恐怖は妄想

リスクを避ける事を一番に考える人がいるけれど

どの道を選んでも

その道なりのリスクは背負う事になる

避けるべきはリスクか無難さか

勇気が必要な時に

その勇気を行使できるように

シラフな思考を保ち続けたい

安全と安心から新しいものは生まれない

この人生が一度きりなら

自分で選びたくて選んだ道だと言いたいよな

安全と心中する気はない

新コンテンツと活動について

noteというサイトがクリエイターのためのSNSという事で

文章や音楽や動画が載せられるということで

今後そちらも活用していきたいと思ってます。

 

「シ組」ではシギの音楽の他に

オンラインサロンのようにイベントを開催したり

ワンマンライブやレコーディング体験もできる場所にしていく予定ですが

シギの音楽のみのコンテンツが欲しい方向けに

noteで音楽のみのコンテンツの場所を作ろうと思いました。

まだ審査が通っていないので少し先になるかもしれませんが

通った場合には別で詳細のお知らせをあげます。

 

音楽のみのコンテンツの方では

デモ楽曲の他にも毎回のライブ音源、音声エッセイをあげる予定です。

イベントの参加や動画配信を見たい方はシ組に参加して頂き

音楽のみ楽しみたい方はnoteのコンテンツに参加して頂き

それぞれの楽しみ方を選べるようにしました。

そしてどちらも楽しみたい太っ腹な方や

シギの活動自体をサポートしてくれる方がどちらも参加してくださるのは

とてもありがたいです。

 

サポートを…と書きましたが

今後私の音楽ももちろんそうですが

シ組でも活動自体を拡大させていきたいと思っています。

ボランティアで人に動いてもらうことをなくすためにも

自分の活動で生まれたお金をエンジニアさんやミュージシャンに

きちんと回していける環境を作っていきたいと思ってます。

そしてさらに新しい挑戦をしていくために

自分を生きたいと願う人に届けるために役立てていきたいと思ってます。

そのため、シギの音楽や考え方に賛同してくれる方のサポートは

とても心強くありがたいものです。

本当にありがとうございます。

その言葉をお届けしたく今日のブログを書きました!

色々な活動が広がっていくと思いますが

今後とも宜しくお願いいたします!

人生を面白く。

1.みんなが自分の意思を全うして自由に生きられる社会に

2.相手の意見も尊重して協力しあえる関係に

3.自分の好きを愛して苦手なものを否定することなく

距離をとることを選択できるように。

 

そういう社会や環境が少しでも増えたらいいな

と思います。

私の主張が息苦しい人は

お互い相手の主張は認識しながら

別々の環境で過ごしあえたらいいな

それが多様性なんじゃないかなと思ってます。

多様性は違いも何も全てを受け入れることではなくて

嫌な相手の存在を許容するけれど、近くには寄らない

という選択肢ができることが多様性の社会かなって。

自分の理解できない、苦手だと思うものと過ごすのは苦しいし

健全ではないから。

かといって、自分の色に染めてやる

自分が正しいんだ、お前の考え方を変えろ

といって人をコントロールするのも

不健全なことだから。

 

みんな自分の経験に基づいて生きている。

私は子供の頃に抑圧されたりおかしい事をおかしいと言えない状況だったり

大人の我慢とあきらめ顔に対して疑問に思っていました。

今大人になった年齢だけど

私は我慢もあきらめ顔もしたくないなと変わらずに思います。

人を抑圧したくないし

チームの中に理不尽さが存在していたら

誰かが犠牲になっていたら苦しみを排除するための行動をとりたいと思う。

 

「こういう環境にしたい」とか「挑戦したい」というと

若いな〜と思われるかもしれないけれど

本当は大人こそが挑戦しないといけないと私は思った。

大人が自分の保身や恐怖心を破って良い世界を作っていこうとしてほしい。

仕方ないからと諦めて放置した息苦しい世界を

次世代に引き継がないようにしたい。

若い人たちはきっと勝手に自由に作っていくと思うから

心配とかをしているわけではないけれど。

諦めながら文句をいいながら我慢して生きていくのって

次世代の人によくないというよりも、本人が苦しいと思うから。

苦しいな、どこかもやもやするな、そう思いながら死んでいくのって

幸せじゃないと単純に思う。

なぜかというと、納得していないから。

納得できてないのに放置してれば、それは苦しい。幸せであってほしい。

 

