極夜の日々よさらば

欲望まみれの重油のように暗く重いエネルギー

呪縛霊のような執着心

私は全て払い落とす

誰の要求する手も離す

私は自分の役割に生きる

自分の求めるものを見る

何度でも飛び立つ

くそだる案件に感謝

くそだる案件があったことで目が覚めた。

昔からずっと微妙に負担だったけど、

どこか仕方がないかな〜なんて放置してた負担を

もうきっぱり全て置いていくという腹が決まった。

おとなりさん撮影。わしゃーもう戻りまへんで!

(私が勢いでした謎のポーズに付き合ってくれるふたり)

 

自分が鎖にぐるぐる巻きにされてるような気分になるもの

その関係性や環境からきっぱり旅立つ。私にふさわしくないので!

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昔、数人の霊感系の人に言われたことが、私は守られてるということ。

人間にもそうだし、人間よりもっと大きいものにも守られてるらしい。

でもそれはなんか自覚している。

嫌だなーと思うことでも最悪のことにはならない。

むしろその事態によって自分に必要なことが気付いて歩きだせることが多かったり。

 

守られてるの話はもうひとつあってこっちが本題。

「守られてる人っていうのは人が寄ってきやすい」と書いてあるのを見た。

守られてる人だから、その人に救われたいと思う人が寄ってきやすいんだとか。

なんとなくこれも今思い返すと色々腑に落ちる。

 

私が限界!もーむり!と思った話もここと繋がっている。

パッションで話したいのでたっぷり更新するつもりだ。

私のもーむり!は個人的な話ではなくて社会の歪みと繋がってたから。

この出来事でなんで私がパッション道場なんていうものを作ったのか

自分のしたことの意味もよくわかった。

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求めていない部類の人が私に寄ってくること(お客さんとかファンの人ではなくて

プライベートや仕事上の人間のことです。)

これを長年、めちゃくちゃありすぎたが故に

仕方がないかとか

大人だから少しは我慢したほうが良いのかとか思って

自分の本心に蓋をするのが当たり前になっていた。

でもそれは違うとはっきり気付いた。

強く生きるとは、そういう欲望の亡霊達とうまく付き合うんじゃなくて

甘えてんじゃねえ!!!!と喝を飛ばすこと。

俺に甘えんな!!!!!と悟空みたいにぶわっと波動みたいなのを飛ばすこと。

 

自分の足にしがみついて邪魔するものを弾き飛ばして

自分が真に望む道へ向かって歩み出すこと。

その道へ行く!!!!と心から決めきったときに

新しい道が開かれるような気がする。

それが成長するということなのかもしれない。

自分で腹落ちして、このままではいけないと覚悟を決めて

自分の意思で、自分の責任で道を作っていくこと。

これがある意味で一番後悔しない生き方なんだと思う。

 

それには勇気が必要で、大体勇気をだすのってめんどくさいから

なんだかんだ理由をつけて今に留まり続けるんだけど

守ってる存在みたいなのが「いい加減にしなはれえええ!」と言って

いやーな出来事とかを突きつけてきて

「こんなとこいてられっかあ!!!!」となり、私の重い腰があがる。

そう思うと、目の前の課題の意味とか、

目の前のうざい奴の意味とかがわかってくる。

私が新しい道へ行くためにそいつが使われたのかもしれないとか思ったり。

 

 

自分をどんどん軽くしていく。

先月から少しずつ自分が素直に楽に生きられてる感覚がして

今月めるちが旅立ち、その後でくそだる案件があったことで

どんどん自由に身軽に生きる方へ進んでいっている。

今年はもう1月からすごいわ。

初七日と物言わぬものの逞しさ

めるちに綺麗なお花をいただく。

今日は初七日なので、めるちの好きなりんごジュースをお供え。

美味しくいただく。

これからめるちの節目の時にはりんごジュースを飲むとしよう。

 

我が家には植物がいるのでそのお世話もするんだけど

忙しいと全体に丁寧にお世話ができないときもある。

 

我が家にはアロマティカスという植物がいて

前に植物を買った時におまけでついていたのでいまだに一緒にいる。

こういうやつ。

 

でこいつの葉っぱが風かなんかでとれて、地面に落ちていた。

葉っぱについてた小さな茎が地面の方を向けて落ちていて、

私はあんまり気にしないでその植物に水をあげていた。

今日その植物をよくよく見ていると、地面に落ちた葉っぱが

地面に根っこを生やし出してちょっと大きくなっていてびっくりした。

放置してる間に別の成長をはじめている植物がいるとは…

生命の力ってすごい。

 

廃墟みたいに人がいなくなった場所に

植物がもっさり生えている場所もある。

植物は本当にたくましい存在だな。

痛み(刺激)を感じると他の植物に信号をだしたりもするらしい。

黙っているから大人しく踏み潰されたりすることも少なくないかもしれないけど

うるさくないものの中にある神秘性や逞しさを感じたい。

 

私がよく喋ったり笑ったり家でひとりでもするからか

めるちゃんをはじめ亀ちゃんや植物など

我が家は静かなものに溢れている。

それが私には居心地が良い。

ものを発さないものが何を欲しているかを知ることは難しい。

でも長年一緒にいると何が欲しいのかも少しわかってくる。

表情が変わらなくても体調の悪さもなんとなくわかってくる。

長年一緒にいてよく見ていれば、言葉はあまりいらなくなるのかもしれない。

わからないものを理解しようとする姿勢みたいなものを

こうして私は生活から学んでいるのかもしれない。

「悲しみを引きずりながら歩くのではなく区切りをつけて歩き出すことにした」

私と一緒に住んでいたうさぎのめるちゃんが大往生しました。

そのことで感じた数日間のことPart2

2:22 リスペクトする人の存在は困った時ほど良いお守りになる

3:28「 区切りをつける=気持ちに嘘をつく」は違うと思う

4:52 自然に湧いた気持ちを肯定しすぎると何が怖いか

6:00 自分のこの先の幸福のために悲しみを手放した

7:54 落ち込みが続かないのは短時間で思い切り落ち込みきるからかも

11:07 介護は片手がバトンでずっと塞がれてるような状態みたいだった

13:30 寂しさと開放感の相反する気持ちを抱いている

16:24 仏教の「この世は地獄」と「生きるは修行」は本当良い世界設定だよな

18:24 感情の首根っこをつかむ自分に対するリスペクトも抱いたりする

「どうしようもない悲しみをどうする」

https://open.spotify.com/episode/0tDgzanjK7d3CWQVTRHItU?si=X24RrE3ITx6h93Y7UhsX4A

私と一緒に住んでいたうさぎのめるちゃんが15歳で大往生しました。

そのことで感じた数日間のことPart1

3:02 年始からすごいお別れが来た…

12:26 愛と喪失は隣合わせというこの世の修行…

16:00 悲しみの中で中村天風の本を読んだ

16:40 悲しみは感じても良いけれどいつまでも握り締めるな

19:00 ありのままの感情のままでいることの危うさ