自分を信じるに値する行為をしていくこと。

「私ってこういう人間だから」と自分にいうと

「だからそれはやれない」という制限につながりやすい気がしていて

それよりも「今の私はどう感じてるか」「今の私はどんな風か」という風に

「今」に焦点をあてて考えると

なかなか今の自分仕様な感覚を自分でつかみやすくなるなと思った話。

 

今日はお墓まいりにいってきた。車も洗ったし色々ぴかぴか。

片道50km近い道のりを、行きは洋楽、帰りは邦楽を流しながら。

昔好きでよく聴いていた音楽をかけていて

「自分の役割を演じられないやつはくずだ」という一節があり

それがすごくおかしかった。私好きそうだなーって。

車と音楽の相性は最高だなぁ本当。

 

その音楽を聴いてた頃はまだ膜の中でうだうだしていて

今の私があの頃の自分に声をかけるなら

なんて言葉を言うかななんてことを考えた。

 

「君は自分の人生に集中するのにびびってめんどくさがって

恋だなんだの刺激で暇つぶしして自分をごまかして

問題を見ないようにしてるよなあ。いい加減自分のことに集中しろよ」

と言うだろう。

そしたら昔の私は

「それはそうだけどそれはそうだけど、でも良い曲かけるんだよ?てへぺろ」

とか言いそう。

それに対して私は

「知らん。空想を生きるな、現実を生きろ。」

そう言うと

「だってどうしたらいいかわからないんだもん」

と言いそう。

「自分のしょぼさとだらしなさくだらなさを見つめなさい。

そうすると周りがしてくれてた事がよくわかる。

一回くそほど落ち込んでそのあとで冷静になってきたら

ただ今のしょぼい自分なりにできることが見えてくる。

その頃には自分を受け入れる余裕もできてきているから

あとはできることを楽しんでやってらっしゃい。

思いっきり好きにやっちゃいなさい。」

 

でも人生に無駄はないから、とフォローする人もいそうだけれど

私は私に対してはそうは思わない。

自分をごまかしてる時間なんて多いだけ無駄に決まっている。

きつく言えるのは

自分の可能性はそんなみみっちくびびってる所でとどまるものじゃない

と今の私が昔の私に対して言えるからで

だからフォローや優しい言葉は私が私にかける必要はない。

 

慰めなんてあの当時の私には毒にも薬にもならない。

それよりもお前はお前をいい加減信じろ!ばかになれ!

ださくてもしょぼくてもゼロからでもいいじゃねえか!

自分のできることをやるしかないんだから精一杯やれ!

正面から見つめて生きろ!それは思ってるより地味だがな!

でもそれがなりたかったお前の生き方だろ!!!

だったら言い訳しないでそれをやれよ!楽しいぞ!と言いたい。

 

もしかしたら五年後の私は今の私にもっときつい事を言ってくるかも。

「五年前の君へ。あの頃はわかったつもりになってましたね」

今の私「ひええ」

でも、こうやって他人が見て厳しく感じられることって

私にはそのほうが楽しいからやってるっていうだけの話。

ある種のプレイみたいな。

自分に辛口の方が楽しいからやっているという話。

 

はたからみたらしんどそうに見えることも

本人からしたらしんどく生きない方が自分の力を持て余しててしんどい

というパターンもある。私はそっちの人間。

なので上記の私の厳しい愛のムチっていうのはムチに見せかけて

「お前他人でごまかすより自分を生きたほうがよっぽど

楽しいから早くこっちこい!」って言っているのだ。

 

でもあの頃はそんな事できなかったけど。

変に真面目に生きようとするっていうのが一番つまらないしきつい。

だってそこに自分がいないから。

自分不在で自分を生きる人生ってきつい。

他人や顔色でごまかすってそういうこと。

変に真面目に生きるくらいなら本当に真面目に生きたほうがいい。

本当に真面目になれないんだったら

今の自分のまんまで毎日勝負したほうがよっぽど楽しい。

それが一番自分が自分にしてやれること。

 

でも昔は変な真面目さばっか背負っててできなかったけど、

その数年後の私はやれてるから昔の私よ安心せい、とも言いたい。

自信っていうのは、人からの評価なんかじゃつかない。

自分が信じたことをやったうえでの評価ならつくかもしれない。

でもそうじゃないなら、自分が自分で考えた経験を重ねていくことと

その決断をした自分を信じてあげるということが自信になると今は思っている。

自信てのは自分を信じることだから。

自分を信じるに値できる行為を自分が自分に見せていくしかない。

自分の生き方を見ているのは、他人なようでいて実は自分だ。

自分を信じられなくなるような生き方を自分が選択してはいけない。

 

でもそれは「自分は間違えなんておかさない!」って事を信じるんじゃなくて

「やべ!めちゃくちゃ壮大に間違った!」っていう事も

認められる自分の方が信じられる。

俺はこんなもんだ。でもこんなもんの俺でも悪くない。

それなりにやれてる。そう自分で自分に言える生き方をしていきたい。

 

