人がいた。

大袈裟にも聞こえるけれど、間違ってもいないように感じる。

単純にもう飽きたから外に出たいとか

ただの風邪だと思って外出する人もいるかもしれない。

けれど「もうあなた方の言う事には納得できない」という事の表れで

多少のリスクを承知の上で行動している人もいるような気がする。

自粛しながらも、怒りや呆れが沸沸と生まれている人が

少しずつ増えていっているのを感じる。

 

政治家の出すメッセージ、最初の頃なら拙くてもまだしも。

ちぐはぐな事や矛盾するものが多くて。

出てくる対策内容に納得いかないものが多くて。

「口では国民のためと言っているが、本当は既得権益のためではないのか」

「オリンピックのためではないのか」

疑心暗鬼、不信感を持つことが増えていく。

 

おまけに

マスクをしてと国民には言いながら国会に入った時にノーマスク姿の二階さん。

夜に会食しないでと言いながら会食を繰り返す政治家や官僚の人々。

看護師が悲鳴をあげるなかで五百人のボランティアを募集するオリンピック。

 

 

 

ゴールデンウィーク直前に不要不急の行楽はしないでといいながら

通勤時の混雑については何の対策もなくお願いするだけ。

 

去年はまだ「仕方がない、みんなでなんとかしよう」と耐えたものも

1年の間でコロナについてわかった検証結果に基づく論理的な政策に乏しいため

誰もが突っ込めるような事をチグハグになりながらいきなり行われる。

 

「そんな事を言っても病院で働く医師や看護師は大変なのだから

ひとりひとりが自粛することが大事だ」というのはもっともな事だけど

何も感じずにそう言いきれるのは、この影響の中で生活をすることに

そこまでの支障がない人ではないかなと思う。

 

この事で生活や生きていくことにダイレクトに支障がでる人は

例えば納得のいくエビデンスに基づいた詳しい説明がきちんとされるなら

まだ苦しいながらもうなずけるかもしれない。

しかし矛盾やチグハグ感に溢れる説得力のないメッセージや要請を

納得できないのに耐えて死んでいくことなどたまったもんじゃない

と思うのは自然なことだと思う。

 

こういう怒りの声はネットを見ていると溢れかえっている。

それを「仕方がないじゃん」とか「大人なんだから」で

押し潰すのは良くない方向にいく気がする。

 

オリンピック反対のツイートの中に

「スポーツ選手は悪だ、あいつらがいるせいだ」と言ってる人がいた。

選手に対しての憎悪、差別感情を持っている人は確実に存在している。

怒り、不安や不満は憎悪を生む。

誰かのせいにしたくなりそれが悲劇を生む可能性がある。

正論で怒りを潰しても解決にはならないどころか

憎悪から差別などが生まれることにもなる。

 

 

私はといえば、コロナを理由に内観や新しい事を進めているのだけど

そんな私でさえコロナ対策で「そりゃないんじゃないの」と思うことは多い。

特に菅総理が記者からの質問に対して「仮定には答えない」と

答えていたのはまずいと思っていて

予測を立てて先回りした行動をとるのは当たり前のことで

恐らくしているはず(と思いたい)だろうに

仮定の質問には答えないで終わらせては

私は何も考えてませんと言ってるのと同じじゃないか?と思う。

それを聞いている国民の疑問は増すだろうし

菅さん自身や政権のためにももっと良い言い回しとか考えた方がよいのでは、、と

お節介にも感じたりした。

 

この次にはそういう一連のことを踏まえたうえで

私がこの状況をどう思い行動しているかについてのブログを書く。

なんてこと思った。

自分と仲良くなることが大事なのは前提なんだけど

その前提の上で

今までの自分に反旗を翻すのは面白いな

なんてこと思った。

脱皮をしない蛇は死ぬとは何度か書いたけど

人間の体も肌などターンオーバーを繰り返し生まれ変わっていく

ということは精神も同じように

今までを覆す行為はむしろ自然なことなのかもしれない

なんてこと思った。

熱くなりすぎず冷めすぎず

自分を俯瞰しながらも

人生の当事者として楽しむ気持ちで

自分を覆す行為を能動的にしてみたい

なんてこと思った。