同じ時代を生きられる喜び。

昨日描いた絵。下側と右側。

明日にでもひとつ出品しようと思います。

 

今日はよくわからないことでメソメソすることがあった。

普段の何気ない言葉が

メソメソのフィルター越しにみるととても優しく感じた。

そのあとはフィルターを外す。

 

これといって辛いことはないのだけど

自分の中から生み出さないと何もならない以上は

わりに孤独な戦いだなと感じる。

それでもこの道を行きたいと思ったから進む。

ひとつだけ勘違いしてほしくないのは

精神論でがむしゃらにやってる訳ではない、ということ。

あくまで冷静に淡々と生活している。

 

すごい、かっこいいと思える人がいて

そういう人を見つめて私は進んでいく。

くじけてもいつも勝負はここからだと

すごいと思える存在がいるから私はまた立ち上がる。

休んで立ち上がって進んでの繰り返し。

自分が決めた道に集中して生きる人たち。

その毎日は思った以上に地味なもので

集中して積み重ねる行いを見習っている。

私も地道に一歩ずつやる。

ここは気合で乗り越えない。

ひとつひとつ体感で身につけていく。

 

調べ物をして頭を使って、言葉を書いて

合間に雑務と打ち合わせがあって。

今日も地味だが良い一日だった。

明日も言葉を書く。

音で表すもの、絵で表すもの。

ここ数週間ぱたりと絵を描いていなかったのだけど(スパイスにはまりすぎた)

最近音楽や自分の今後について腹が決まるところがあったので

どういう絵が生まれるのか自分でも楽しみだった。

結構ハードなものと向き合っていたので

絵もそれが反映されるかなと思って描き始めた。

けれど出来上がった絵はそれと真逆に思えるものだった。

 

少し前にしょへに言われたことがあって

「表現は自分の内面を映し出すものっていうイメージがあるけど

シギの絵は自分を癒すためのものに見えて

それが自分にはない発想だから面白い」というような言葉だった。

 

音楽で強く自分や世間の思うところを表現しているから

その反動で絵では深呼吸するような感覚なのかもと思った。

だからハードなものに向き合ったり

自分でこの道で行くぞ、と気持ちをいれると(決めるという気負いもあったりするから)

絵では真逆のそこから自分が救出される、解放される意味合いの

絵が表れるのだろう。

音と絵の両方で調和をとっているのだと思う。

 

新しく描いた絵は数日の間にあげられるかと思うので

しばしお待ちを。