死刑囚表現展

死刑囚表現展に初めて行った。

日を浴びるわたくし。電車に乗り八丁堀へ。

都会の川を眺めつつ。

八丁堀は伊能忠敬とゆかりのある土地らしい。

彼は55歳から地図作りを始めたようで

あの頃の55歳だと結構な年だったんじゃないかな。

人生いつからでも何が新しく始まるかわからないものだ。

日も暮れて到着。

思ったより人が多くてびっくり。

植松死刑囚や、加藤死刑囚などの作品も展示されていた。

植松さんの表現の

エネルギーのなんとも言えないうねりのようなものに魅入られた。

風間博子さんの作品にも惹かれた。

詩に涙が出そうになった。

なぜだろう、描写と気持ちの混ざり方にグッとくるものがあった。

 

奈良少年刑務所で詩のワークショップをしていた

寮美千子さんの著書

「あふれでたのはやさしさだった」にある

罪を犯した少年の詩の研ぎ澄まされ方にも驚くものがあった。

 

その質の高い表現を表す機会に恵まれず

(むしろ葛藤や苦悩の存在が表現を研ぎ澄ませていったのだろうか)

普通という社会に押し込まれ

そこで普通に生きることもできずに

思考の癖が大きな歪みとなり

結果自分と他者を傷つけるに至ったのか。

 

刑務所や死刑に至るほどの行為をほとんどの人は犯さない。

それは自分が正常な証というより恵まれただけのことにも思える。

その罪深い行為を犯した人間の背景が通常と異なるからこそ

(そしてそれは当人の苦しみや生きづらさでもあっただろう)

ほとんどの人では書けないものが書け、見ることができるのだろうか。

 

爪弾きにされ狂った人が悪か

人殺しを産んだこの世界が悪か

どちらにせよ誰かひとりだけが完全に悪いことなんて

人間の世界にはないのだろう。

人と人とで社会を作っているかぎり

他者の影響から逃れることはできない。

 

どこで誰と出会わなければ

もしくは出会っていたら

彼女ら彼らは罪を犯さずにすんだのだろうか。

どこまで時計の針を戻せば良いのだろうか。

 

それとも映画ヘレディタリー継承のセリフのように

悲惨な結末を迎えると決められたものは

どんな選択をしても悲惨さから回避することはできない定めなのだろうか。

 

自分が悲惨な結末という定めに向かっているレールに乗ってるとするなら?

それを否定することは誰にもできない。

未来は見えないから。

多くの人は何か事件が起きた時に、自分を被害者の視点から話すけれど

自分が加害者になる可能性だってゼロではない。

 

人間の世と人間のどうしようもなさを儚むように

悲惨さとロマンスさを掛け合わせて

遠くを見る目でいることも可能だけれど

現実的には犯罪に至った人間の環境、対人関係や

心の経緯をもっと明らかにさせて

そこからどう次の被害を減らすか

社会全体で考えて修正していくことが

ただ罪を罪だと叩いてせいせいするよりも

事件を増やさないためには必要なことだと思う。

憎しみや怒りは被害者の方がもつのは当然のことだけど

第三者の人間は無念さ悲しみ怒りを抱きつつも

どうしたら事件を減らせるのかに思考を働かせた方が良い。

感情的になっても、冷静に戻していくことが必要だ。

 

死刑囚の声なんか聞くか!という声もきっと少なくないだろう中

貴重な表現を見せてくれる場所があることに感謝。

そして死刑囚の表現と共に

遺族の方の言葉も併せて知りたくなった。

加藤死刑囚の裁判で殺された19歳の少年の父親の言葉

「俺はお前を絶対に許すことはできない」

も、失われた人の心にある言葉もしっかり見つめたい。

 

加害者、被害者、死刑囚、遺族。

こういう枠組みに当て嵌まった人でも

その枠組みの仮面を外すと

誰1人同じ人間はいない。

そのひとりひとりの声をもっと聞きたくなった。

 

死刑に賛成か反対か。

それを意見するのにまだ私は情報と思考が足りていない。

この間テレビで飯塚事件を見た時に

真相は定かではないが

冤罪で死刑が行われることの可能性について考えるとゾッとした。

 

この死刑囚表現展を知ったきっかけは

加藤死刑囚のネット記事を見たから。

「表現展への応募が唯一といっていい生きがいであり

自由に表現できる場を確保してくださることに感謝しています」

と書いてあって

言葉や思うことを表現する場があるということは

私が思う以上に大切なことなのかもしれないと思って

死刑に至るほどの罪を犯した人の表現とは

どんなのだろうという気持ちで足を運んだ。

加藤さんの書いた絵や言葉を見ながら

彼はもうこの世にいないという事実がなんとも不思議に感じた。

 

寮美千子さんの本からご縁みたいなものがあるのかもしれない。

自分が嘘のないあまりにも人間的である歌をうたいたいと思っているから

導かれているのか、出会うのか。

 

あまりにも人間的故にうまく生きられなかった人や

いきなり大切な人を奪われた人の慟哭も含め

人間というものについてもっと見つめたいと感じてるこの頃。