社会は誰が作っている。

朝ごはん

納豆ごはん

白菜ととろろ昆布のお味噌汁

ほうれん草のお浸し

おやつ

ヨーグルトと桑の葉茶

夜ごはん

砂肝や野菜をオーブン焼きしたもの

味付けは塩とクミンのみ

 

画像撮るの忘れてなかったら

作ったものなど食事をあげていこうかと思う。

撮ろうと思って気づいたら食べ終えてることも多いのだけど。

 

ちきりんさんの新刊を無事購入。

喫茶店で早速読書。全国民に必要な本だぜ。。

私が学校の先生だったらちきりんさんの本は必修にするね。。

ちきりんさん4シリーズ今回で終了だけど

全編を通して主体的に生きるということが串刺しにされている。

 

あとはNetflixで新聞記者があがったので見始める。

映画が出た時に話題になった理由がすぐにわかる。。

この事件を私は一生忘れたくない。

忘れてはいけないことってあるってこういう時に思う。

不完全な人が人を犠牲にせずに生きていくためには

社会はひとりひとりが作っているものという意識が必要だし

全てに問題がなくなり平和になる世界なんて

人間が不完全である以上こないかもしれないけど

それでも諦めて手放しにしてはいけないことってある。

人として捨ててはいけない気持ち。

「人を軽視する」ということが世界から無くなってほしい。

 

少し前に、Z世代の人々の中に

「環境問題や人権の問題をやったって何も変わらない」と言って

何もしない人はださいと思ってる人がいるという話を聞いた。

もちろんZより上の世代にもそう思う人はいるけれど

30代や40代には「社会を変えようとする人は意識高い(ネガティブな意味で)」

「興味がない方が普通みたいな人」みたいなのは多いような印象を受ける。

それがダサいと若い世代が一刀両断することは

すごく眩しいし希望に感じるし私も同感だし

その一方で謝りたい気持ちにもなったりする。

 

自分の世代が見てみぬふりした問題を

若い人たちが尻拭いをする。

そのことに対して申し訳ない気持ちがある一方で

任せた!おれは寝る!とはしたくないので

私は私にできることで社会に参加していきたい。

本はプレゼント。

たまにやってくる

朝の4時から7時くらいにかけての

言葉が出まくるタイムがやってきたため

昼まで寝た。

寝不足が一番腸の調子を崩す気がしてきたため。

 

今回は象徴的な夢を見て

そこから目が醒めたあとに

「あ、もうやめにしようあれ」とすとんと思うことがあって

そういうことをメモにつらつら書いていた。

 

昔やりたかった生活のあり方を

今ならできる気がしてやってみようと思ってた。

その後に夢を見てやめにすることが出来て

新しく何かささやかなことでも始めるためには

今持ってる別のものを捨てる必要があるのかもなあなどと思った。

それを自分の無意識の中で整理されて答えが出た気がして

人間てよく出来ているなあと自分に感心した。

 

夕方くらいから今日は本屋さんへ行き

ちきりんさんの新刊買おうとしたら明日入荷だったので

他の本を見てたら「これは欲しい!」と思う本がみつかり

それが三千円といつも買う本の値段より高くて

「そして明日はちきりんさんの本を買うしなあ」と思ったが

欲しい!と思ったのでその突発的な出会いを大切にすることに。

 

最近読み終えたのは同志少女よ、敵を撃て。

久しぶりに小説読みたいなと思い読んでみたけど面白かった。

タイトル回収の場面で

「敵とはそれのことか!!!!」という

読み始めた時は想像してない答えに辿り着いていた。

 

誰もが逃げられない場面において

復讐心や愛国心のためと思いながら

この戦いとはなんのために行われているのだろう

こんなにも犠牲者を出し大切な仲間を失いながら

自分の中の動機に対する疑いがわいてきたり

信頼していた人の醜い姿をみたり

敵のように感じていた味方に実は守られていたり

そういう人間の表面上や簡単な言葉ではわりきれないことが

戦争に駆り出される人々の中に描写され

それは今の現代にも通じる部分があって。

読んだ後に色々な味わい方ができる本だった。

 

