つくる

九月二十三日。晴れ

秋分の日。

明後日歌録りを四曲行う予定だが

二曲出来ていない。

一曲はトラックとメロディあり、歌詞がない。

一曲はメロディと歌詞あり、トラックなし。

作詞をし仮録音。

間に合うのか。。

間に合うのか!!!!!!

なかなかここまでぎりぎりになる事はない。

果物に非ず

嫌がることとわかっていて

どうしてあえて持ち込んでくるのか。

無言のままに秋の夜長に疑問を抱き

不快なまま床に着く。

ここから発つ想像をする。

心地の良い方へ。

人の中に子供のように純粋で厄介な自分がいる。

九月二十日。晴れ曇り

ひとつだけやることを終えたら

今日は好きなことをやる一日だと決めたので

食べたいものを食べた後で

甘いものと抹茶を点てて

彫刻をして映画を見た。

自分の中に潜っていくような感覚でひとり過ごした。

複雑怪奇でシンプルで繊細で大胆な生き物と。

アーティスト、アーティストと特別なもののように

いう人たちがいるけれど

アートは誰の中にもあるものだと思う。

ただそれを怪物のように煙たがって恐れて眠らせているだけで

本当は問題を抱えるように見える人や

深い闇を抱えているように見られている人ほど

自分の中のアートと向き合っているのかもしれない。

そのアートは本来は子供のように純粋だからこそ怪物にみえる。

日常生活を送るためには少し脅威に感じられる時もあるけれど

君の中に眠るアートな自分を誇りに思ってほしい。

思えないのならば私が。

自分の中に眠っているものを見つけるためには

ひとりの時間がとても大事。

ひとりでいる時でさえ様々なものからの影響は逃れられない。

様々な影響から成る自分という生き物が作品。

時々、人や物事と繋がっているホースを切って

自分に帰る時間が必要だ。

自分と作品は繋がっている。

それが時に困難な目に繋がるけれど

迷惑をかけずに生きていくことはできない。

他人にかける迷惑ではなく、自分自身に対して。

自分を苦しめる選択からいかに離れるか。

九月十九日。晴れ

人間関係、目の前に現れた出来事。

結局私は最初に感じた快、不快が

一番純粋で嘘がない部分なのかもしれないと最近感じる。

 

自分についている贅肉のようなものを

削げ落としていってシンプルにしていきたい気持ちが

ここ数週間で少しずつわきだしている。

自分が無理をしないと達成できないことから

いかに離れられるか。

 

無理には私の中で2パターンあって。

「これは無理そうな壁ではあるけど

そこに挑戦することとその先に対してワクワクしそうな無理」

「これは無理そうだしそれを挑戦することを考えると

ストレスになったり神経質になるまじ無理」

 

前者はどんどん挑戦していきたいけれど

後者に関しては、いかにそのものと距離を置きながら生きられるか。

今まで後者のことに関して

「自分がよくないのかもしれない、子供なのかも」とか

「自分さえ我慢すればいい」と

周りを気遣う気持ちがわいたりしていたけれど

 

例えばそれをした時に

そのあとに自分の内面にくるダメージというのは

自分が想像する以上に大きい気がしている。

そういう目に見えないダメージの蓄積によって

次第に自分を見失ったり

自分のやりたいことがわからなくなるような人が

増えたりするのかな、と想像する。

自分の心と自分の理性が友達関係だとしたら

友達が嫌がっているのに

「これをしないとだめだから!」とか

「ちゃんとして!」とかいって

辛いことを押し付けているような感じ。

そうすると友達である心の部分は

どんどん自分の理性と距離をとりだして

離れていって、わからなくなってしまう。

 

