ひたすら自分に関心を寄せる

一年くらい前だったかな。

日常の時の自分が音楽において大切なのではとふと感じた。

それまでの音楽は

日常よりも重きがおかれてて

それはどこか義務感のような所から離れられない部分があった。

でも表現は義務ではない。

もっと自分で明確に触れられることと

イマジネーションとの合体こそが

自分には必要なのかもしれないなと感じだした。

それから自分が興味を持つものを始めたりなんだり。

その中で最近、食器を自分が好きだと思うものだけで固めようと思うに至った。

所有する数自体は少なくて済むので

個人の作家さんなどから直接買いたいなと思うに至った。

そごうなんか立ち寄った時には

食器売り場を見るのが前から好きだったんだけど

この間久しぶりにそういう所に行って見てると

「この手に持った時に感じる丸みが良いですね」

「この底の浅さがたまらんですね」

などぶつぶつ言ってる自分に気がついて

「私って自分の食器の好みを意識して言語化してこなかっただけでわりと決まってるんだな」と発見になった。

「私って好きなものないんですよ。」

という言葉をたまに見たりするけれど

自分をもっとじっくり細かく日常的に観察していれば必ず見つかるだろうなと思う。

忙しい毎日とかやる事の中でプライオリティが下がってしまってるだけで。

生活の中で特に私が好きな食に関するもの繋がりで食器に注目した時に

どんな素材のものが好きなのか

どんな形のものが好きなのか

どんな色合いやデザインが好きか

それを見ると触るとどんな気持ちになるのか

など細かく自分に注目してみると

新しく知る自分がいる。

そうやって自分の心地よさ、好きを追求して揃えていったりデザインして作っていくこと。

これも含めて私という表現になるのだ。