大人こそが次世代のためにも自分のためにも面白がって

挑戦して、失敗にも寛容であってほしいと思う。

 

実際に20代、30代でわくわくしながら働いている人を沢山見る。

失敗も沢山しているみたいだけど、それは挑戦したからこそ。

とてもわくわくできる環境に今いない人は

自分を責めずに、大切にしながら

少しずつ自分を知っていって、今が嫌な環境なら

少しずつ距離を置くようにしていって、

自分の心を取り戻してからでも遅くないと思ってる。

みんながいつからでもやり直せる。

自分への信用も信頼も取り戻せる。

 

あと挑戦するためには勇気が必要だと思っていて

私は勇気というのは案外作れるものだなと感じてる。

この間の腐ってる時の私でも書いたけれど

心が萎えてる→回復する

に至るまでにはある程度決まった過程がある。

これも自分を知ってこそできることなんだけど

勇気を作るのはたったひとりの自分だけの状態では

難しいなと思っていて

誰かの存在を知ることや、何かを通して

気分転換ややり方を知る、わくわくを吸収する

という事が大事だなと思っていて

そのためには直接会わなくても誰かの存在は不可欠だと思う。

お母さんの作ってくれたご飯もそうだし

私でいうと人の生き方考え方を見て気分があがることとか

癒しのためには自然にいって誰もいない場所にいるのもありだけど

勇気を作るのは他人の存在がかなり大事だなと感じている。

 

そこでシ組で、勇気をつくるための材料を

渡していける場所にしたいなと思った。

それは私自身のワクワクにも繋がる

私自身の創作や表現の姿だったり

外部から招いたゲストの生き様だったり

そういうのにまつわる映画を見たり

そういう外部の刺激というのが勇気の材料になる。

それを見て感じて、自分の心に問いかける。

自分にはどんな得意や好きがあるだろうと問いかけたり

自分にもできるかもしれないと思ったり

自分との対話の中で外部の刺激が入る前とは違う意見が

自分の中で生まれたりする。

 

勇気は回復したり萎えたりする。自信と一緒。

萎えたら回復すればいい。

シ組で定期的にイベントを開催していくのは

その萎えた時のタイミングでイベントがあったら来て欲しいな

と思ったから。

気持ちに変動はつきもの。

下がった時にひとりになりたい時はひとり静かに回復させて。

回復させてる途中で刺激がほしくなったらイベントに参加して。

とか、そういう使い方をしてほしい。

そのための場所を用意したいと思った。

 

なんでそんな事までするの?そんな事したいの?と聞かれたら

答えは単純

感動したいから!!!!!!!

感動は心が動くこと。

私は音楽でもそれ以外でも感動して生きていきたい。

それは楽しいだけじゃなく、悲しい、嬉しい、すごい、とか

なんでも心が動くことは感動だと思ってる。

その感動を沢山心に感じて生きていきたいから。

心を動かすことが生きている実感に繋がる。

萎えてる人も自信がない人もどうしたらいいかわからない人も

苦しい人も立ち止まっている人も

何歳でも、どんな過去があっても関係ない。

心の中を換気して空気の循環をして

思い込みをとっぱらって

同じことをしてなくても似たような心を持っている人と共に

(シ組の場合だと自分を生きたいとか、自分も相手も抑圧したくないとか、

もっと自由な気持ちで生きたいと願う人達)

付かず離れずの距離でたまに協力したりしながらも

自分自身の人生を自分で考えて選んで作っていく。

そういう場所になれたら、とっても感動。

 

 

 

