それぞれの一日に

もし今日のあなたが

満足のいく一日を過ごせたのなら

その喜びに浸っていよう

もし今日のあなたが

何の代わり映えのない人を過ごしたとか

やりたいことが出来なかったと

後ろ向きな気持ちになるとするなら

深呼吸をして

深く吐く息で

その重たい気持ちも一緒に吐きだしてしまおう

その気持ちは吐き出されたので

あなたの中には新鮮な空気で満たされている

そして生きることができた今日に感謝して

今日を乗り越えた自分に感謝をして

眠りにつこう

二度はない今日の日にさようなら

分かれ道の前で

分かれ道があったら

どうなるかわからない方へ

分かれ道があったら

人が今より幸せになる方へ

人を傷つけたり悲しませたことがあるから

愛のある方へ

しかしそれは犠牲の愛ではなく

私自身にとっても あなた自身にとっても

愛がある道へ

魂が重なる場所

自分が尊敬している人の言葉やものの見方は

自分の中のDNAになっている

それを昇華させて受け継いでいきたい

肉体は死んでも魂が生き残るというのは

そういうことだと思うから

大切なことは意思をいかに継続させるか

でも意思で自分ががんじがらめになってしまわないように

変化していくということは

古きを昇華して新しきに導いていくことだと思う

そうすれば無くなるものも死ぬことはない

連れていく

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深夜に思う

等身大という言葉を見た時に

そこからいろんなことを発見した。

自分について

やるべき事や立場を踏まえていると

これが自分の気持ちなんやろと思ってても

実はそのもう少し奥にそれ以外の気持ちがあるのを発見したりして

やや、これこそが本当だったのだ!

と興奮気味に思っても

それよりもさらに深い所に別の気持ちがあったりして

そういうものに対面していくと

実に色んな欲求を持っていることを知る

表面的なものは嘘とも思えないし

一番根っここそが本物だとも思えない

そういう黒か白かという話しではなくて

自分の手で作品を作っていく以上

自分はどうしていきたいのか

という問いの連続であるわけだ。

目の前の作品にせよ、活動内容にせよ。

問いの連続をしていても未だに

自分の奥の方にこういう欲求があったのか

これは恐らく幼稚園の頃のあの出来事と関連があるな

などと思うと

自分ひとりの中にも経験とその記憶からなる色んな想いが潜んでるわけで

それは生きて経験を重ねてる人は誰にでも当てはまることだと思うので

とても自分の全てがわかることはなく

自分ですらわからないのだから

他者のことなどより一層わからない

氷山の浮いてる部分のさらにその側面をみている

それくらい小さな部分しか見れてないのだろうなと感じる。

過去より今

今日で手紙ひと段落。

今月は進化させようということでドタバタしました。

でもまだまだ未熟で改善点ばかりだけど

それでも今までよりも変化進化はできたと思います。

ひと段落した本日すでに休む間もなく

次の手紙に向けて今回の振り返りの打ち合わせを行いました。

このことが今やってる新曲のためにもなるので

全てに手をぬかずに少しずつ成長していきたい!

取り急ぎそんな感じの本日でった。

インプット週間

今週は中盤まで気圧気候なのか謎の体調不良だったので

後半もちょっとギアあげたかなくらいで進めて

夕方にはウォーキングする日課をやりだしたり。

最近はもっぱら女性の音楽や活動を見たり聴いたりしていた。

同じ女としてやる気と学びをざっくざくもらったぜい!

調べていると台湾とタイのライブを観てくれたそれぞれの女性から

連絡をもらったりしてなんだかタイムリーな感じもした。

またライブに行きたいな会いたいな!

 

シギの今後について調べながら書き込んで意識に落としたりしてたが

実際の制作にどんどん入っていくことになるので

一回自分のことを頭空っぽにして(打ち合わせではがんがん話すのだが)

明日からはちょいとインプットに集中する週間にしようと思った。

映画、漫画、いろんな作品に触れるでや。

今月まじでお家月間になったな。

地下にこもって地道にシギのこと進めておるでやんす。

細胞の集まりからなる。

最近、我が我がのエゴが急激に引っ込んでいって

一年前の私でも考えられなかったチームワークというものに

興味が出てきたのは

数週間前にDNAについて調べだしたあたりから

自分の肉体でさえも生きている細胞の集まりからなるものなのだな

という実感をしだしてから。

そしてDNAもそうだけど肉体は両親や先祖から受け継いだもの。

自分ひとりで自然と誕生したわけではない。

というのを考えていっても、視野が広くなるのを感じる。

良い意味で、自分は全体の一部なのだと。

自分の肉体が、ひとつひとつの細胞からなるように。

社会にとっての自分も細胞のようなものだなって。

 

自分のしたいことやワクワクは引き続き大事な源泉。

やるべきことに飲み込まれたり命令されて生きていきたくはないから。

やりたいことがやるべきこと。自分のためが誰かのため。

そこはずっと変わらない。

 

