友人たちの平均値が自分

「友人を何人かあげてその平均値が自分」という話を聞いたことがある。

この間なぜかはわからないけど

自分の周りにいる人たちのことを紙に書いた。

その人のどんな所が好きか、どんな所を見習いたいかも書いた。

書き終わって見渡して驚いたのは

私の友人は全てフリーランスか経営者の人だった。

冒頭の平均値が自分というのは確かにと思った。

友人の仕事の状況を考えると

0に近い友人から、何社も経営している友人もいたり。

幅広いなと楽しめた。

みなさんもぜひやってみてほしい。

「ええ?この人たちの平均が自分?」と思うなら

もしかしたらどこかに遠慮とか歪みや不和があるのかもしれない。

 

それから普段は特別人とLINEなどで話すことがないのだけど

最近はその友人の中で「やっぱこの人とは繋がってたいな」と思う数名に

改めて近況報告したり、むしろ向こうからいきなり連絡がきて驚いたりした。

それは前に少し話したけれど

相手に届けて相手が喜ぶ言葉なら積極的に伝えていこうと思ったから。

挑戦見てるよ、応援してるよ。という事を伝えようと思った。

LINEで話ながら、会いたいねえって話をした。

「会いたいね」お互いが純粋にそう伝えあえる関係って良いなぁ。

 

その友人の今後の話や葛藤の話を少し聞きながら。

葛藤や考えることを話すと

「悩んでる」と捉えられてアドバイスをしてくる人がいるけれど

この友人のようにより良くしようとしてる人は

常に試行錯誤しながら進化しようとしているのだから

葛藤や考えることは当たり前の付き物なんだな。

その状態が自然体。

悩み、葛藤、不安を言葉にすることで自分の中で整理されて

自分の中で答えが出てきたりする。

だから求められない限りはアドバイスはしない。

私はその話をうんうんと聞いて

それを自分の中にも反映させたりする。

 

 

「変わろうと決めるといろんなことが起きる」とよく聞くけれど

私も変わろうと思った時に体調の変異などを聞くことになったのだけど

それでも起きた事は受け止めて

むしろこの先

自分を動かしやすくするための取り扱い説明書に使えるわと思いながら

進んで行く。

 

より良く進化していこう。アップデートしていこう。

そう思い合える関係性に囲まれながら。

私も友人にとってそういう存在であろう。

何があっても、どんな逆風が吹いても、誰かに否定されても

私は君がやろうと思ってやったことなら、なんだって応援するよ。

毎日をデザインする。

洗濯と軽い掃除を終えて

作業机の前にブランチのために作った卵サンドを置く。

この机に座ると、目の前にある開いた窓から空が見える。

 

今日の雲はまるで夏のようなもくもくとした雲だった。

夏が来るんだなぁ・・

と、ありきたりな事を思った。

 

今年の夏は、少し特別な年になる。

去年の今頃は海外に行く予定が重なっていたため

せわしなさとわくわくさが共生してる感じだった。

 

今年はまるっきり違う。

共通しているのはわくわくしているということ。

7月と8月の2ヶ月は全てを私が考えた私のための時間として使おうと決めている。

やりたいと思った制作に挑戦する。音楽以外にも。

その制作の刺激や素材を集めるために海などの水辺に行く。

夏の旬の野菜を使った料理を楽しむ。

喫茶店などでお茶を楽しむ。

怪物のEPも大詰めになる。手紙も書く。ネットでも言葉や映像を置く。

やりたいことが宝箱にいっぱい宝が入ってるみたいにあふれているので

一つ一つ、一日一日を大事に過ごしていこうと思う。

試行錯誤をしつつ、会いたいと思う人に会う時間を作る。

それ以外の目的に合っていないものとは少しお休み。

この2ヶ月をデザインして作っていく。

 

好きなこととやりたいことだけで過ごす。

私なんかはもしかしたらいつもそうしてるように思われるかもしれない。

いつもそうしているんだけど

今年になるまでは気を使ったりノリで誘いに乗って

結局楽しくなかった(少し考えれば楽しくないことはわかるのに)とか

これする必要ある?みたいな集まりの時間とかがあった。

そういう細かい惰性でなんとなくの感じで時間を使うというのを

やめにしたいな〜やめよう〜と思ってたのが4月から今月にかけて。

で実際にやめた生活をして自分のやりたい生活のみで送ってみようと

実験してみるのが7,8月。

 

これらを「せねばならない」精神ではなく

「私の夏休み」としたい。

制作も制作のための外出も好きな人に会うことも

全てが私の中の軽やかな遊びであり冒険である、としたい。

人生を遊ぼう!って感じ!