人に気を使ったり

目の前のことに真面目に取り組もうとするあまり

少しずつ自分にダメージが溜まっているとしたら‥

そのダメージをつけたのは

他人や嫌な出来事ではなく

それを選択した自分だ。

自分を守ってあげるのも、管理するのも

自分がしてあげるのがいい。

もちろん中にはそれを選べない環境にいる人もいるだろうけれど

それが嫌なのだと思うことを

自分に許可してあげるだけでもだいぶ変わってくるだろう。

「これが嫌なんだね。嫌だったね。

何が好きだっけ。好きなことこの後たくさんしようね」と

声をかけてあげるだけでも

ダメージはだいぶ変わるだろう。

 

例えば私の場合

自分に無理を課す生き方をなるべくやめたいと思ったのは

無理に何かを引き受けたり

居心地の悪い人と付き合うことなど

真面目に向き合いすぎることによって

ダメージが起こって

本来やるはずの音楽の創作や自分の活動に対しての

集中力が削がれたり

力がわかないとしたら‥

そんなのたまったもんじゃない!と思った。

 

そんな「たまったもんじゃないモード」にならないために

自分を本来の力がでるように

自分を理解して、守ってあげなければいけないんだな

それをすることは甘えだったり子供でもなんでもなくて

自分を生かすこととして

当たり前のことで、それが自分に対する責任なのだな

と思った。

 

 

自分の心の動きというのは

本来はとっても繊細で、

注意深く見つめていないとすぐにアバウトになってしまう。

自分とは死ぬまで一緒にいなきゃいけない。

それ以外の物事や人は、9割が死ぬまで一緒にいることはないだろう。

どんなことが違和感やストレスにつながるのかは

人それぞれだからこそ

自分のそれを知るだけで、だいぶ選択はシンプルになる。

選択が絞られれば、生き方もシンプルになる。

毎日起こるひとつひとつの出来事、

そしてそれによって動く自分の心に

注意深く目を配ってみようと思った。

みんな一緒に生きている。

私の家の近くには

色々な生き物がいる。

*最後に虫ちゃんが出てくるので

虫ちゃん苦手な人は注意であります。

 

昨夜、天井にホクロのようなものがついていて

何かと思ってみたらてんとう虫のようだった。

 

今朝起きても天井にいたので

「このまま天井にくっついていても

食べ物がないだろうなぁ。

かといって天井に手が届かないので

外に逃がすこともできないし。

やはり虫取りあみが必要かなぁ」

 

などと思いながら

洗濯物をしたり朝食の準備をしていた。

 

そして洗い終えた洗濯物を干すために

網戸をあけて準備をしていると

何か黒いものが私の目の前に

さっと現れて、驚いた。

 

ちゃんと目視できていなかったのだけど

天井をみるとてんとう虫がいなくなっていた。

 

恐らくてんとう虫は

外に出る機会を伺っていたのだろう。

そして私が窓を開けたのを確認して

外に出て行ったのだろう。

きちんと考えたり見たりしているのだろうかと驚いた。

 

昨日の夜

寝室にアダソンハエトリグモがいた。

この蜘蛛はしょっちゅう現れるので

もう同居人のような気持ちでいる。

 

アダソンハエトリグモは

よく白い壁にとまっていて

昨日もパトロール中だったのだけど

小さな黒い天の汚れに飛びかかった。

恐らく虫だと勘違いしたのだろう。

ただの汚れだとわかると

気恥ずかしそうにすごすごと歩いて行った。

(気恥ずかしそうに、というのは私が勝手につけた

感情なのだけれど)

 

またある日は、

お風呂場の天井にいた。

私はシャワーの水で蜘蛛が落ちてしまわないように

気を使って髪を洗っていたのだけれど

蜘蛛の方も濡れないように

気を張っているような感じがした。

 

そして私が髪を洗い終わるまで

同じ場所でじっとしていて

洗い終わってお風呂場を出ると

すごすごと動き出した。

 

元々私は虫が好きなのだけれど

この家に住んでからというものの

虫にも思うことや

考えがあって動いているのだということを

肌で実感する機会が増えた。

 

もはや道端を歩いていて見かけるような

通りすがりの他人のような存在ではない。

一緒に生きている

相手はきちんと生きている

意思のようなものが

人間のそれとは量が違っていても

存在しているのだと確かに感じた。

 