もはや間違いかどうかなんて本当にどっちでもいい。

そんなことは本当にたいした事じゃない。

自分で考えて決めたことをやったかやってないか、それだけ。

実験と変化の積み重ね。

昨日は実験的なものと新作を4つ描いた。

ソリッド系。マットとグラデーションをいれたもの。

レジンを使ったものを実験的に。

すごい綺麗だ。。そろそろ本番にいこうかな。

 

ものを描く時も作曲する時も私は一気に出す。

出さない時はインプットしたり考え事したりイメージしたり

心の中にそういうのを溜め込んだあとで作品に出すのが私には合ってる。

 

昨日は興味深い人を発見した。

面白いなとぐっと惹かれる人には色々調べ物していても

年に1回あるかくらいなので嬉しい。

何かやってる時以外はずっとその人のことを調べていた。

音楽とは違う職業をしている人なのだけど

趣味で弾き語りをしたいことと海が好きなことを知って

弾き語りと海が好きって俺やないか と思いちょっと嬉しくも思った。

 

何かを始める時の目的地の設定の仕方や目線の位置。

自分が必要としているものだけを見極めて行う

合理的でストイックな姿勢。

私に近いところ、私がしたいけれど甘い部分

私にはなかった視点

そういうものが詰まっていて学ぶことが多そうだ。

こうして「いいな、すごいな、素晴らしいな」と思う人の

その部分を吸収して自分の一部にする。

生き方や作品の微細な部分に変化がでる。それを楽しむ。

自分が納得できるもので固めていく。

先がわからないということが楽しい。

考え、決め、実行。

手紙をはじめてからはや4ヶ月。

今月にしてかなり自分の中で

手紙を向かわせたい方向のようなものが

定まりました。

今回はその一発目になります。

 

元々はその月に私が感じたことを歌にして

手紙だけでしか公開しない楽曲

と銘打ってした企画であり

それは現在もその通りなのですが

けれども自分の中で

「曲ではない散文詩の意味」

「それと楽曲との符合」

「それとデザインとの符合」

ここらへんがいまいち自分の中で散乱していて

とっちらかってる感が否めなかったのですが

 

シギの怪物の作品で「見えてきたぞ感」とともに

手紙も「見えてきたぞ感2」となり

今までの中では一番整合性の取れた作品になったのではないか

と思っています。

詩も、もう詩ではなくなっていますが

それも楽しんで頂ければと思います。

 

大体ボリューム的に

楽曲>詩 というバランスをイメージしていたのですが

今回は

楽曲<詩 かもしくは

楽曲=詩 という感じに繋がったひとつの作品となっているので

どうぞこの月の変化もお楽しみ頂ければと思ってます。

 

このように

はじめたばっかりのときは手探りながらやって

でもその中でだんだんその状態に満足がいかなくなって

もっと出来ることがあるんじゃないかと考えて

それを形にしていく

そういう成長や変化の過程を私は歩んでいるので

その成長や変化のお届けが

手紙を注文してくださってる皆さまの毎月の歩みとともに

一緒に歩んでいけてるような感覚がしていて

とても嬉しくまた気が引き締まる思いです。

 

無駄に長いブログ「いるべき人と出会うために」

コペンちゃんは結局原因不明のまま帰宅。

できればチョイ乗りじゃなくてもっと乗った方が良いみたい。

電車で海に行こうと思っていたけどコペンちゃんと行こうかな。

前は本当に乗りまくっていたから年取って休憩のつもりだったが

それが逆にあんまり良くないなんて。

コペンちゃんはまだまだ現役でやってもらいますかね。

 

行きと帰りは昨日モーニングで作詞した曲を聴きながら

この部分はもうちょっとこうがいいななどと直し。

帰宅してから直したのを録音してまた直して録音。

だいぶ良い感じになった気がする。

やりたくないことやってる暇はねぇなんていうけど

やりたいことだけでも時間が足りない。。

でも今のところどれも外したくないからなあ。

基本的に家か近辺で作業しながら

週一か隔週で人と会って話す用事をいれている。

あとは月一でお墓まいり。

これが今のところ良い感じのメリハリになっている。

お話を堪能したらまた作業。

 

でもここ数日で、もっと親和性を高めた方がいいかもしれない

と思うようになってきた。

私はライブハウスでもホームを作らなかったけど

その理由は仲良しこよしの集まりができると

なんだかめんどくさい決まりごととか付き合いができたりして

そういうのに付き合うのがめんどくさいと感じる人間だからなのだが

それとは別にしても

「自分に近しい臭いがするものや人」と出会うことって

もしかしたら私が思ってた以上に大切なことなんじゃ・・と

思うようになってきている。

 

そういうのを気にしていない時というのは

何も考えないで出会った人との縁を大切に〜みたいな感覚だったけれど

なんだかいっつもどこかで消化不良というか

ここは互いに互いがいる場所じゃなくない?って思うことが多くて

いやもしかしたら普通に生きていたらそれが普通かもしれない。

けれど流れに流されて行き着いて消化不良だけどそのままで〜って

なんか惰性で面白くねーな!と自分に思って。

 