私の信仰

面白くないことに笑わずにすむように

常識的なものに自分の可能性を制限されずにすむように

自分の城を作っているような気持ちでここ最近は過ごしている。

 

そうすると俗世から少しずつ遠ざかっているのを感じる。

世間的な中で生きる人との距離ができそうな気がする。

それはそれで不便かもしれないけれど

自分の住まいを見つけたのだから

なんでも揃いたがっても仕方がない。

 

この街は宗教の信者が多いように感じる。

喫茶店やファミレスでその事を感じる。

何かの信仰を広めることに力を入れる人を目にする。

 

信じる者の強さはある者にとっては恐怖だ。

暗がりも眩しさも 行き過ぎたものは人に不安を感じさせる。

何かを信じることを他人にも強要する

私はそれをしないように気をつけている。

気をつけていないとすぐに傲慢さが顔をだす。

人を脅してでも、不安にさせてでも

自分の思う方に他人を導きたいと願う。

それが良いか悪いかの話というよりも

その事で生じる人の怒りや力みから

今は距離をとりたいと感じている。

 

自分に正直に生きていると 信仰が芽生えてくるのを感じる。

特定の宗教を信仰するというものではない

何か自分の中から芽生えた信じるものが形になってくる。

 

もしかしたらキリストでも仏教でも

その教えを抱いて深く自問し生きたものは

そこから自分の中の新たな信仰を芽生えさせるのかもしれない。

自分の中に哲学や宗教が作られていくのかもしれない。

 

違和感とは距離をとる。

しかし私が違和感を覚える者にも愛は染み渡ってほしい

愛とはそういうものなのかもしれないと最近感じる。

「愛が染み渡ってほしい」という祈りのような気持ちが

愛のひとつなのだと感じる。

期待も欲望もない

情熱も力みもない

ただ流れる水のように存在しているだけの

愛の種類のひとつ。

 

私が人里離れて自分の城を作る時の方が

人へ向ける愛が深まっていくのを感じる。

その愛の清浄さがどんどん増していくのを感じる。

 

自分の命に耳をすませ 目を見張る。

人の怒りも愛も 社会的な問題も 自然の美しさも

不思議と今の私には

全てが静止画のように止まって見える。

そのひとつひとつを手にとって

私はそれを静かな気持ちで見つめる。

そのあとで作品として形にしていく。

望むものをひとつずつ始めていこう。

 

設計図を作った。次は石を集めるところ。

子供のように身軽で好奇心を持って。

 

今とその先の楽しみを作る。

手紙がまだ全て終わったわけではないですが

だいぶのひと段落です。

 

今回初めての経験だったのでだいぶ学びました。

カード払いの方に向けた発送をする時に

封筒にぴっとテープをさりげなく貼ったらかっこいいと思い

そうしたら郵便局の方に

「これね、中開くと怖いからテープ貼っておくね」と

かっこよく貼った上から思いっきりセロテープ貼られました。

「デザインと、安全性のバランスを考えなければいけないんだな」と

勉強になりました。

送られた方の中にセロテープ貼られてましたら、私の勉強の証です。

 

そんな学びを色々しながら、七月もお届けします。

この手紙は、その年のその月にしかお届けしない楽曲です。

ご注文下さった方と、シギとの間だけで知っている音楽と言葉を

どうぞお楽しみ頂ければと思います。

 

六月は梅雨の感触と現在の心境にマッチする音と言葉を作りました。

七月はどんな作品になるでしょうか。今の私も想像できていません。

七月に入ってから制作を始めます。

この月はおそらくめちゃインプットアウトプットの月になる予感なので

そこからどう影響されるのか。私自身も楽しみです。

 

同じ今と、この先どうなるかわからない未来を

この手紙で楽しみのひとつとして共に生きていければ幸せです。

今の所、手紙は満員になっています。

空きが出ましたら募集をかけますので

参加されたい方はその時にぜひご注文下さい。

自分を知るワーク

「自分の特性にあった環境づくりをする」のブログに引き続いて

自分の特徴を生かした制作や発信などを整理した。

私という人間はいちいち振り返って整理しないとゴッチャゴチャになって

迷子になってしまうため。

定期的に振り返ったりおさらいをしつつ、次どういう一歩を踏み出すか書き出す。

 

この「書き出す」という行為。

みなさんはやっているのだろうか。

私は中学生の頃から好んでカキカキしているけれど

もしかしたら私が普通にしている事も

していない人もいるかもしれない。

していない人にとってもしかしたら面白いかもしれない!

