外れた音程は愛するに値しないのか。

ヘッドフォンで音楽を聴く時に

vestaxやMPCからインターフェースを通って聴いているのだけど

vestaxで細かいノイズが発生しているようで

それを最初は気にして綺麗にしようと思っていたのだけれど

音が鳴った後に遠くで小さくプツプツ…と言っているのが

なんだかとっても雰囲気があって良いなと気に入ってしまい

今ではそのままにしている。

日本のノイズ界の重鎮の方の言葉の中に

「外れた音でさえも音だ」というような内容が書かれてあって

それまでの私は音が当たっていないか、

とかにばかり目がいっていたために

その言葉がとても目から鱗現象だった。

あくまでも私のしている音楽は

ポップスではあるのだけれど

そういうのを抜きにして

何かの決まった枠からはみ出しちゃいけないなんて

なんだか退屈な話だよな、とその時感じた。

そう感じるのは、私が決まった枠をとても意識してしまう

生真面目な人間だからこそなのだけれど。

これは私の長所でありコンプレックスでもある。

ある部分で生真面目さが

自分の心に鍵をかけてしまう時が多くある。

はみ出たものを愛せる空白を持ちたい。