私自身が長年、勇気をあまり出せていなかったから。

これからは勇気を出して挑戦をして、

ドキドキと刺激的な目に自分を合わせて

なんだかどうなるかわからないという道を選んで生きたい。

想像がいかない方が面白い。怖いけど、怖さと面白さは紙一重。

体をこわばらせず、恐怖に支配されず

恐怖を使って楽しんでやるくらいの心意気で!楽しんでやろうぜこの人生を。

歌声は生き方を表す。

歌声には生き方が出ているような気がする。

歌う人間として歌い方を意識したり研究する

二十年も歌をうたっていると

機械を使い、音程通りに歌を直すというやり方にも

少し違和感を感じることも出てくる。

ギターもそうで

チューニングチューニングという人もいるけど

確かに周りとの調和

聴きやすさを考えるとそうかもしれない

それが大事な時は多いかもしれない。

けれどそのなんとも言えない絶妙な音のニュアンスに

何を感じるか、何を想像するか

という遊びも大事なのではないかと思う。

渚ようこさんのボーカルを見ていた時に

本来のボーカルの音程よりも

ほんの少し上に歌っていた。わずかに。

それに対してなんとも言えないブルースを感じた。

音程よりも若干上だからこそ伝わる表現。

歌の着地の仕方。入り方。伸ばし方。

歌い方には様々な表現の仕方がある。

私は昔エンジニアさんに

「普通は声を大きく出すと、

だんだん弱まっていくんだけど、

シギは最後の最後に音が大きくなる」

と言われた事があり

これも、自然さや普通を考えると

違和感に思うことなのだけど

これこそが人間の出っ張りなのかもしれない

と私は今思う。

ハードコアの中でやっていた時に

自分ひとりがあの爆音の中で

弾き語りで出ていかなければいけない

その時の不安と負けるもんかという気張りが

その後の私の歌に与えた影響は大きい。

それが、大声が最後に弱まわらずに

最後の最後に大きくなるという

私の中での命が大きく主張している瞬間

が表れている気がする。

歌のうまさには色々なものがあるけれど

その人の生き方が表れている歌手が好きだ。

それは滑らかでなくてもでこぼこでも構わなくて

その人の生き方が表れた歌声が

唯一無二の素晴らしさだと思うから。

AIが表現しきれない、

その人にしか出来ない表現。

試練を華麗に避ける

去年の12月あたりは

プライベートですごく嫌だなと思うことがあって

でもそれを受け入れざるを得なくて

毎日気付くとその感情がやってきて

浅い憂鬱みたいなものに支配されてたな。

あの時は

これが試練だ、耐えよう

と思っていた。

今までは耐えられなかったから

凄いなぁと自分に思った。

まぁ耐えながらちょっと悪い事もしたんだけど。

今になって

あの頃の自分に言いたいことは

そんなに無理して

嫌なことに立ち向かわなくてもいいんだよ

無理なことは無理で

その場から離れても良いんだよ

嫌なことが続くなら

そこは君の居場所ではない

手を離しても大丈夫だよ

手を離して空間が生まれたら

きっと居心地のいい場所がやってくるよ

と伝えたい。

やだやだ、と去年なら言ってたけど

今なら私、避けるだろうな。

だって、嫌だもん。

抵抗もせず、文句も言わず、

苦しませるものからは

離れていく道を選ぶだろうな。

毎日その感情を抱えながら

自分のすべき事なんて集中できないもの。

そんな所で自分のすべき事でも壁が現れたら

手一杯になってしまうだろう。

精神衛生を保つのも大事なこと。

自分が精一杯自分を生きられる場所で

生きていけばいい。

無言の体に感謝を

シ組のサイトをリニューアルしている。

今日は大詰めで

十三時間座りっぱなしで作業していた。

最後の方はもう頭が回らなくて

それがちょっと面白かった。

それくらいフルに頭を使い切ることが

わりと私はあるのだけど

今日はその中でもなかなか上位だった。

思い返せば祈の制作の時とか

何回朝焼けをみたことか。

あの時は本当ひとりブラック企業だった(しょへも道連れ)

