足を動かせ

五月二十一日。雨曇り

起きてから今まで動きっぱなしだった。

秋葉原で打ち合わせがあったので到着すると

台風かと思うくらい雨が降っており

テンションがあがった。

ここまで降られると気持ち良い。

打ち合わせの後は

蕎麦屋で昼食をとる。

自炊が中心になると

蕎麦やうどんをあまり食べる機会がない。

夏は素麺とかやるのだろうか。

久しぶりの蕎麦美味しかった。

私は麺つゆをほとんど必要としない。

喫茶店で少し今後の話。

あがったデモの歌詞をどう手をつけるか。

まだ納得のいく答えが自分の中で出ていない。

用事を終え作業があったので川口へ。

一通り作業をして今は帰りの電車の中。

さすがに頭と体の両方を動かしてると

疲れて思考停止になる。

今日はぐっすり眠れそうだ。

毎日の向き合い方

五月二十日。曇り晴れ

台湾で買った火鍋の素を使って鍋をする。

めっちゃ美味しかった!

辛くて癖になる味。そうそうこれこれえええ!

二つ買ったのであと一つ。食べるの楽しみだなぁ。

昨日は牛丼買おうとしたら牛肉がすごい高かったので

お財布に優しく豚丼に変更。

ほうれん草のおひたし作ったり

茄子の生姜焼きと味噌焼きの二種類作ったり

お味噌汁作ったり細々としたものを作った。

作り置きが何種類かできると嬉しい。

食は大事です。

実家を離れて実感するのは

自分が何をするかとかの判断がとても増えたこと。

特にささやかな日常の判断。

洗濯物を干そうか

部屋の掃除をしようか、どこまでしようか

ご飯は何にしよう。残り物で何を作ろう。

そうやって自分でひとつひとつ答えを出して行く。

仏教では「毎日の小さな仕草のひとつひとつが修行」と

言っている人がいて、それにとても納得している。

この修行をめんどくさがると苦でしかないけど

目の前の小さな出来事(例えば洗顔するとか)を

どれだけ集中してやるか。

毎日の小さな出来事を丁寧に生きるということが

人生の豊かさに繋がっている、とも思える。

だってなんでもない日常が人生で一番多いんだから。

そういう意味で、日常を楽しめるということは

人生を楽しめるといっても大げさではないと思う。

私はそれを「ちゃんと生きるために」としていない。

楽しむために、満足するために、という感覚だから

疲れている時はむしろ何もしない。部屋も散らかり放題になる。

散らかすのも自分の意思だし、片付けるのも自分の意思。

思い立った時にしたらいいや、と思っている。

決めつけず、縛らず、しなやかに。

言葉を楽しむ。

私ってブログのテキストが長い。

これは敢えてそのままにしているのだけど。

楽しい人といると、ご飯を食べた後にお茶にいったり

お茶に行ったあとにご飯食べに行ったり

飲みだと二軒目に行ったりする。

そこで黙っている時に

「何話そうかな〜、何聞こうかなぁ」と

考えている時間が好きだ。

それをテキストにしたら随分長くなるだろう。

それは半分は話をしたり聞いているようで

半分は遊んでいるのだ。その空間そのものを。

だからブログも気分がのっている時は長くなる。

それはその書いている空気を自分の中で遊んでいる感覚が近い。

その空気に浸り続けていたいなぁ

だから次にまた言葉をつなげて文章にしたり。

私は本当言葉が好きなんだなって思う。

言葉なんてなければよかった、と思う時もあるけれど

それでも言葉があってよかった、と思う。

言葉を使う。ストレートやカーブや。皮肉や純粋性や。

そうやって扱ったりそう扱う人の言葉を聞いたりする瞬間は

人間であることの贅沢さを感じる。

見上げる瞳

五月十八日。曇り

川口市中核都市移行一周年で

花火大会があった。

この季節の花火はなかなかない

地元愛も相まって良かった。

川口での花火大会は60年ぶりだそう。

打ち上げ開始の時間が早すぎて

花火が全く見えず

花火と花火の合間に

迷子センター情報を流して

時間稼ぎをし始めたり

曲とのコラボで

曲が終わっても花火だけ打ち上がり続けたり

曲が鳴ってるのに花火が先に終わったりして

その感じが川口ぽくて良かったな。

現場はすごく大変そう。

肌寒い中で見る花火も良いものだ。

その後やることがありすぎて

実家にいるのにてんやわんやした。

全くくつろがなかった。

終電で川口駅を発つも

どこかまだ花火の興奮さめやらぬ人達が

楽しそうにしていた。

お祭りは楽しいよね。

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