そして台風の中を過ごして

私は自然という箱の中で

生きているに過ぎないのだな

と思ったり

部屋の中に遊びにくる虫たちを

観察していたりすると

ますます

自分が存在していることは

とても分け隔てがないことなのだなと感じる。

 

そう思いながら生きていると

だんだんと感じ方にも変化が表れていて

 

今日洗濯物を干しているときに

ベランダに小さい蜘蛛が

巣をはっていることに気がついたときに

いつもなら

恐怖と嫌な気持ちになっていたのだけれど

この場所は私だけのものではないしなぁ

なんて思いが自然とわいて

嫌な気持ちにならなかった。

 

「蜘蛛よ、そこに住むことにしたのか」

と思った程度だ。

私は私で、ここで洗濯物を干す。

ただそれだけのこと。

 

夏にはたくさんの虫にあったなぁ。

秋はまた別の虫がやってくるのだろうか。

誰にも汚されない

あなたはこのまま今のままで完璧

不完全な部分を含めて完璧

ここから改変されていくところ

そして元に戻るところ

捨てるもの

全ての行程が完璧

私がそう伝えるよりも

自分がそう思えた方が何倍も意味がある

あなたはまだ気付いていないかもしれない

自分の素晴らしさ 美しさに

気づかないほうが魅力的だと

奥ゆかしいほうが魅力的だと

謙遜を要求する人間に負けないでほしい

親切な顔をして

あなたのことを優しく傷つける人間に

負けないでいてほしい

弱い女が 馬鹿な女が可愛いなどという

男に気を使わなくていい

そういう人間からは離れた方がいい

あなたが自分を愛して

あなたが自分の道を生きることを

否定してもいい人間など

この世にひとりとして存在しない

出会いの一日。

九月十六日。曇り

今日はFM川口でもお世話になって

工藤パイセンにEIRAYさんを紹介して頂き

EIRAYさんの個展にしょへいと共に遊びにいってきました!

場所もさることながらEIRAYさんの世界観が

とても素敵でした。

自由に生を書いて貼るコーナーがあったので

私も書いてきました!

夜ごはんは工藤パイセンおすすめのお店で食べました。

どの料理もめちゃくちゃ美味しかったのですが

特にコンソメスープがおいしかったぁ!

私も個人的に料理や食べることが大好きなので

地元で採れたり栽培した野菜の説明を受けながら

シェフやお店のこだわりを一皿一皿感じて

それを見た目や食感や味で感じられるというのは

とても幸せな時間なんだなぁと思いました。

シェフとシェフの息子さんとぱしゃり。

シェフから「ぶれちゃいけないよ!」と

力強いメッセージを頂きました。

また絶対行きたいー!

沢山の素敵な人との出会いをした一日だった。

 

ものづくり

九月十五日。晴れ

ラジオを録る。

話そうと思っていなかったことを

流れで話し出したら

それが止まらなくなった。

普段の思っていることを話すと

かなり自然体でいられるんだなと

話しながら感じていた。

そういうのが多くなるといいな。

終わったら喫茶店で作詞。

はじめにいくつか言葉を綴り

あんまりだないまいちだなと思いながら

ある一つの文章をきっかけに

つらつらと書き進められた。

他の人の言葉や文章の形よりも

自分の本心から出た言葉は

しっくりくる。

これでよかったんだなぁと

少し感慨深い気持ちになる。

物をつくる事が楽しい。

お茶はじめました。

九月十四日。晴れ

曲の録音を三曲。

集中したので疲れた。

作詞は明日にまわすことにした。

今後のスケジュールを決める。

色々楽しんでもらえそうなもの満載。

これを作りたい!という気持ちが

沢山湧いている。

ひとつひとつ形に残していこう。

お茶をはじめました。

記載できず。

九月十三日。天気不明。

そして行動も不明。

恐らく行動しまくってくたびれていた。