今回のは

なんだかあの時とは違う感覚がしている。

あの時は目の前のことにがむしゃら

という感覚だった。

今はなんだか

未来の楽しみのために今にがむしゃら

という感覚がしている。

だからか疲れが翌日に持ち越さない

なんだかさっぱりした疲れというか。

そういう日々が増えているのは

手探りでも自分の手で確かめながら

これだ、と思いながら進んでいるからかも。

あと私最近

毎日体に感謝して眠っている。

今日もありがとう。めちゃ頑張った。

と体に伝えた後で眠ってる。

そうするとなんだか

明日への切り替えみたいなのができる。

今日は終わった、明日のために眠ろう。

みたいな。

体は無言で頑張ってくれているから

たまに悲鳴をあげるけど

無言だったり悲鳴をあげる前に

横になりながらお布団の中で

今日もありがとうって伝えてあげると

気持ちよく眠れる。

気付けば不眠もなくなった。

やりきって、感謝して、眠る。

全然出来ない時もあるけど

煩悩や不安が脳みそをざわつかせる時間も

毎日の中であるけど

うまくコントロールして

体と心と話し合いながら進めていく。

今日もお疲れ様でした。

魂は死なない

大切なことは悲しみに足を止めることではなく

あの志を生かし引き継いで歩みを止めないことだ。

志が引き継がれるということは

その人の思想が生き続けるということだから。

素晴らしい行為に苦しまないように

先日見に行ったライブで、出演者のひとりが体調不良でお休みしていた。

ツイッターなどをしていると告知の部分に

「〇〇さんは喉の不調でお休みになりました」

というものをちょくちょく見かける。

ニュースでも、有名な歌手が喉の不調などでお休みしているのを見る。

もしかしたらそれだけ酷使している人が多いのかもしれないとも言い切れないが

私はこれを好意的な気持ちで見ている。

 

「いやいや、けしからん、わしの時代は親の死に目にも合わずにやったものだ!」

という人もいるかもしれないけれど

私はそういうの前から違和感に感じていた。

 

私の知人のミュージシャンが、ツイッターで怒りの投稿をしていて

自分の子供の幼稚園でのイベントがあるので仕事を断ったところ

「え、仕事選ばないの?」みたいなリアクションだったようで

二度とその人とは仕事をしない、自分は子供の方が大切だ、と言っていた。

私はその人の意見も好意的な気持ちで見ていた。

 

自分が自分の大切な人を公言する、嫌なことを公言することで

それに該当しない人は離れていき

自分に賛同した人と風通しの良い付き合いができる。

もう前のような、誰かが作り出した「普通はこうする」という生き方は

苦しいのでやめにしよう。

そういう世界が少しずつ出来上がっているのを感じる。

 

確かに、親の死に目に合わずに公演をするのは素晴らしいかもしれない。

子供も家庭も顧みずに仕事をするのは素晴らしいかもしれない。

それを立派だと思う人が一部の人の中にはいるかもしれない。

立派かもしれないけど、それってどうなの?と思う人も

きっと声に出さないだけで一部の中にいると思う。

 

親を大事にしたいから親を選んでもいいし

子供が大事だから子供を選ぶ時があってもいい。

その人が大事にしたいものを優先するのが当たり前になってほしいなと思う。

自分の発信をするのは勇気がいることなのだけれど

勇気がいるという時点で、それが許されない社会が今なのだと言える。

「自由ばかりでは協調性がなくなる!」という意見もありそうだけど

協調性や共同体というのは、縛り付けあったり足並みを揃えるよりも

もっと自分を自由に生きて自分の強みを互いに生かし合って

理想に向かっていく方がレベルの高い仕事ができると思う。

それは相手の考え方や力を信頼しあっているから。

縛り合わなければいけないというのは、幼さがある気がしている。

 

もう一点、私も気をつけているのだけど

ツイッターなどは自分の頑張った主張をしやすい。

その影に先日書いたような腐ってる時とか、全然ダメな時とかもあるけれど

意気込んだ方や意識が高い主張ばかりをしていると

それに該当しない人が見た時(たまたま心が折れそうな時とか)に

「あぁ、私はだめな人間だな。」と責めてしまうことがある。

「夢を追って生きてないからだめ」「前向きに生きられないからだめ」

だめなんて事は全くもってなく

心が折れそうな時はむしろ生きているだけでもめちゃくちゃ頑張っている状態

だと思っているから

そういう時はなるべく自分からSNSを見ないなどの

取捨選択をして心を守る方、大事にする方を優先してほしいなと思ったりする。

私の近くにも心が折れかけている時にSNSを見て精神をさらに追い詰めた人がいる。

ツイッターで書かれてることは、ただのその人のほんの一部にしかすぎない。

私のブログも思想や考え方が多いので

好きで見れてもたまにめんどくさいな、とか、なんかしんどいな、と思う時は

画面を閉じて自分を回復させる事に集中してほしい。

 

