君が

君が落ち込む日でもなんの心配もいらない

君が自分を責める日でもなんの心配もいらない

君がここに生きていることは

君が乗り越えてきたからここまで来れたこと

僕は知っている

君にもよく知って欲しい そのことを

君が絶望するのは君が幸せを知っていたから

全てが無くなっても 積み重ねた日々がある

それが君を裏切ることはない

だから

君が落ち込む日でもなんの心配もいらない

君が自分を責める日でもなんの心配もいらない

ひとり

人と離れてひとりでいるときほど

その人の大切さを感じることができる

その人との思い出に触れることができる

夢の中で会う

顔を見て笑って話すときを想像する

私が今拾っている花を集めて

君に渡すときを

見ずに見 触れずに触れ

夜にしか見えないものがある

夜にしか生まれないものがある

朝の輝きに照らされたとき

そいつはたちまち姿を消して

しかし見ようとすれば

そいつはいつでも見ることができる

生きてる人間が生きてる人間にできること

上島さんが亡くなられたことにすごく驚いた。

あの人がどうしてって周りが思う人ほど

心の中は見えないものが存在しているのだろうな。

心と肉体から解放されて今は楽に休んでいると思いたい。

生きていくしかない残りの人の心には色々な後悔が渦巻いてると思う。

私もそう。

だけど天国で見守ってくれてるから頑張って、そして楽しんで生きていこうって

いつかそう思える日がくる。

時間は本当に少しずつだけど、溶かせてくれる。辛いことも楽しいことも。

その日までは悲しい、辛い、を封印しなくていい。

 

最近ひとりでこもり制作をしていた私だが

立て続けに人に相談を受けることがあった。

みんななかなかにハードモードな人生を送ってるなと思う。

名前は言わない方がいいか?だけど

シンガーソングライターの友達の今後の音楽の未来を

一緒に考えてみることになった。

シンガーソングライターはひとりで気楽にやれる反面

どうしても客観性を失いやすいしひとりで背負いがちな人も多い。

一匹狼的な。

私も昔からずっとそんなところあったけど

今は相手の人生の役にたつのなら

自分が知ってること学んだことならなんでも提供したいし

一緒に考えて導き出すことの手伝いをしたい。

私が口を挟んで私が導くというよりも

相手が相手の中に眠っている本当を素直に溢れ出していけば

そのお手伝いをすれば

そして方法論を知れば見つかっていくものだと感じている。

やってみないとわからんけど。

 

ひとりで頑張って苦しまないでって思う。

それはずいぶん私が人から助けてもらったから思えることなのだろう。

ひろを失ってすごく身に染みて思ったことは

まじで自分も他人も命はいついきなり終わるかわからないってこと。

コロナに戦争に地震に、ニュースで立て続けに報道される自死に。

世界で色んな事が変わって、そしてギリギリで生きてる人が沢山いる。

 

ひろを失って、私は自分がひとりで抱え込んでるプライドや見栄や

人に渡したくないみたいな小さなケチくさい気持ちみたいなものが

本当にどうでもいいものに感じはじめた。

自分だけ得したいとか、人が幸せになるのが許せないとか

昔からそういうことは思ってなかったけど

昔以上にそういう小さな気持ちで生きていくことにはもう

なんの魅力も感じなくなった。

 

だってそんなものは死んだら持っていけない。

今生きている人に、今生きている人ができることは

自分だけを守るとか人の足を引っ張るとかそんなことじゃない。

それぞれが自分の資質を生かして

自分と他人が幸せになっていくことだと思う。

今幸せじゃなかったとしても

それを作っていこうとすることが人生の良い場面。

 

私はそれなりに自分の好きに生きている人間なので

そういう人たちの悲しみや悩みや迷いを聞くことは難しくない。

でも余裕がない人は難しいと思う。そういう人は自分に優しくするのが優先。

 

人が打ち明けてくれた苦しみや悩みを一切否定せずに抱きしめたうえで

なるべくその人が少しでも自分が生きたい生き方ができるように

一緒に作っていけるものがあったら喜んで協力したい。

 

私はファンの人や周りの人に恵まれているし生かされているから

その私が今、日常でできる人への恩返しはそれくらいだと思うから。

 

でも私は自分のやりたいことが優先の女なので

考えることや作業をしている時期は人の話をガン無視する時もあるんだけど。

(ガン無視された人ごめんなさい悪気はないんですてへぺろん)

 

無理をしない程度に、だけどその人に対して自分ができることは

なんでもオープンに差し出したいし協力したいと思っている。

 

昔はひとりで抱えたり、恥ずかしいから人に言えないこともあったけど

ひとりで頑張ろうとするのって強いことじゃないんだなと思った。

むしろ人に打ち明けたり、人と一緒に生きていける方が勇気がいるんだなって。

 

私はみんながなるべく自分の生きたい道を選んで

自分なりの幸せを作っていけることが願い。

最近思ったことは、これは綺麗事で言ってるんじゃないんだなってこと。

もっと自己中な気持ちが入ってるんだなって。

私が自分の生きたい道を選んで自分の思う幸せを感じたいから

自分だけがそれを叶えることは無理だ。

みんながどんよりしてるのにひとりで笑ってることもできなくもないけど、楽しくない。

だからこれは自分のために願ってることなのかもなと思ったりした。

雨の中からみる快晴

場面が変わっても時が経っても同じような壁にぶつかるとか

どうにも気持ちがスッキリしないとか

自分の中で見ないふりをしている課題がある。

そいつが雲行きを怪しくさせる。

それに着手することを面倒に感じているか

変化を嫌って見ないふりしている。

でもそいつは消えることはないからじわじわと場面を変えて現れる。

そういう人を何人も見てきたし自分自身も長くそいつに苦しめられた。

 

私が孤独を感じるときというのは

自分の中で向き合うべきものを避けている

自分の中の自分を直視しない孤独だった。

 

踏み出してしまえばなんてことはなかった。

でも踏み出したからといって毎日が晴れになるわけでもない。

より自分を知りより自分を生きようとすることは

自分に責任を持つことを決めるということは

楽なことではない。

けれど踏み出してしまえばその清々しさを知る。

 

晴れはまた曇りになり時に暴風雨にも変わる。

でも永遠に続く雨は今のところは経験がない。

むしろ雨だから感じられる情緒がある。

孤独や悲しみを深く深く味わうことが愛おしく感じる。

それもまた私の一部として存在している。

新しく現れたそいつを迎え入れたい。

どこにも愛が繋がっていれば恐れるものは少ない。

それらが全て創造することの喜びに繋がると知ったからだ。