悪い影響は受け流す。

ある知人が長年頑張ってきたことの結果を出して

すごいなと思いつつ

新しいことをやるにあたって悔しい思いもしただろうから

それも原動力になったのだろうなと思った。

 

最近私も

妥当そうな理由や根拠を並べられて

真面目に考えて動いていたけど

しばらくして

あれ、これ自分ばかり負担になってるよな

と気がついて白けることがあったり。

 

でもそこからわかるのは

自分がいつか誰かに対してそういう気持ちにさせてなかったかな

ということだったり。

されて初めて気が付くことって沢山あるのかもなあと思った。

そういう意味では白けることも無駄ではないかもな。

 

そしてそういうことがあると

自分がどういう人とこの先に関わりたいのか

さらに輪郭が見えてくる。

仲間のしょへすんの存在も心強くなる。

それを教えてもらったとも思えば

この野郎というよりも

サンキュー!という気持ちがわかなくもない。

 

対人関係でそういう面倒な気持ちになることが起きたときに

あーもう全部めんどくせえ!

みたいに投げ出して引きこもりたくなることが今まではあったけど

最近はそういうのがあると

あ、ここではなかった。次に向けて粛々とまた始めましょう。

という切り替えが早まった。

 

あーあと思う気持ちは嘘じゃないから大事に認めてあげるけど

俺はこれからすごい面白いことをやっていこうとしてるんやで!!と

ふてくされてらんないくらい未来に向かっているのさ。

だからなんだかなあーと思う気持ちはむしろ原動力に変わる。

冒頭の人もそうだったんだろうなと想像した。

 

いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりじゃない。

悪いようにみえることさえ、いい風に変えてやるのさ。

自分に素直であること

自分の気持ちに素直であること

このことの大切さをこの頃よく感じる

他の人の目や気持ちや

自分の中の虚栄心や自信の無さ

そういうものが層のように重なっていて

これが本当の気持ちだ!と思っても

まだ折り重なった層の途中だったりする。

フラットな場所から感じるものは

すんなりと受け止められる。

そこが自分の一番自然な位置だから。

ものを作ることは

いろんなものからの学びや分析や

自分の強みの活かし方や

その強みを活かすのに足りない部分を認識して実験を重ねること

そういう姿勢と行動は大切。

でもそれ以上に大切なことは

自分が思うこと求めること感じることを

正しく素直に認識できているか。

今はそんなこと思ってる。

その認識が土台にあるからこそ

学びや実験が生かされて花開くのだろう。

自分の気持ちだけでは足りなくて

合理的な判断だけでも足りない。

ふたつのバランスが重要と感じる。

荷物をおろす。

色々な問題を見つめれば見つめるほど

大きな荷物を知らず知らず背負いながら歩いている人が

本当に沢山いるんだなと想像する。

 

本人はそれが当たり前になりすぎて

背負っていることにも気がつかないから

何かが起こると自分のせいにしたり

相手の背負っている荷物は目に見えないから

相手が崩れると自己責任だと責めたり。

 

責められる人の背中には大きな荷物があり

責めている方の背中にも大きな荷物がある。

 

それは背負ったんじゃないよ

背負わされてきたんだよ。

だから自己責任なんかじゃないよ。

あなたのせいじゃないよ。

でもこれは相手のせいでもないんだよ。

自分を責める必要はないんだよ。

 

自分のために生きていこう。

自分の好きな人や好きなものを好きでいよう。

我慢や忍耐は人に言われてするものじゃないよ。

誰かにとっての良い人になろうとするとしんどいよね。

呪いを解いて

自分が必要だと感じることをしていこう。

 

これから先に自分が生きていくために

必要じゃなくなった荷物はおろしていこう。