素晴らしいと賞賛されることは、大声になりがちだけど

それをみんなもそうしなきゃいけない!とならないように

それができない私はだめなの?と感じないように

自分の人生なのだから、自分の大事なものを優先した生き方をしていくことを

推奨したいし、私自身そうしていく選択をしていきたい。

生まれた時点で死につつある

生まれた時点で死につつある

という言葉を見た

生まれた後は後退していけないものな

何か発明でもされれば別だけれど

「死んだ後に忘れられるのが怖い」

ということを言っている人がいた

私にはない感覚で新鮮だった

私は何もなくなってもいいな

今世きっと確実に生き切る気がするのは

今死んでも幸せな人生だったと思えるから

誰も覚えていない方が面白いかもな

そう思えるのはきっと

音楽を残しているからかもしれない

私自身の肉体や精神の臭いが

恐らく作品にうつりこんでいるからかもしれない

その音楽ですらも

いずれ腐敗していき 地面に帰っていったら

気持ちが良いかもしれないな

吉田松陰の志や生き方は

彼の死後も沢山の心に生き続けた

彼の蒔いた種は彼自身が滅びたとしても

その寿命よりもはるか長く

きっとこの先も生き続けるだろう

そのあり方に憧れた

そして音楽はそうあれる可能性がある

彼の足元にも及ばないほどだけれど

音楽の輝かしい部分

ダイイングメッセージのように

それを残して死にたいと思える言葉

自分の中の訴えよりもきっと

自分を超えたものからのメッセージ

 

マウントにも、利用される事にも、NOを。

とある食事会に行った時

同席していた男性が別の男性に

「そういえば、〇〇ちゃん、元気?」と

嬉しそうに聞いていた。

相手は「あぁ、元気にしている」というような事を言っていた。

〇〇ちゃんは、恋人か、奥さんか、と思っていたのだけれど

後から聞いた話によると

〇〇ちゃんはその男性のお気に入りの歌手らしく

〇〇ちゃんが売れるように場所を用意したり世話をしているらしい。

「〇〇ちゃんは彼のお気に入りだからね」

ニヤニヤしながら話す男性の言葉を聞いた時に

私は(私のブログなので私の言葉を単刀直入にいうことを許してほしい)

こいつらくずだな

と思った。

 

売れるように世話をする、というと聞こえはいいけれど

彼らの口ぶりや表情を見ていると

まるでその女性は彼の「お気に入りの物」のような感じだった。

女性も同意の上でやっているのだろうけれど

その関係性を見て、絶対に関わりたくない世界だな、と思った。

 

私は音楽をしている人間だと自分で思っているので

その音楽に敬意を感じないような相手

例えば上記のように「異性として見て近寄る」みたいな感じの人とは

私は話もしない。

異性として見合うのは、互いに興味があるなと感じた場合のみ。

 

 

もう一つ、私が嫌に思う男性の別の話。

昔、私が中学生の頃に

「君を中島みゆきにしてやろう。

ギターが下手だからギターと、理論の勉強をしなさい」

といきなり言ってきた、業界では偉い立場のおじさまがいた。

なんでいきなりやってきた知らない貴様に偉そうに

命令されて動かなきゃいけない

と思い、断った。

 

どんなに実績がある偉い人でも

失礼だと思うことをしてきたり言ってくる人は

私の中では全然偉くない人だ。

 

それでもやはり音楽性もあるのか

私にそう言ってくる人はほとんどいない。

異性として見て行動してきた人も、

20年ほど音楽をしていても数件あったくらい。

私の周りにいる男性も

マウントをとったり女性を物としてみるような男性に

嫌悪感を抱く男性が多いから

冒頭のような男性は一部の人のみだろう。

 

