太陽と月

太陽のような君だった

君を知れば知るほど

君の中に月があることを知った

僕は君の心に溺れる

僕は君の心に火をつける

進め

君が不安に溺れるとき

君に必要なのは愛よりも勇気だ

しかばねと化す。

先週のブログは、実は全部一日で書いたものだ。

ばああああっと書いて、長いので数日に分けた。

 

先週、ブログではわしゃわしゃ言っていたが

私はしかばねになっていた。

ーへんじがない。ただのしかばねのようだー

 

落ち込んでいたわけではなく

体調は少し悪かったのだけど

とにかく眠くてだるくて仕方がなくって

土日はベッドの上に23時間くらいいた。

 

霧の中で漬物石を布団に寝てるような気分だった。どんな世界観。

 

自分についた余分なものを捨てる必要があるー

贅肉のようにまとわりついたものは何かを見つめる必要があるー

実は自分に必要ではなかったものを知る必要があるー

自分がキャパオーバーだと思うこととの折り合いの付け方を決める必要があるー

そしてそれらが自分にのしかかっているために

その存在が制作の邪魔で邪魔で仕方がないー

 

そんなことを漬物石を乗せながら布団の中で浮かんでいた。

買い物にいく気力なく(雨の日は外にでない)

冷蔵庫にあるキャベツと人参の豆腐と卵で

三日間雑炊を作って食べた。

 

23時間いたベッドを寝る時にベッドメイクしなおして寝ると

たまらなく幸せな気持ちになって

その日はじめて笑顔になってまた眠りについた。

多分15時間以上寝た。

 

私はどうも寝る時間が長い。

10時間は睡眠時間としてとらないと不安になる。

この間、「知的活動をしてる人は睡眠時間が長い」というのを見て納得した。

頭フル回転する事が多いからだな。

4日分くらいの長ブログを1日の2時間くらいで書けるくらい

言葉を永遠に浮かべて書いていたって平気というより楽しい私は

「思考する=言葉にする」のセットに自分の脳味噌が疲れ果てるんやろな。

だからめちゃくちゃ寝たいし

たまに全てを遮断して自分ひとりになる時間が必要なんやろなと

自分という生き物を再度確認した。

 

外部と自分を繋げているチューブのようなものを切って

ひとりでこもる時間が必要だと感じる人は結構多いんじゃないだろうか。

てかみんな言葉と他人と情報に囲まれすぎてると思う。

そんなシャワーを浴びすぎてるとべろんべろんになるで。

だからひとりの時間は必要よな。

 

私はもう根っから思考と言葉が好きだからやめられないのよね・・・

しょへすんに、シギは作曲しているから

普通の人の何倍も子供の頃から自分を考えたり言葉にしてるって言われて

自分では普通だと思っていたけど基準ではないのだなと

他者に言われてわかった。

それは自分の強みなんだけど、それやりすぎて疲れちまうんだきっと。

なので頭働かせまくっちゃうぶん、

土日は今まで以上にしかばねをまっとうしよう。

しかばねとして季節や植物を愛でたりするだけの時間に集中しようと思った。

 

あと運動な・・・

頭ばっか動かして体動かさないのは頭でっかちやでな・・・

再・毒にも薬にもならないような生き方をするな

最近のブログや作曲への姿勢の変化で大きかったのは

私に伝えてくれた先生の言葉

 

「毒にも薬にもならないような生き方をするな」

 

が、頭の中にどーんと出てきたからだ。

 

 

何万人に私の言葉が嫌われ仮に毒になったとしても

先生に背いて

自分が毒にも薬にもならないような生き方を自分に許したくない。

そう思った。

 

 

あなたの影響をうけた人や言葉。尊敬している人。

浮かぶかぎり浮かばせてみて。

どんな共通項があるだろう。

それは自分に近いか、遠いか、反対か。

 

 

私は、「自分に存在している要素だけど

勇気を出さなきゃ届かないもの」って感じ。

 

だらけていては、なまけていては、

後ろを向いていては、決して届かない感じ。

 

だけど、ちびまる子ちゃんも好きなので

自分のマイペースななまけを否定するつもりはない。

それはそれもあるわよね!って感じ。人間多面的ですから。

 