こいつつまんねえなぁと思っても

相手には相手の歴史があって様々なドラマを超えてきていて

そういう事を知っていったら

どんな人もつまらない人間なんていないのかもな

なんてこと考えた。

自分がその人の物語を分かっていないだけで

ぱっと見とか話した感じだけで判断するのは

相手がつまらないのではなく自分が浅はかな判断をしているのかもなあと。

 

舌だけ京都に。

しょへさんとおみきが京都旅行に行ったみたいで

お土産を頂いた。めちゃうまだった。

この粉の部分がお抹茶もお抹茶で全く甘くなくて

わらび餅の部分もほのかな甘みで・・と言いながら

お菓子の食レポって「そんなに甘くない」みたいなことを

ポジティブにいう傾向あるななんてこと思ったり。

お菓子なんだから甘くてええやん。

しかし確かにアメリカの甘いドーナッツとか甘すぎると思ったりもする。

「甘すぎず」「くどすぎず」みたいなのが良い傾向ありますよね。

「いきすぎない」が良いことみたいな共通言語ですかね。

 

あとこういうお土産物って

千葉とか茨城の海に行ってお土産にアジの開きなど

海の商品!みたいなものの産地をみると

「ニュージーランド」とか海外が書かれてて

「千葉やないんかーい!」と髭男爵ばりなツッコミを

したいがためにあえて産地を見たりするのだけど

もらったわらび餅はわらび餅こそ福井県産であったが

一緒に付属でついてた抹茶は京都府で作られたもので

髭男爵がでなかった。

 

この画像のお皿を作られたご夫婦がいらっしゃるのが京都で、

だもんで私もいつか京都にお会いしに行きたい。

それ以外でも日本の南の方だと

山口県の萩市(吉田松陰の旅)と

島根県(出雲大社に一度は行ってみたい)に行きたいなあと

昔から思っている。

学生の頃に静岡の下田に吉田松陰の旅に行ったら(旧村山行馬郎邸という名だった)

そこにいる説明をしてくださる方に

「こんなにお若いのに来てくださって・・・」みたいな

感慨な感じを出してくれたのを今でも覚えている。

そのまま静岡の伊豆では川端康成まんじゅうがある宿に

泊まってないのにまんじゅうだけ買いにいったりした。

そこに泊まれるほどのお金がなかったんだと思う。

懐かしい思い出。

学生の旅としては確かに渋い。

 

旅行先で執筆は昔からめちゃくちゃしたいことのひとつなのだけど(執筆したり温泉に入ったりして文豪プレイをしたい)

長らくめるちの介護をしていて一泊旅行もできないので

めるちの介護が全うできたら色々な場所に旅しにいきたい。

 

とはいえ今住んでいる千葉県も良いところは沢山あって

まだまだ行けてないところばかりなので

千葉に住んでる間は千葉記も書けていけたらいいな。

千葉はなんたって海があるのが最高。(埼玉県民の憧れよ)

しかし南北に距離があるので最南端とかは

もう他県かってくらい行くのに時間がかかる。

埼玉は南北ではなく東西に距離がある。(南北もわりとある)

 

埼玉はさきたま古墳や川越の城下町みたいなとことか

秩父のマニアックなスポットや

長瀞も美しい場所だったな。

埼玉にある数々のイオンも・・・・。

川口はもちろん、グリーンセンターとか名所っぽいとこは

地元だとあんまりいうほど行かなくて(浦安市民がディズニーあんま行かないのと同じかも)

もっと馴染みがあるのはやはりなくなってしまったけどそごうとか

太郎焼きとかだなあ。西口公園とかリリアとかね。

川口は少し入った場所に昭和の街並みがわりと残っていて

そういうのも味わい深い街だなと思う。

少し入らない場所は高層マンションだらけになったけど。

マンションの数からもわかる人口の増加と駅の大きさの規模が

見合わなすぎだろと思うくらい人が増えてると思う。

 

生まれてから30年は埼玉にいたのでそこそこ足を運んだけど

10代20代は腰に重りがついてんのかってくらい

腰の重いめんどくさがりな人間だったので

30代にしてようやく子供の頃のような軽やかさが出てきた。

30代の今、遠足とか運動会があったら絶対楽しめたのになと思う。

玉入れをもう一度やりたい。。。本気でやりたい。。。。

 