公平性をきすために

男性でも同じように女性から嫌な目にあっている人もいると思う。

ここは私の経験からする話なので

女性からの目線のみになってしまい申し訳ないが、続ける。

もし男性で、そういう人がいたら、書きたい。

 

これを見ているのが女性で

音楽をしていたり何かものづくりをしていて(していなくても)

もし何かこの人おかしいなと感じる人から

叱られたり、君には足りない部分がある。などと言ってきて

君に必要なものを俺はわかっている、という物言いをしてくる人の意見は

大体聞く価値がないと思っていい。

大体、他人を叱る、けなすこと自体が失礼な行為だ。

上記のようなわかりやすいパターンではなく

優しい雰囲気を出していても

あの人と会うとちょっと傷つく感じがする、自信がなくなる感じがする

とうっすらと感じるかどうか、が境目かもしれない。

 

わざわざ「音楽をしていたり…」と上記で書いたのは

弾き語りなどをしている女性に多いような気がしたから。

ひとりで活動している女性に近寄ってくる上から目線の男性。

お客さんでもいるようだ。

 

マウントをとって優越感に浸りたい

自分のいう通りに動かしたい

という他人の欲求をかなえてあげる必要はない。

それはそれで人生のネタになるかもしれないけれど

それ以前に関わっている時間の無駄だと思っている。

互いに相手を尊重した失礼のない付き合いをしたい。

 

我慢して笑って聞く女性は多いように思う。

「そこで波風を立てたらもっと面倒なことになりそう」確かにそうだ。

 

そういう時は最短で時間を終了させることを心がけながら

心の中で中指を立てつつ白目で話を聞いている想像をして時間を過ごそう。

自尊心は他人が守ってくれるものではなく自分で守るものだ。

もし「私は弱くて、何も言えない…」と思っていたとしても

心の中だけでは罵声でも怒声でも浴びせるのがよいと思う。

自分が思うほど、弱くない。

萎縮してしまうのは、あなたが弱いからではなくて

周りにいる人間が偉そうで失礼な人間ばかりだから、という可能性もある。

自由な気持ちを取り戻せたら

案外「私は弱いから…」と思ってる女性の方が

あほんだらーくそったれがー!!!みたいな女性であった場合も考えられる。

 

何を思った、何を感じたか、自分の声にちゃんと耳を傾けて

それを受けいれてあげることが大切だ。

他人が何を言おうが、あなたは何を思っても、何を感じても良くて

その素直な気持ちをなかった事にしてほしくない。

それを消したり殺したりしていると、自分がわからなくなってくるから。

自分を見失っても、周りの人間は責任なんてとらないどころか

もっと「こうしたらいい」「それが足りないんだ」と

あなたの領域にズカズカと入ってくるだろう。

 

男性の欲求を上手にいなすのが女性だ、

それをうまくコントロールして逆に利用するのがうまい女性だ

というのも一昔前はあったかもしれないけれど

それは昔の話だ。

そんな面倒なことをしたくないし

利用してやろうという気持ちをもつような人間関係を作りたくない。

 

健康的なのはやはり、同性で、

自分のやりたい事などを話せる人がいるのはいい。

その時も「えー、やめたほうがいいんじゃなーい」とか言ってこない人。

互いに互いの道を頑張りつつ、たまに会ってお互いを話しあって

すごいな、自分ももっと頑張ろう、と心がほくほくするような関係。

いずれ一緒に仕事しようね、何かしようね

と思い合えるのも素敵だ。

 

そういう女性の知り合いや友達がいない

周りにマウントをとってくる男性しかいなくて身動きが取れない

という女性がいたら、いつでも私に連絡をしてほしい。

偉い人間でも特別な人間でもないので

傷ついたり磨り減った自尊心を回復させるのに

私との時間はもってこいだと思う。

ゆっくり回復させて、健康的な人間関係を築いていこう。

自分の人生を取り戻していくのは、何歳からでも遅くない。