自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいた。

今週の月曜日から献立を1週間分決めて、

活動のスケジュールも決めてそれ通りに動いてみた。

絵本の楽曲2曲、新曲1曲、アレンジ1曲ができて

やりきったが後半息切れしたので来週は改善しよう。

 

今晩は鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、おいしい菜、にんじんのマリネ。

 

「死んだときにどう自分のことを言われたいか」という言葉がある。

ひとつの生き方の指標になる。

 

自分がどうあるか、どういう姿勢で生きていきたいか。

そういう気持ちの高まりがじわじわと去年の夏くらいから出てきていて

好きに色々やっているようで自分が本当にしたいと望んでいることほど

実は避けていた部分があるとわかった。

 

めんどくさいから、怖いから、色々理由はあるけれど

本当は白湯が飲みたいのにずっと水を飲みながら「白湯のみたいなあ、

でも今は水の方がいいのかも」って思っていた。どういうこと。

 

今週、特に楽曲制作に集中した。

やりたかったけどやってこなかったことをやった。

自分の想像よりも成長した作品ができて自分に感動した。

自分がやりたいと頭でずっとぐるぐる思っていたことを、

自分が形にしてかなえてくれた感覚がして涙がでそうになった。

 

私は昔から人に評価されることより(良いと言われるのは嬉しいけれど)

自分が自分を興奮させた瞬間に一番喜びを感じる。

 

自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいたのだ。

不安の、恐怖の、めんどくささの、

その先に行った自分の姿を、自分がずっと待っていたのだ。

 

よく思う。

昨日の、過去の自分に良い姿を見せられる自分でありたいって。

そういう自分のあり方が信頼できると、

例えば今日全然何もできなくて落胆したとしても

明日の俺よ頼んだぞ、、という気持ちで落ち込みすぎないですむ。

弱い自分がいて、そいつができなかったバトンを受け継ぐ自分がいて。

 

 

今日が大したことない一日でも、過去がどうしようもない日々だったとしても

未来の自分がその地続きとは限らない。

自分が本当はどうありたいのかを自分に問えば問うほど、

自分の中にある心の声が目を覚ますような感覚がする時がある。

そしてその自分は自分が思う以上に逞しく、大きい。

 

誰にどう見られたいか、誰が何を言うかより

自分はどうありたいのか。何を望んでいるのか。

利益より、勝算より、もっともっと深い部分にある自分の心の声に問うてみる。