話はだんだんと流れたけど

昨日はしょへおみきの京都旅行記を聞いて楽しみ

今日は舌でも味わえた日になった。

人は影響を与え合う

お別れ会へ。

ひろを失ったことについて

メンバーとおみきと

みんなで自然と輪になって話していた。

ひろが言ってたこと、してたこと、最期のことに想いを馳せた。

私は涙が出て、やはり写真や動画は直視できなかった。

まだ受け止められないんだろうなと自分に思う。

別れの会だけど別れたくないし

なんなら亡くなったことさえいまだに受け入れたくない。

駄々こねる子供みたいにやだやだ!ってまだ言ってる。

でも今はそれでいいのだと思う。

年々もかかるだろうから、何年もかけようと思う。

 

人の前で泣いて、ひとりの人についてみんなで話し合ったのは初めてだった。

これが仲間なのかと感じた。

みんなが互いの人生の一部に関わってる。

喜びだけじゃなくて痛みや辛さも一緒に受け止めて分かち合ってる。

ひとりだけどひとりじゃないってこんな感覚のことなんだろう。

よく妊婦さんに「あなたひとりの体じゃないのよ」という言葉を聞くけど

みんな、自分ひとりの体じゃないのかもと思った。

影響しあって生きているから。

 

そのあとで、大樹が入るまえにベースを弾いてくれてた

ましーと再会して

みんなでご飯を食べた。

メンバーたちとご飯食べるのなんて何年ぶりだろう。

しょへ夫妻がまじで鬼のように食べてて

胃袋が化物じゃねーかと思った。

みんなこの数年で色々ことがあったけど

それでも生きて会えて話せてることに感謝。

メンバーもそうだし応援してくれるファンの人もそうだし

この人たちが死んだらひとりとして涙を流さないことはないだろうな。

 

繋がりができた人には誰も死んで欲しくないなんて思ってしまうし

自分がいつか死んだ時に残された人の気持ちを思うと辛い気持ちになる。

でもどのタイミングで死んでも私は幸せだったなと今の時点でも思う。

それだけ素晴らしい人たちに出会えたから。

でもまだまだやりたいことがある。

だから心身の健康には気をつけあいたいと思う(自分だけじゃなくて

周りの人も)。

身の回りでも見てて無理しがちな人が結構いるから

そういうののサポートやケアはお互いにしあえたらいいなぁと思う。

言うは易しなんだけども。

 

一期一会とか命に限りはあるとか

よく思ったり目にしたりしてても

身近な大切な人を失うことで

ここまでその事実が身に染みるものかと思う。

ありがとう、ひろ。

暗闇の灯り

最近は起床後に最初にするのは白湯の準備。

お湯をコトコトさせてる間に

にんじんのみのきんぴらを作る。

昨年知り合った方のお皿に載せて。

素敵なお皿だなああ。

 

白湯の後はお湯に漢方を混ぜたやつを飲む。

寒い日に白湯や漢方を飲んでると

すごい集中すると腸まで飲んだ液体が

温かくじんわり染み渡るのがわかる。

 

これも昨年購入したお気に入りのカップ。

お皿の方とは別の作家さんのものなんだけど

なんだか色味といい私の好みを感じる。。

桑野葉茶?というお茶を購入したので飲み始める。

 

サボちゃんに1ヶ月ぶりに

ちょーっとだけ水をあげて日向ぼっこを眺めながらお茶。

 

今日は8km近く歩いた。

遠くのコンビニに行く途中に日が暮れて

知らない土地で電灯があんまりなかったのでびびってたら

川がいきなり出てきて綺麗でなごんだ。

水面に映る灯りが好き。綺麗だなあ。

 

今日は作業をしに喫茶店に行ったのだけど

歩いてたらどんなことが起こったのか

消せるボールペンで書いた紙達が綺麗に消されてて

めちゃくちゃ焦った。

筆圧でうっすら跡が見えたので上からなぞれたから良かったけど

スーファミのドラクエの冒険書が消えた時みたいな気持ちになったよね。

もしかしたら私の背中の熱かなんかでこすれて消えたのかも。

そんなことある?