例えば私は支持している政党は今は見つかっていないので

どこの政党がどうとかの話は学ぶだけでできないのだけど

お年寄りの男性ばかりで若い人や女性が政治にいないという事に関して

思うことはやはりあるし

女性の権利問題も、男性の生きづらさにも興味はあるし

自殺する人や犯罪者が生まれる裏側というのも他人事とは思わないし

そういうものたちに興味を持っている人間だ。

 

怪物の告知を出してnoteを出したあたりに

社会に対して興味を持ちまた活動もしている写真家の方が声をかけてくれた。

私はその時に「あ!やっぱりいるんだ!!!!」と確信した。

 

私の周りでそういう話ができる人や発信してる人はほぼいない。

しょへすんと、身内にひとり。

私が「私はこれに興味がありますよ!好きですよ!」と言っていれば

「僕も、私も、興味あるんです!実際にこういう活動してます!」という方に

出会える可能性は広がるな、と感じた。

 

仲間のひとりでも、似ている臭いがする仲間はいる。

今のところ四人か。四天王。

社会に関心を持っていることや、

摂取しているラジオ番組などの文化が近かったり

料理が好きだったり健康に関心があったり

そういう似たものを摂取している。

けれどそれだけではだめなのが難しいところで

それなりにリテラシーのある人ではないとだめだったり

主張と謙虚さのどっちも持っているというか

基本的に境界線が引けて無礼なことをしてこない人間がいい

と思っている人たち。

 

最近ではここまで言語化することができた。

人間っていうのはそんなに個性個性しているわけではないな

とも思うようになってきた。

みんな生まれた年代ごとの社会情勢や背景で

どんな性格の傾向があるか、なんてのもあったりするし

絶対的個性なんてものはなくて

環境と自分が摂取してきたものの影響で成り立っているのがほとんど。

だから、私に似た臭いの人間はわりといるもんで

今まではそういうのに意識がいっていなかったからいなかった

だけの事なんだな〜と思うに至った。

 

これは作品もそうで、

作者や作品自体も、やはり私は私が作ってきた作品、

そして今後作っていきたい作品、

それの親和性を持ちそうな作品がぐはっとこないわけはないのだ。

だったらもっとそういうものを摂取していき

その影響も受けて面白くしていったほうがいいなぁなんてことを思っている。

そうなると人間の本質やリアルでダークな作品が主となる。

三島由紀夫や泉鏡花を見てきたのは私を作った一部として間違いはなかった。

ブラックユーモアでいくとちびまるこちゃんも。

ジョージ秋山さんの銭ゲバはわんわん泣いた。

アシュラもこの間みた。

昨日は芥川龍之介の地獄変を見た。

やはりなのだけどわかりきっていたけれどすごいし面白いしぐはっとくる。

こういうのを感じることが人間として生まれて良かった〜って思うことのひとつ。

人間の闇と醜さ。そして情。美意識。どうしようもなさ。

 

私がすごいと思うこと、好きだなと思うこと、関心があること

それを同じように思う人と出会ってお話できるようになったら

作業以外の人と会う時間もさらに濃密なものになっていくだろうな。

そうなれるように今は自分を出していく作品作りだ。

これが俺やでっていう濃厚な作品を作っているんで

よろしく!

最近の日課

最近は朝起きてからまず最初に玄関の掃除をしている。

え!!!毎日!?えらいねー

いえいえ違うんですよ奥さん。

これね、毎日やるともうほとんど汚れないんす。

だから楽っちょなんです。

 

まず玄関にある棚を重曹スプレーでさっとひと拭き。(拭くのはキッチンペーパー)

そのあとにブーツをブラシで軽く汚れを落とす。

これが埃とかささやかなるゴミが毎日やっててもついているものなんです。

そのあとに玄関の床をミニホウキでさっさと。

もう毎日やると少ししかゴミは出ないです。

そして最後に棚を吹いたキッチンペーパーに重曹スプレーを少しふきかけて

さっと床をひと拭き。これだけ。

言葉にすると長いけれど

3分もかからずに終わってるんじゃないかな。

あとブーツは月に一度ローションなどでお手入れ。

 

玄関の掃除をする前に洗濯機をまわしておいて

玄関の掃除を終えてから

流れで自分の作業部屋や廊下を掃除機かけたあとに

クイックルワイパーの乾いてるやつでさっとひとふき。

ついでにトイレもふきふき。

そんなこんなしている間に洗濯機の仕事が完了し

あとは干す。

文字にすると長いけどざっとこれで40分くらいかな?

 

今日は早起きしてファミレスのモーニングを楽しみがてら

そのついでに作業をした。

これがめちゃくちゃ良かったので週一くらいで取り入れたい。

やっぱり起きてすぐはアウトプットなのだと確信。

本日は帰宅してから掃除をした。

そうそう

私の家の前が年季の入った渋い一軒家なのだけど

そこの屋根に猫ちゃんが爆睡していた。

なので起こさないように洗濯物を干した。

平和だなぁ。

 

本日は手紙の録音作業を行ったり

時間があれば絵を描くかインプットの時間に。

使いきるで〜。