クリエイティビティを捨てた表現者

佐久間裕美子さんと若林恵さんのポッドキャストを聞いていて

若林さんが韓国と日本の音楽の違いについて話されていた。

その内容がとてもよかったので

音楽をしている人が見ているかもしれないので以下

若林さんが仰っていたことを。

 

韓国のアイドルの音楽で

韓国版(世界版)と日本版の2つが出されているのだけど

日本版のミックスがすごくしょぼいという話だった。

 

韓国の方は音の奥行きや縦に伸びたり横に伸びたり

ひとつひとつ手編みで作ってるような音の作りに対して

日本のミックスは音がちんまりまとまって奥の方に引っ込んでしまっている。

 

それは技術的な差というよりもマインドセットの問題。

「これやればいいっしょ」的な姿勢が仕事に表れている。

 

ミキシングを通して物語を作るという発想がない。

自動運転みたいな仕事の仕方になってしまっている。

社会全体が「これでいいっしょ」という仕事を続けることで

想像のクオリティがどんどん下がっていく。

今までやったことのないことをやるのが文化セクターの役割。

 

以上のことを仰っていた。

これはとても身に覚えがあって。

私が音楽をしている人と接していても

上記のような自動運転的な音楽の作り方をしている人がいる。

 

自分がしてきたことをするだけ。

今まであった音楽の延長線をやるだけ。

「これはこういうもんだからこれでいいっしょ」みたいな姿勢。

クリエイティブというのは今までにないものを生み出すということ。

それは今までの音楽になかったものというのもあるけど

今までの自分にはなかったものということでもある。

 

以前ちきりんさんのvoicyで

「表現者は表現するだけで嬉しい」という話があった。

 

私が音楽やブログをこうして続けていると

「よくそんなに続くね」という人がいる。

でも私にしてみれば

続かない、止めるという選択肢がそもそもないので

続くとか続かないとかがよくわからない。

息をしているのと同じくらい自然な行為だから。

 

そんな中でちきりんさんの上記の話を聞いた。

表現者は表現するだけで嬉しい。

数字になるとかお金になるとか

そんなことは関係なくて

ただそれをすることが好きだからやっている。

その先に仕事になっていく。

さかなくんも成功しようと思って魚に詳しくなったわけじゃない。

ただただ好きだからその先にそうなった。

数字や成功を目的にしている人は

好きが目的ではないので続かなくなる。

 

という話だった。

私がまさにそうだから首がもげるほどたてにふった。

これをお金にしていくために、とかはあるけど

ならなかったとしてもずっと続ける。

なぜならそれが好きだから。

 

クリエイティブは新しいものを常に考え作り続けること。

そこに興奮や驚きや喜びがある。

もちろん苦悩もある。

エンタメの業界においてもクリエイティビティをもたない人が

言われたことや知ってることをやるだけ、という仕事をする人が

とても多いのは知っている。

それがどんどん日本の音楽の質を下げていくことも。

業界の人の中には「それがリスナーが求めてるから」という人もいるけど

リスナーはそんなに馬鹿ではないと思う。

自分の怠慢を隠してリスナーのせいにしているみたいで

そういう言い方をする人には怒りを感じる。

 

 

華氏451度に

表現というのは人を動かす、それは不快にさせるということで

それを恐れる人がどんどん平坦なことばかり書くようになっていく。

そんなことが書かれていた。

新しいことというのは脅威になる。侵害、不快、そういう気持ちになる人もいる。

心が揺れ動くということだから。

けれどそれを恐れてはいけないと私は思う。

 

表現というものは常に自分の欲求と作品としての冷静な精度との

ギリギリのせめぎ合いの結果にできるものだ。

「こんなもんっしょ」という態度は音楽への侮辱だ。

他の仕事ならまだしも

ものをつくるという役割をする人が

そういう姿勢でのぞむのは本当に危険なことだと思う。

作品に対して、音楽に対して、自分のしていることに対して

もっともっと真摯でなければ、本気でなければつまらない。