と思い、シ組の方でプチワークをブログと動画でお伝えしようかなと思った。

私が書いてること、伝えるので一緒に書いてみましょう!というもの。

「自分を知る」というものをコンセプトにして。

 

これ、オフラインでイベントとしてワークショップとしてやろうとしていたのだが

まだイベントをコロナ禍のもとでどう開くかが決められていないため

ワークショップのライト版、ネット版でやってみようと思いました。

少しでも自分を知って、自分と仲良くなって、人生を納得した作品にしてほしい。

そういう人を見ているのは私も嬉しいし、自分自身も実践の最中だし、

一緒にそういう人生を作っていこう!と思ってます。

 

六月の手紙もひと段落したので(別途ブログ書きます)

残りの六月はやる事を整理して七月にむけての準備をします!

あと貧血の病院は明日行って先生になんでやねんと相談してきます。

七月はーーーー!!!!!!楽しむどーーーーー!!!!

自分の特性にあった生活環境を作る。

私は稀に、アウトレイジばりにキレて怒鳴りちらす事がある。

ここでは書くと脅迫罪になりそうな暴言を歌う時の声量で怒鳴る。

主にそれは身内ではなく他人に対して。

そして相手は今のところ、おじさまが100%。

 

ここ最近も中年男性が女性に体当たりをしたり

今日は妊婦さんがお腹を殴られたりするなどあったけれど

電車にて平然と割り込みをしてきたり(気分が良い時はスルーする)

車が小さいので舐めた態度をとられると

ぶっちんして窓を開けて怒鳴る。

 

そうすると相手は呆気にとられたようなドン引きという顔をする。

おそらく何も言われないと思っているのだろう。

車ではここ数年、コペンの走行距離もだいぶ長くなったのと

車でのトラブルが頻繁にニュースに取り上げられているので

喧嘩を売られても買わないようにしている。

 

前提として私から相手に何かをすることはない。

相手が「これくらい大丈夫っしょ」みたいな感じの態度で

無礼な事をしてきたらぶっちんするが、それもその時々の気分による。

怒りたい時は怒る。あと暑い時とお腹空いてる時。

 

こういう事を話すと、「危ないからやめな〜」と言われるのだが

なぜ嫌な目にあったこちら側が我慢しなければいけないのか

警察を呼べるほどの事でもないから事件にもできない。

それなら自分で声をあげるより他ない。

少なくとも同じ目にあう女性、男性がいると思うので

私は断固として耐えない。(ただ気分が良い時はスルーする)

 

気分が良い時は例えば電車で割り込まれても

「おっ、どうした〜急いでんのか?いいよ〜先いきな〜」という気持ち。

ほとんどはこれくらいおおらかでスイッチは入らない。

 

危ない目にあったらあったで、それは事実が表面化する機会だと思っている。

周りに周知してもらえないと事態が伝わらない。

もちろん、やめなといってくれる人は

私のことを心配して言ってくれていることだ、というのもわかっている。

危ない目にあってほしくないと思ってくれるのは嬉しい。

しかしそのうえでも、我慢する、耐える、なかったことにするというのは

私にはできない。

足を意図的に踏まれてるのに

踏まれた側が我慢しなければいけないというのはおかしな事だと思うから。

 

昔はこういう事を言うと

「同じ土俵にあがったら同じレベルになる」と言う人もいたが

そんなことはない。

被害を受けた時に主張をすることが同じ土俵にあがることになるなら

それこそ被害者は黙ってろ、という事になりかねない。

嫌なものは嫌だと声をあげないと、相手もわかっていないかもしれない。

 

こういう事を書いたうえで、しかしこういう生活は疲れるのだ。

ないにこした事はない。

この自粛期間中に感じたことがある。

それは、沢山の人に会わない生活って最高!!ということ。

外でイライラする機会が全くなくなった。

私は未だに自粛期間が延びたような生活を送っている。

イライラする時は、車に乗る時間が長かったり

電車に乗って都内に出たりしていた時。

つまりよくわからない他人が多数いる場面。

それならばそこをごっそり減らそう、と思った。

 

東京には必要な用事がない限りいかない。

沢山人が集まる場所にはいかない。

本当に必要な時や会いたい人以外は会わない。

車に乗る時は自分に「おおらかに安全にね」と言い聞かせる。

 

自分の制作に集中する。

 

自分の激しい性格(ぶちぎれることがある)を知って

それが抑制されて自分にとっても平和な環境を自分が作っていく。

なおさらこれを進めていこう。

 