少し前に鮮明に覚えてる夢を見た。

私と、同世代くらいの女性と、私よりも年が結構上な男性と、

私よりも年下の男性の4人で新しいプロジェクトを開始するための

打ち合わせをカフェでしているところだった。

私はそのプロジェクトリーダーで。

同世代の女性は同じ志で頼れるような存在。

年下の男性はなぜか悪気なくいつも最初に嘘をつく癖があり

年上の男性はそのことにカッカと怒っては文句を言っていた。

「こんな奴がいたんじゃだめだ!信用できない!」と。

その時に私は

「信用はひとつずつ積み重ねていくものだから、

焦らずにこれから積み重ねて良いチームにしていこう」と言っていた。

年下の男性は私に懐いていて

「あのファミレスもう行ってないんですか?今度行きましょうよ」と

どこ吹く風で言ってくる。

「そうだね、今度行こうか」と私が答えたところで夢から覚めた。

 

これがすごくリアルだった。

こういうことが起きるのか?と思うほどだったけど

でももしかしたら、ここに登場した3人の登場人物は

全て私の中に存在しているもうひとりの私なのかもしれない

なんてことも想像して面白がった。

 

あなたは幸せにならなきゃ駄目

私は「あの人が羨ましい」と思ったことがほぼない。ライバル視も。

思い出せないだけであるかもしれないのでほぼといった。

 

 

「いいなー!」と思うことはある。

例えば美味しいお肉食べてるとか、ビアガーデンいったとか。

でもそれは軽やかないいなというか。

 

「あなたが羨ましい、悔しい」「ライバル」と言われることがある。

私はそう言われることが少し苦手。

どことなくじっとりした重さが私の肩に乗っかるのを感じる。

そしてそれと同時に、少し寂しい気持ちになる。

それは、「悔しい」「ライバル」と言ってる人の心の中にいるその人。

 

私はひとりの人の中にいろんな自分がいると思っている。

それは「頼もしい自分」「子供のようにかわいい自分」「臆病な自分」など。

そして「なんのてらいもない素直な自分」と「色々気にした自分」もいる。

その時の感情や体力の余裕によってどの自分が表面化するか変わる。

 

私が寂しい気持ちになるのは、

「悔しい」「ライバル」と言ってるその人の心の中にいる

「子供のようにかわいく、素直な自分」が、悲しんでいるような気がするから。

その人が例えば私をみて「悔しい」と思うその時

素直な子供の自分はその人から置き去りにされている。見てもらえていない。

そしてその子は「僕じゃやっぱりだめなんだな」と思って肩を落とすだろう。

 

だから私は、悔しいなど言われた時には

「おまえ、おまえを舐めんなよ?」と思うし

「俺のことはどうだっていいんだよおお!!!

おまえ自分のこともっとみてやってくれよおお!」

口惜しいなんていって人を見てる時間を捨てて

もっと自分とたっぷり時間とって愛情かけて

どうやったら自分が納得できるのか自分と作戦会議して

生きていく方が心の中の子供の自分が喜ぶんじゃまいか、と。

 

あと私がどうして人をライバル視しないかというと

同じ環境で同じ設定で生まれて同じレールにいるわけでもない

別々の肉体と経験と感性を持っている他者に対して

同じ扱いで見ることができない。私と私以外は別々だから。

 

例えば音楽で成功していて売れていたり

私がやりたかったことを先にやっていたとしても

「うおおすげえ」という気持ちがわくかわかないか。

 

なんで重たい気持ちにならないかというと

別々の人間なのはさることながら

他人の全てを見ることは不可能だから。

人は人の良いところだけを見て羨ましがったり

悪いところだけをみてけしからんと言ったりするけど

その一面以外に別の面がたくさんあったり

過去にどんな大変なことがあったか、どんな気持ちをもって生きてきたか

私は見ることができないので想像するしかできない。

だから、一面や今の状態のその人をとってきて

「羨ましい」とか「悔しい」と言う気にはなれない。

 

彼女、彼がどんな人生を歩んできたか

どんなにイメージしてもそれはその人の人生ではない。

でも私は生きてる中で人には笑顔を見せる裏で自分に悔しくて泣いたり

寝込んだり悩んだりしたことが沢山あったので

きっと人も同じように辛いことや悲しいことや頑張ってることが

ひとりの時に訪れたりしているんだろう、と想像する。

そうじゃなかったら、、そりゃそれでいいじゃねえか!オールOK。

 

生きてると色々あるし気持ちや体が余裕ないと

落ち込むモードになるけど、それはそういうモードになりやすい時だからで。

そういう時は他者や何か他所の行いを目にするよりも

たっぷり休んだり自分の好きなやりたいこと書いてみたり

ご褒美dayとしてちょっと贅沢なものを食べてみたり

とにかく自分の扱いを自分で上手になっていくことが

人生を深刻にしすぎないためには大切なのかなと思ったりしている。

 

だから悔しいとか羨ましいとか!!