消せるボールペン怖っと思った。

今回もめちゃくちゃにはかどった。

形にしていくのが楽しみだ。

 

量が少なくてみすぼらしいのだけど。笑

夜ご飯は手羽元ともも肉、じゃがいも、パプリカ、

キャベツ、いんげんをオーブン焼きした。クミンをのせて。

今回230度で20分かかった。

ハンバーグより長い。

 

全てが異言語の中で

同じ言葉を持つものを探しているのか

遠い昔に産声をあげた時から

孤独を感じるわけは

君の心の穴に僕が重なるはずだから

僕らが出会う前のカケラが痛むからだと

そう思えば痛みさえ祝福に変わるだろう

照準を絞るように

気持ちを研ぎ澄ませる

ガラスに触れるような痛みを持つ冬の寒さは

どこか気高く それが故の痛みにも感じる

僕らが出会う前の痛みを感じきると

同じ言葉を持つものを探す道のりが

どこか懐かしく

道のりを遡っているような気がしてくる

それはどこかでカケラを落としたということなのか

母親から切り離された赤ん坊の痛みに似ているのか

春になろうとする季節を止められないように

落としたカケラはもう土に還って元に戻らない

人生はそんな虚しいものだと君は嘆くだろうか

人生はそんな虚しいものなのかと君は問うだろうか

そんな虚しいわけがないだろ

そこで結論づけていいわけがないだろ

いつも気高さには痛みが付き纏う

痛みを手放したものは楽になるが

その楽にどれほどの価値があるのだろうか

 

同じ言葉を持つものを探している

遠い昔に産声をあげた時から

決められたものにたどり着くために生きている

オーブンへの魅力 その時自分はどちらを選択するか。

最近オーブンを使う料理にはまっている。

昨日はハンバーグを焼いた。

付け合わせにパプリカ、ジャガイモ、インゲン。

全部載せてオリーブオイルと塩だけなので簡単。

我が家のオーブンでは230度の余熱なし15分で良い感じに。

今日の朝ごはんは昨日のハンバーグの残りちょっとと野菜ちょっとを

またオーブンで。

アルミホイルでそのまま焼いて食べちゃうので見栄えはあれだが。

焼けた時の油が沸沸してるのと良い香りが漂ってくるのがたまらない。

 

昨日なぜオーブン焼きが良いか考えていたら

魔女の宅急便で何かの女性がいう

「私このパイ嫌いなのよね」というシーン。

あのパイが焼けるシーンって確か

かまどみたいな所から出てくるんだっけか

パイを作るシーンがあって

それがものすごい印象に残ったんだった。

 

そんなに何回も見た映画じゃないんだけど

あのシーンに子供心に惹かれた。

クッキーをオーブンで焼くのもワクワクする。

だんだん漂ってくる香りと

開けた時に料理の正体がちゃんと見える

あのプレゼントを開ける時みたいなワクワク感

それがあるから魅力的なのかもなと思った。

 

昨日はめるちが「ご飯食べたい食べさせて」がすごくて

三時間ずつくらいに起きてご飯をあげていたので

めちゃくちゃに眠い。

寝不足だとおへそまわりが鈍痛する気がする。

なので今日は省エネモードで動いている。

起き上がったのも昼ちょっと過ぎだけど

もう夕方になってしまった。

今後の曲以外の方針など紙にまとめることはできたので

今日は図書館に本を返しに行って

喫茶店でぼーとしてから帰宅してくる。(帰宅してくる?)

 

借りていた本はレベッカソルニットの災害ユートピア 。

普段は自分や相手の肩書き立場

利害関係など分断要素がてんこもりの社会なのに

災害が起こると人々は自分や他人を分断するものなど取っ払って

お互いに相手のために尽くす共同体ができあがるという話。

 

そう思う時、パラダイスへの扉は実は地獄の中にあるのでは?と

レベッカソルニットはいう。そして何を信じるかが重要だ、と。

 

確かに東日本大震災の時、私が乗っていた電車が止まったのだけど

隣の車両では知らない人々が自販機で買った飲み物を配りながら話し合っていた。

私はロックンロールな格好をしていたので終始孤独を感じていた。

ギターも持っていたので(「おっ、姉ちゃん歌手かい?