ちなみに冒頭でおじさまにキレると言っていたけれど

キレるばかりではない。

大型のトラックともよく喧嘩していたのだけど

トラックの運転手さんの中には

ものすごい紳士な振る舞いをされる方もいる。

世の中には素晴らしきおじさまもいることを私は知っている。

ある一部の「ストレスをためて鬱屈してそれを他人で発散しようとしている

人」の事を言っていて、私の経験上ではおじさま以外に出会った事がないので

そう言ってるだけで、女性や若い男性にもいない事はないと思っている。

 

 

とにかく自分の特性にあった生活環境を作っていこう。

今後の連絡先と担当について。

現在までシギ、シ組共に

私がメールの返信をしていましたが

制作などに集中するため

メールはしょへさんが担当する事になりました。

今後はコンタクト・質問などは

shigi.shoheiokane@gmail.comまで

お送り下さい。

 

手紙の注文者様&空き状況について

もうすぐポストを開けたり閉めたりしだす頃でございますよ・・ふふ

今回第一回目ですでに私も沢山のわくわくをしました!

詩が届いた時に勢いでここに載せそうに危うくなりました!

頼んでいた方と私との秘密事項だった!

 

二回目、三回目と続いていきます。

その年のその月にしかお届けしないものですので

「今」という瞬間に私が作った曲や言葉を

お楽しみにしていてください。

一緒に生きているという空間を

ここで作れたらと思って作っています。

 

なお、毎月お届けする手紙「ぼくを待つ」は

毎月1回の定期便で、自動更新となっております。

現在は満員となっており注文は受け付けておりません。

現在注文していただいてる方の中で

後払い決済をご指定の方にはすでに今後についてのメールをお送りしています。

カード払いの方は、今月精算するものは7月のご利用分となりますが

まだご精算をこちらでかけていません。

お手紙が到着後、または現段階で手紙の定期購読を解約される場合は

下記の問い合わせフォームに注文時のお名前を書いてご連絡下さい。

カード払いの方へは改めてまたメールでご連絡致します!

 

空きが出ましたら、SNSやブログなどで

またご注文再開のお知らせをいたします。

先着順になると思いますので

手紙を申し込みたい方はぜひチェックして頂けたらと思います!

 

あなた自身が価値となる時代

少し前の記事だけれど

オリオンビールというお酒のメーカーが

ストロング系のお酒を出すことをやめるというニュースが話題になった。

「発売している物がどんな問題を孕んでいるのか(ここではアルコール依存)」

「販売した後の事は知らない」という意識を変えたことで

「これからはオリオンビールを買うようにする」「支持する」という声が

多かったように思う。

 

「とりあえず売れればいい」という資本主義の末期のような状態から

抜け出してきているような感じがしている。

そしてそれを買い手は見ているし、選ぶようになってきている。

 

パワハラを訴えるところも増えてきている。

こういう流れはどんどん加速するし、していってほしいと思う。

みんなが心のどこかでおかしいと思いながらも

声をあげるのもしんどいからと我慢していたことによって

たくさんの人が当たり前に我慢を強いられる環境から

自分達の手で解放されて周りも共感や支援が広まって

多くの人が自由に自分の人生を選択できる機会が増えて行ってほしい。

私自身も自分がそうなるために活動しているし

それが誰かのためになれたら本望だと思っている。

 

誰かが苦しまなきゃやっていけない所というのは淘汰した方がいい。

これは他人事で言ってるわけじゃない。私自身にもいえる。

「シギだからただでやるよ」という声にも

例えばお金が払えないなら他の所で返せないかとか

お金が払えないならそもそも頼まない、とか。

お互いに腹をわりあって、ここまでならできる、これはできない、

これはお金がなくてもやりたい。とか

相手と自分の意思をしっかりわかりあってやれているか

そういう環境を作っていかなければと思っている。

今まで甘えてなあなあにしてきた部分が私には沢山ある。

自分の身の回りから整えていこうと思っている。

 

SDGs(エスディージーズ)という活動もある。

簡単に言うと、

「今の質を落とさずに、地球のみんなが豊かに暮らせるために

続けられる試みをしていこう」という活動。

企業でもSDGsを掲げていると「地球のことを考えている、

人のことを考えている企業なんだ」という印象を与える。

 

ただ儲ければいい、ただ自分が豊かになればいい、という所から

確実に世界は変わろうとしている。

 

日本はどうだろう。

そもそも、地球のみんなが豊かに暮らす以前に

自分達の国の人間が

ブラック企業的な、生きてはいるけどストレスフルな人々が多い。

それを自虐的なギャグとして通用するほど

それが「普通の状態」になってしまっている、ということだ。

しかし進歩したことといえば

笑いにできるということは、それ自体は異常であり過酷だということを

気づいている人が多くいるということ。

 