それで自分がマッハやる気になって最高に幸せになるならいいけども!

それで自分を置き去りにして人のことばっか目をやってるとぉ!!

自分が泣いちゃうよおおお(:;)だれ

あなたの人生はああ!!!!あなたが幸せになんなきゃあああ!!

だめなんだよおおおおお!!!!

だからあああ!!!幸せになってくれよおおおおお!!!!!!

 

明日あなたに茶柱が立ってることおおお!!古

そんなささやかな幸せが一個訪れるようにってえええ!!

こっから祈ってるからなああああ!!!!!

 

こんなテンションで書いてますが

何かが起きたかというとなんにも起きていなくて

誰とも話さず今日はひとりでのんびりしていただけです。

今日の夕飯はそうめんよっ。

ビジョンは対話から生まれるもので孤独に生まれるものではない

活動を新たにするにあたって

最近チームワークについての勉強を進めている。

これは今もこの先もきっと私に必要になることだと思うから。

 

 

チームワークについて学んでいると

私としょへさんがしてきた喧嘩の数々は

まさにものづくりをブラッシュアップさせるための対立だったのだなと感じた。

 

20年以上コーチングを務めてきた著書の方による日本企業の問題点を見ていても

日本の人って感情でものごとを決める傾向にあるんだなと思った。

これはいくつかの本からも感じたことで。

それは日本語の中に感情を扱う言葉が他国語に比べて多いため

海外の方でも日本語を話すと感情が重視される傾向にあるそう。

 

ご多分に漏れず、我々も話し合いの中で感情的になってエゴむき出しで

自分の正しさを主張するような醜い喧嘩をしたこともあった。

 

けど企業や音楽やバイトなどなんでもチームの中には、

無意識にも自分が感情的になる部分を認識している人が多いため

チームの中で感情的な対立になってめんどくさいことにならないように

ぶつかりあうことすら避けている人たちが多いのではないかと思う。

 

それを「各々のプロフェッショナルを信頼して任せていれば良いものができる」と

それっぽいことを言うことで現状維持に留まり

意見を対立させ新しく生み出すことをしていないチームも多いのではないかな。

 

シンガーソングライターとして活動してると

「オケは〇〇さんに任せる、ライブについては〇〇さんに〜」など

自分以外の分野に関して丸投げしてる人をよく見るし

かくいう私自身がメジャーにいた時はそのような感じだった!

でも工程のの全てが「シギという活動を元に集まっている人間たち」なのだから

「お任せで〜」で終わらせていいはずがない。

それは相手の専門分野の全てを理解するというのではなくて

お互いのもっている認識や人間性を理解しあうことや

この活動でどうしていくかを真剣に話し合って時には対立しあって

ブラッシュアップさせて成長していくのがチームだと最近は感じる。

それを感じるたびに「今までのわしの未熟さよ・・」と恥ずかしくなる。

3万年反省。

 

シギという活動の中でより良いものを作るために・・

いや、それよりも俯瞰して自分たちの活動がどんな社会的意義に繋がっているか

そのためにどうしていく必要があるか

自分の何を変えていく必要があるか

コミュニケーションを密にとっていく。

「シギは今までシギが作ってきた!」

その自負心や思い上がりは邪魔なので捨てて。

シギというものの土台からしっかり解体して意識的に作り上げていく。

 

あと本の中で書いてあって反省したのは

私はついつい自分の中で視界がクリアになるまで

ひとりで考えたいと思う傾向にあること。

 

「これについてどう思う?」という問いかけを人にすることはあまりなかった。

 

「ビジョンは対話から生まれるもので孤独に生まれるものではない。」

という言葉から、もっと開示していこうと感じた。

 

 

 

そしてそこに関わる人のだれひとりとして

軽んじられていい存在はいないということ。

シギという活動がその人の存在意義にも繋がれる部分があること。

ひとりひとりの生きてきた日々、感じてきたことを大切にすること。

あなたは〇〇の才能があるからオファーしたんです、というパーツとしてではなく

相手をひとりの人として理解して繋がり合う時間を作ること。

あなたがあなたであることで、あなたがあなたでいることで

わたしたちはもっと良くなることができる。

私が私でいることを否定されない安心できる環境を作ること。

安心できるから、心置きなく対立できる。それは否定ではないから。

 

チームの強みは、ひとりとひとりでふたつになるものではなくて

ひとりとひとりでふたつ以上の結果が出るのが強み。

その強みと想像ができない面白さを感じていきたい。

 

 

なので今は!勉強してやることを並べて行動するのみやっで!

シギの活動がもっといろんな人の手に渡って

チームの人数もバラエティに富んだ時に

その関わる全ての人が自分としての人生をポジティブに受け止められ

なおかつ前進していけるように

今は俺ちゃん経験値アップで駆け足でやっていくぜよ。