毒か薬か。

毒からでしか気づかないものもある。

だけど毒にもなりえそうなものは、

優しさや、それぞれの事情などに

考えれば考えるほど、寄り添えば寄り添うほど

その力は失われていく。

 

 

「傷つきました」っていう言葉をネットで見かける。

誰がどこで傷つくかはわからない事の方が多い。

全員の人生や弱さやトラウマを把握することはできないから。

 

殺人犯の被害者の家族を思えば

殺人事件のドラマはお蔵入りすべきだろうか。

失恋して傷ついてる人を思えば

恋愛の映画なんて作らないべきだろうか。

そんなことに頷く人なんていないと思うけど

それと似たようなことを求めてくる人は少なくない。

そしてそれが社会的大義である場合もあるから難しい。

単純に否定だけできるほど簡単な問題ではない。

 

自分でコントロールできる部分と、できない部分がある。

その狭間で私の言葉は

言葉の刀は行き場を迷っている部分があった。

人の心を想像できる優しさがあるといえばそれまでだけど、

それは邪念に囚われていたり、自分の甘さだともいえた。

 

 

私が尊敬する人たちに共通するのは、

目的への意志力の強靭さ。

生きるということの美学。

そして希みを捨てていないからこそ人に厳しいところ。

派閥に頼らず敵も味方も多い人。

 

私はこの尊敬する人たちの厳しさが大好きだ。

その言葉に触れると

冬の厳しい寒さだが澄んだ朝のような気分になる。

 

自分の耳に痛い時もたくさんある。(まるちゃんモードの時はまじこれ)

やる気になれるばかりじゃないし、

しんどい時も休みたい時もあるから。

 

だけど、いつもやる気に満ちてればいいってもんじゃないってのも知った。

当然のことなんだけどね。

自分がその時々で選択することなんだって。

影響さえもその時々で選択し、正しく使うものなんだって。

自分なりに陰陽をコントロールする必要があるんだと気づいてから

必要な時の要素として尊敬する人たちの存在がある。

 

健康的な食事が知りたければそこを探るように

良いパジャマが欲しければその店を探すように

安らぎのためにヨガがしたかったら調べるように

私にとっての私の尊敬する人たちの存在は

自分の背中を押す、自分に誇れる自分になりたいとき・・

つまりは勇気をだしたい時に使っている。

本来の自分を取り戻せるような。

 

 

私自身もそういう活動をしていこうと思った。

人にそういう使われ方をしたいと思った。

なぜなら、尊敬した人の教えは私の体の一部になっているから。

血や骨になっている。

 

目を閉じて

「私はあなたを尊敬しています」

とその人に心の中で伝えた時に

その人たちに対して恥ずかしくない自分でありたい!って思った。

 

その敬愛する気持ちを気持ちだけで終わらせず

体現して具現化していかないと

それはただ表面的なお守りとして使ってる

都合の良い存在であって

それは失礼なことなのかもしれないと。

 

尊敬する人たち全員が私のことを知っていて

私にかけてもらえそうな言葉は全員一致で

「お前はお前をやりきれ!」だ。

自分の人生を蔑ろにしちゃあきまへんでって話。

※今回もあるがままに書いてるので

精神が弱ってる人はそっ閉じをおすすめします。

 

前回の本が突っ込みだらけで気に入らないというのは

私にとっては嬉しい出来事で

どうでもいいことは沢山あっても

「好きじゃねーな」って思えるものに出会えるって少ないので

すごく面白く読めた。

その本の中でも嫌味ではなく勉強になった部分もあったし。

 

本の中で一番強く疑問に思った箇所が

「女性は疲れてるので考えたくないんです、

難しい話は聞きたくないんです。

だからわかりやすく簡単なものじゃないといけません。」

 

・・おまえよぉ・・・

おまえ女バカにしてんだろ!と私なんかは思っちゃうけど

確かにわからないわけではない。

理解はできる。

 

 

しょへすんの知り合いの話。

しょへすんが気になっているニュースの話を知人にしたところ

「わたし、そういうネガティブなこと聞きたくないから」と言われたという。

その女性は旦那のこと、子育てのことで大変らしい。

本に書いてること当たってるじゃねえか!!!!!と思った。

 

