完璧じゃないのが君の良さ

本日は歯医者さん後に今月の手紙の制作。

もう残すところ今回の物語は3回。

制作風景はちょっとだけインスタのストーリーズに載せたので

あと20時間くらい見れます。

https://www.instagram.com/shigi_official

 

今回の曲の最後の一節が

「完璧じゃないまま生き続けてゆく」という歌詞で

結構声を張るのだけど

その歌詞の部分が録音しててちょっと甘い部分があって

綺麗にとれたのもあったんだけど

甘い方を採用することにした。

この歌詞のメッセージに添いたかった。

前々から何度か書いているけれど

私の惹かれるものに

揺れているやオーバーや完璧でない

綺麗に整ってない部分にその人の人としての匂いがする

と考えていて、そこに惹かれる。

 

皿でも綺麗すぎるものより

少し尖ってたり主張してる部分がちょっとだけある方が好きで

愛車のコペンも2人乗りで狭いし不便だけど

それがまたコペンの良さでもあったりと

綺麗すぎたり完璧すぎじゃないものに惹かれる。

それが私にとっての人間という存在。

 

ライブでの演奏がいいのにCDだと良さが半減するのは

(私も何度かライブの方が良いと言われたことがある)

その生々しさにあるのではないかと思う。

技術が発達したことで録音ものは音程もガッチガチに修正できる。

もしくは歌わなくたって機械に歌わせられる。

それもその面白さがあるけれど

人としての面白さはその人のもつ生々しさではないかと

思うようになってからは

自分の音楽のあり方も

今までのあり方に縛られず

より生々しさを伝えた方が良い所は伝えたいと思うようになった。

 

例えば中川家の漫才を見ていると

枠からはみ出た生の良さを如実に感じる。

あれはどこまでが台本なのだろうか、と感じるほど

どこから枠で、どこからはみ出たのか

はみ出たものも枠内なのか、見ている方がわからなくなる。

 

守破離のように、守れて初めて破れるところが

この生々しさの部分なんだろう。

 

一方で、日常でも「守」の部分がとても大事だと感じるこの頃で。

食事、睡眠、運動、インプットとアウトプット、

そういうもののバランスがとれた状態を保つことが

表現での破や離に繋がるための大事な部分なのだろうなと思う。

この日常の守ができていないと

些細な事に振り回されたり集中力が弱かったりして

何かと生きづらさを感じてくる。

 

日常のあり方も音楽のあり方も

土台の枠がきちんとされて始めて遊べるのだろうから

土台のチェックは定期的に自分会議を開催している。

今のわしに必要なのは定期的な運動と(最近歯の治療が痛くて出来なかった)

食事を決まった時間にすることである!(これがまじむず)