細胞の集まりからなる。

最近、我が我がのエゴが急激に引っ込んでいって

一年前の私でも考えられなかったチームワークというものに

興味が出てきたのは

数週間前にDNAについて調べだしたあたりから

自分の肉体でさえも生きている細胞の集まりからなるものなのだな

という実感をしだしてから。

そしてDNAもそうだけど肉体は両親や先祖から受け継いだもの。

自分ひとりで自然と誕生したわけではない。

というのを考えていっても、視野が広くなるのを感じる。

良い意味で、自分は全体の一部なのだと。

自分の肉体が、ひとつひとつの細胞からなるように。

社会にとっての自分も細胞のようなものだなって。

 

自分のしたいことやワクワクは引き続き大事な源泉。

やるべきことに飲み込まれたり命令されて生きていきたくはないから。

やりたいことがやるべきこと。自分のためが誰かのため。

そこはずっと変わらない。

 

少し前に鮮明に覚えてる夢を見た。

私と、同世代くらいの女性と、私よりも年が結構上な男性と、

私よりも年下の男性の4人で新しいプロジェクトを開始するための

打ち合わせをカフェでしているところだった。

私はそのプロジェクトリーダーで。

同世代の女性は同じ志で頼れるような存在。

年下の男性はなぜか悪気なくいつも最初に嘘をつく癖があり

年上の男性はそのことにカッカと怒っては文句を言っていた。

「こんな奴がいたんじゃだめだ!信用できない!」と。

その時に私は

「信用はひとつずつ積み重ねていくものだから、

焦らずにこれから積み重ねて良いチームにしていこう」と言っていた。

年下の男性は私に懐いていて

「あのファミレスもう行ってないんですか?今度行きましょうよ」と

どこ吹く風で言ってくる。

「そうだね、今度行こうか」と私が答えたところで夢から覚めた。

 

これがすごくリアルだった。

こういうことが起きるのか?と思うほどだったけど

でももしかしたら、ここに登場した3人の登場人物は

全て私の中に存在しているもうひとりの私なのかもしれない

なんてことも想像して面白がった。

 

あなたは幸せにならなきゃ駄目

私は「あの人が羨ましい」と思ったことがほぼない。ライバル視も。

思い出せないだけであるかもしれないのでほぼといった。

 

 

「いいなー!」と思うことはある。

例えば美味しいお肉食べてるとか、ビアガーデンいったとか。

でもそれは軽やかないいなというか。

 

「あなたが羨ましい、悔しい」「ライバル」と言われることがある。

私はそう言われることが少し苦手。

どことなくじっとりした重さが私の肩に乗っかるのを感じる。

そしてそれと同時に、少し寂しい気持ちになる。

それは、「悔しい」「ライバル」と言ってる人の心の中にいるその人。

 

私はひとりの人の中にいろんな自分がいると思っている。

それは「頼もしい自分」「子供のようにかわいい自分」「臆病な自分」など。

そして「なんのてらいもない素直な自分」と「色々気にした自分」もいる。

その時の感情や体力の余裕によってどの自分が表面化するか変わる。

 

私が寂しい気持ちになるのは、

「悔しい」「ライバル」と言ってるその人の心の中にいる

「子供のようにかわいく、素直な自分」が、悲しんでいるような気がするから。

その人が例えば私をみて「悔しい」と思うその時

素直な子供の自分はその人から置き去りにされている。見てもらえていない。

そしてその子は「僕じゃやっぱりだめなんだな」と思って肩を落とすだろう。

 

だから私は、悔しいなど言われた時には

「おまえ、おまえを舐めんなよ?」と思うし

「俺のことはどうだっていいんだよおお!!!

おまえ自分のこともっとみてやってくれよおお!」

口惜しいなんていって人を見てる時間を捨てて

もっと自分とたっぷり時間とって愛情かけて

どうやったら自分が納得できるのか自分と作戦会議して

生きていく方が心の中の子供の自分が喜ぶんじゃまいか、と。

 

あと私がどうして人をライバル視しないかというと

同じ環境で同じ設定で生まれて同じレールにいるわけでもない

別々の肉体と経験と感性を持っている他者に対して

同じ扱いで見ることができない。私と私以外は別々だから。

 

例えば音楽で成功していて売れていたり

私がやりたかったことを先にやっていたとしても

「うおおすげえ」という気持ちがわくかわかないか。

 

なんで重たい気持ちにならないかというと

別々の人間なのはさることながら

他人の全てを見ることは不可能だから。

人は人の良いところだけを見て羨ましがったり

悪いところだけをみてけしからんと言ったりするけど

その一面以外に別の面がたくさんあったり

過去にどんな大変なことがあったか、どんな気持ちをもって生きてきたか

私は見ることができないので想像するしかできない。

だから、一面や今の状態のその人をとってきて

「羨ましい」とか「悔しい」と言う気にはなれない。

 

彼女、彼がどんな人生を歩んできたか

どんなにイメージしてもそれはその人の人生ではない。

でも私は生きてる中で人には笑顔を見せる裏で自分に悔しくて泣いたり

寝込んだり悩んだりしたことが沢山あったので

きっと人も同じように辛いことや悲しいことや頑張ってることが

ひとりの時に訪れたりしているんだろう、と想像する。

そうじゃなかったら、、そりゃそれでいいじゃねえか!オールOK。

 

生きてると色々あるし気持ちや体が余裕ないと

落ち込むモードになるけど、それはそういうモードになりやすい時だからで。

そういう時は他者や何か他所の行いを目にするよりも

たっぷり休んだり自分の好きなやりたいこと書いてみたり

ご褒美dayとしてちょっと贅沢なものを食べてみたり

とにかく自分の扱いを自分で上手になっていくことが

人生を深刻にしすぎないためには大切なのかなと思ったりしている。

 

だから悔しいとか羨ましいとか!!

それで自分がマッハやる気になって最高に幸せになるならいいけども!

それで自分を置き去りにして人のことばっか目をやってるとぉ!!

自分が泣いちゃうよおおお(:;)だれ

あなたの人生はああ!!!!あなたが幸せになんなきゃあああ!!

だめなんだよおおおおお!!!!

だからあああ!!!幸せになってくれよおおおおお!!!!!!

 

明日あなたに茶柱が立ってることおおお!!古

そんなささやかな幸せが一個訪れるようにってえええ!!

こっから祈ってるからなああああ!!!!!

 

こんなテンションで書いてますが

何かが起きたかというとなんにも起きていなくて

誰とも話さず今日はひとりでのんびりしていただけです。

今日の夕飯はそうめんよっ。