でもなああああああああああああああああ

 

なんだかなああああああああああああああ(まるしーアトウ・カイ)

 

と感じてやまない。

 

 

ネガティブなことを聞きたくないっていうのは別に良いそれは自己決定だから。

世界になんの影響も及ぼせないわたしごときがネガティブになるだけの

ニュースを見るのはめんどくさいしだるいっていうのもそれはその通りである。

私だってなんの影響も及ぼせないし。

しんどい時は見ない方がいい。それは本当に。

 

 

それはいいの、それはいいのよ。。。。

 

 

納得できんのは、

疲れてるから考えたくない、難しいことも見たくない、楽なものだけしたい。

それでSNSのどうでもいい芸能ニュースをぽちぽちしたり

3秒後には忘れてるようなインスタの画像をただスクロールしたり

それが悪いとは言わないけどそれだけで時間が過ぎるというのは

それも疲れてるからしんどいからーみたいな理由なんだとしたら

その毎日というか人生のあり方自体を根本から見つめ直す必要があるんじゃないすかねえええ!?

と我なんかは思っちゃうのでありますわ。

 

自己決定しないで、親が先生が友達がこういうからその通りにやって、

その結果それがめんどくさい嫌だと言いながら、

それでも自分がやりたいことや興味関心を掘ろうとせずに

誰かや何かや時代のせいにしながら

めんどくさいだるいと簡単なわかりやすいものだけを摂取して

金はケチるくせに時間は無駄遣いしまくって

そんなんで本当にいいんでしょうかねえええ?!!!!と。

 

その人生で生まれてきた命に、魂に、

失礼なんじゃないの?って。

そんなことのために生まれてきた命なの?

その命、本当に喜んでるの?

喜ばせてあげられてるの?自分が、自分に。

力がないなんて、しょうがないなんて、言わないでくれよ。

そんなことを思い込むなよ!

そう思い込ませてきたやつらがくそだ!そんな言葉を気にしないでほしい。

仕事の代わりはいくらでもいるけど自分の代わりはいない。

私の代わりもあなたの代わりもいない。

 

「女は疲れててしんどいものは見ない生き物」みたいなくくられ方で語られてるのに

どうにも違和感をもった。

リスク背負って目かっぽじって生きてる女だっていますわ。

俺、知ってますわそういう人々。

 

時代的にしんどいのもわかる。

どんどん物価があがる一方なんだから、

自分の収入をあげるしかない。

値段をさげるのは日本のためにはならないから。

収入をあげていくよりほかない。

それでも自分が何を使ってどう収入をあげてくかも教わってないし

そういうのがわからない怖い知るのもめんどくさいのもわかる。

わかるわかるわかる。

わしだってそうさ。金に余裕もねえさ。。(爪楊枝を噛みながら遠くを眺め)

俺ちゃんもギリギリさ・・・。

好きなことやるのってリスクだらけなんだぜ。

楽じゃねえんだぜ。

わかるよ。しんどいのはわかるよ。。。

色んなしんどいがある。。。

 

 

 

わかるがさあああああ!!!!

それらを背負い投げしてでも現実を見るんよ。

現実ってのは辛い現実じゃないよ。

辛い現実なんてのは「辛い現実」っていう色眼鏡だから。

辛い現実じゃなくて、お花畑の妄想でもなくて、

リアルに自分に何があるか、リアルにどうするのが望みなのかを

外野の声とか関係なく

焦りや不安ではない素面な自分に問うて

知って学んでアクションする

それ以外にないやろがい。。。

 

大事なのは、知って学んでアクションする手前の

「リアルに自分に何があるか、リアルにどうするのが望みなのか」

を知ること。。

紙を出しなはれ、ペンを持ちなはれ、書きなはれ。

自分の友達になったつもりで、自分の良さ強み望みを書きなはれ。

その時は自分の一番の友達、一番の良い上司になって自分を見つめる。

 

「お前こういうことあったよな、あの時嬉しかったよな」

「あの時みんなに喜ばれたな」「こういうこと好きだったよな」

それを書いていく。

もっともっと、自分にフォーカスをあてる時間が必要だ。

 

 