日本の国民性は真面目だという。

これが生きづらさの根源のようにも思う。

教育や社会で吹き込まれてきた「正しい人間像」。

勤勉は素晴らしい、忍耐は美しい。

清貧さ、貧しくても正しく生きる。

金持ちは汚いもの。贅沢は罪、美しくない。

真面目な人たちはこれを疑うこともなく、従った。

 

これらは全て

上にいる側の人間が下で働く人間をいいように使うための言葉だ。

経営者が労働者を。先生が生徒を。政治家が国民を。

その教えをありがたく受け取り、大事にし、生きていけば幸せに暮らせる。

人から後ろ指をさされることも、仲間はずれにされることもない。

みんなで貧しさを共有しあい、美しさを共有し合う。

そして果実は上の人間がたらふく頂く。

おかしくないかそれ。

 

 

みんなが自分を殺して会社のために身を粉にして働けば

経済成長が見込めるような時代はとっくの昔に過ぎ去っている。

それなのに、自分を殺して会社のために生きている形だけが残っている。

上の言う事がどんなに時代錯誤でも従うという形だけが残っている。

 

この先、自分を生かさなくてもできる仕事は全てAIが変わっていく。

雑務を人がしなくてもいい時代がくる。

全ての人が自分の特性や資質を生かして働く時代がくるかもしれない。

そういう時代が来た時に

「自分を出すよりも会社の下で従ってた方が利口だよ」

「自分を生きるなんてわがままだ」と思って来た人は

「さぁ、上司のウケとかどうでもいいです。

あなた自身が価値になる時代です」となった時に

一体何を武器として出せるのだろう。

何かに従うだけで、自分の頭で考えること、決断することを放棄してきた人は

生きづらくなってしまうと思う。

 

コロナ禍によって失業した人も大勢いる。

自分が身を粉にして、考えることを放棄して会社のために尽くしても

その会社の風向きが変われば自分は捨てられる。

「そういう会社を選んだあなたの責任でしょ」という世間の冷たい言葉がぶつけられる。

 

自粛期間中に自分の生き方について見つめた人も少なくないと思う。

今までは仕方がないと思ってきたけど、本当にそうだろうか。

この先の時代がどうなるかわからないのだから、今までのままでいいのだろうか。

自分の心に投げかけたとき、本当は自分は知っている。

冒険すれば変われること。道はひとつではないことを。

そして本当は自分で選ぶことができるということを。

 

そういう本当の自分が知っている声を

ことごとく潰して行く。

「でも自分がいなきゃ職場が」

「自分がいなきゃ家族が」

「自分には何もできないし」

それは責任感からかもしれないし

もしかしたら変化が怖い臆病さからきている声かもしれない。

 

総理大臣も代わりはいる。

両親のいない子供もいる。

日本は災害から何度も再生してきた。

人はその時の環境をなんとか生き抜こうとする強さがある。

 

誰かや何かよりも、自分はどういう人間なんだ。

全ての不安や懸念を一度脇に置いた時に

自分は何がしたいんだ。自分はどうしていきたいんだ。

自分は何が好きだったんだ。自分は何が嫌なんだ。

自分と対話をして、自分の納得の元に、生きていく。

自分の人生を作って行く、デザインしていく。

会社や親や子供や友達や恋人に決定権を委ねてはいけない。

自分の頭で考えて、自分が決めていく。

その道を選んだ時に、あなたの人生は一体どうなってしまうだろう。

考えられない世界が待っているかもしれない。

怖い。不安。確かに。私も怖いし不安にもなる。

それは、ワクワクの裏返し。

 

なんの恐怖もない人生なんて、面白みがない。

恐怖から安心ばかりを選んで生きるということは

RPGで一番最初の村の近くで敵を倒して

レベルだけあがっていくのに

他の場所へ行けない主人公のよう。

本当は他の場所へいける強さがあるのに。

自分で自分を信じることができない。

自分という存在は地球上でひとりしかいない。

その自分が生まれて、周りに育てられて、大人になった。

自分という人間をどう生かして行くか

どこに旅立たせて行くか。

誰かや何かの一部じゃない。

自分が生まれてきた意味を作ってあげられるのは

自分自身。

 

コロナ禍が私たちの時計を一瞬止めた。

今も動きづらい部分は沢山ある。

この先のことはどうなるか、わからない。

どうせわからないなら、ワクワクの裏返しにある不安の方を選択したい。

どうせわからないなら、行ってみたいと思う方へ行ってみる。

youtube更新です!

中学時代の頃の話をしました。

ぜひにぃ!

この後、もう一本あげます。