景気づけに一曲なんか弾いてよ」って言われたら何を弾こう・・・)と

妄想していたのだけど

そんな心配はよそに全く声をかけられなかった。

 

共同体が手を取り合う一方で

避難所で女性がレイプされる事件もかなり起こっていて

それなのに避難所の秩序が乱れないように黙殺されていた

という話を聞いたこともある。

そんな事は絶対にあってはならないことだ。

人には欲望に負ける弱い面と自らの良心を選択する面とがある。

その時自分はどちらを選ぶか。

遠回りの意味

握りしめていた手を緩めると

必要なものが入ってくる

だけどそれは

力が入り硬く握りしめるほど本気だったからこそ

緩めた後に入ってきたものの価値に気がつける

 

自分の世界だけで悪戦苦闘してた時には

自分以外の人間が必要なことに気がつけない

だけどそれは

周りが見えないほど夢中になったからこそ

自分の限界を知ることができた

そして他者へのリスペクトや受け入れることに繋がることができた

 

そう思えれば

遠回りな時間も

ただの無駄な時間ではなかったのかもなあと感じる。

出会いと別れ

年始の出来事をもとにして

昨日しょへすんとした話し合いがすごく濃密で明確なものになった。

それでもって今日の明け方4時に目が覚めて

めるにご飯をあげるがてら話し合ったイメージから

色んなものが湧き上がってきて結局7時近くまで覚醒していた。

 

そして目が覚めたら実家にいた鳥が亡くなったとの連絡。

もう長老も長老で、老衰だった。眠るように亡くなったみたい。

先月、今月と訃報が立て続けに起こるなぁ。

我が家にも長老であるめるちがいて一昨日昨日と寒くなったせいか

体調が悪そうで強制給餌していた。

「めるちももうそろそろかもなあ」と思いながら世話していると

昨日の夜から結構体調良くなっていて

すげえなこいつ。。。とちょっと思ってしまった。

10歳生きることを目標にうさぎの飼い主たちはお世話しても

かなわないこが大半なのに

我が家は今年の3月で13歳になる。

めるも亡くなる時は苦しまずに眠るように亡くなってほしいなあ

なんてことを最近考えたりする。

 

生きて何かと出会うとそれは別れもセットになる。

自分や相手が死んでしまったらその別れが変わることはない。

なので互いが生きているうちには大切な人には大切にしているという

アクションをとった方がいい。

別れの悲しみは辛いものだけど

自分の人生に相手が存在していて

温かい思い出がたくさんあったことを想像すると

悲しみで終わらせてはならないよねと思う。

感謝と、温かさを抱きしめたいよね。出会えたのだから。

食と育

年越し蕎麦。シンプル!

エビは揚げ物なのでちょっとやめまして

このネギは私が玉ねぎを育てたネギ!

自分で育てたやつなので一個残らず食べました。

自分で作るってモノの大切さがよくわかるなと実感しながら。

ちょっと見栄えがあれなんだけど(汁が少ないのか)

お正月はお雑煮を作った。

2022年に入ってから食欲がまして

元旦の日はなんとお餅を6個も食べた!

会った人全員にこのことを自慢している。

 

これもあんまりうまくとれなかったのだけど

最近の夜ご飯はめちゃくちゃシンプルに

野菜ともも肉を塩とオリーブオイルかけて

30分じっくりオーブン焼きしたもの。

今日はクミンをかけたらめちゃくちゃ美味しかった。

お腹の検査してから「スパイスは控えなきゃだめなのか・・?」と

ちょっと落胆したが

かけるくらいなら良いだろうという事で。

まぁ調子良い時は何食べても良いんですけど。

 

でこの脅威の長いやつ。笑

これはニンニクを使わないでいたら

冷蔵庫の中で芽が出ていたので

こんなに寒い中でも芽が出るなんてすごいなぁ、でも寒そう。

と思って外に出して育てることにしたら

ぐんぐん伸びまくってこんなことに。

そして案の定愛着がわいてしまい食べることができず

そのままぐんぐん伸びているのであります。

玉ねぎのネギはなんで食べれたかというと

ニンニクと違ってちょっと枯れ気味だったので

悲しみの切断式をやったのです。

 

と、そんな食などの素朴集。

1日1日のこういうささやかな出来事や

1食1食を大事にしてると

幸福度がだだあがりします。

幸せはどれだけあるかというよりも

今あるなかでいかに見つけられるかということが大きい。