確かに「疲れてしんどい女性はこういう特徴だから、

こうすると稼げますよ」

ってのはわかるしそうやる方が結果にはなるだろう。

私みたいな方がマスには向かないだろう。

 

だけど確実に「疲れてるので何も考えたくないんです」

「未来のことはわからないし今も幸せじゃないけど

考えるのだるいんでとりま現状維持で」

みたいな思考停止することが良いことだとは思えんぞ

自分をそんな扱いしちゃいかんやろ

と思う女も確実にいる。(ここにひとりはいる)

 

われがままであれ

一昨日、昨日とブログで私がイキイキしてるのをお感じであろうか(日本語)。

これが私の姿である。

いや別に今までも私の姿ではあるんだけど

「どの自分にフォーカスするか」「どの自分の声を採用するか」っていうのは

みんな無意識にしているんだけども

そのフォーカスと採用の基準を最近変えたのであります。

 

音楽の制作を先月今月と進めていて

それをやればやるほど、

「自分の臭さや色味なんかにもっと誠実であるべきなんじゃなかろうか」

と思うようになったんです。

「いや貴様今までも結構我が強かったと我は思いますですよー!?」と

思う方の方が多いかもしれないけど

バーロー俺も俺で色々あるんだよ・・・(爪楊枝を噛みながら遠い目をして)

 

自分勝手に生きてるように見られがちな私ですが

それでも私は私なりに色々気を遣って抑えつけて遠慮している部分があった。

 

星占いでは

「あなたエネルギーつよつよ人間だから

格闘家にでもならないと発散がむずいよ!」

と書かれていたのだけど、

自分の中にあるエネルギーを常に持て余していて有り余っていて

だから音楽で叫んでて

それでここまで健康に生きてこられたんやな(叫ぶって生きてる感じがするから)

と発見しつつ

(でも大声は私の生きる対処法でしかなく作品をつくるという事については

もう一歩も二歩もさらに自分を知って踏み込む必要があったのだけどね)

 

我慢したり抑圧が強くて

つよつよエネルギーを持て余してたときは

失礼な他人を捕まえては喧嘩して

怒鳴り散らすことでエネルギーを発散していた。

 

自分のエネルギーを抑圧させてると

ずいぶんサイコパスみたいなキチガイみたいな行動に

出ちゃうんやなーまじで社会不適合者やなっと

自覚してはいたんだけど

それもこれも自分の特性というか個性というか

わりと常に他の人と合わない感覚があったり

小さい頃に良い子でいなきゃっていう感覚があったり

そういうものたちが私の特性個性に鎖をかけていた。

それらが「この鎖をどかせー!!!」と叫ぶのだ。

それが私の平穏をぶち壊すのだ。

でもその鎖の下の声を(パンドラの箱を)聞かなければ

私の人生を生きたとはいえないことも薄々はわかっていた。

あけるのはたいそう面倒で辛いのだけど。

ちなみにこれは私だけではなく

あなたにも必ずこういうパンドラの箱は存在しております。

人間であるかぎり。

 

大人になるとエネルギーの配分や折り合いをつけるってのは

学習してくるんだけど

でも音楽だけはそういう小利口なことしたくねえなって最近思うようになった。

まだまだ音楽でも気にしてる部分が沢山あったなと

まだまだ音楽でやれることがあるなと。

 

音楽を始めた時から他者の賞賛や評価は目的じゃなかった。

デビューしたいと思ってなかったし売れたいという欲もなかった。

じゃあなんでやってるの?と自分に思うこともあったんだけど

それにいまいち良い答えが出せていなかった。

 

でも最近はひとつの答えがでた。

「私が美しい(綺麗という意味ではない)と感じる美学や価値観が

たっぷり込められた世界観を創作したい。

それを求める人にたっぷり渡したい。没入してほしい。」

「聴いてくれる人が腐ったこと絶望もたくさんある世界の中でも

自分を生きるための力になるように使ってほしい。」

「私の音楽を愛する人の味方であり続けるために音楽を渡したい。」

これが今しっくりくる答え。

 

 

 

しょへすんは昔から「普通じゃないね」って

人から言われるのが嫌だったみたいなんだけど

私は逆で、普通の枠にはめられるのがすごく嫌で

こうすることが普通、こうあるのが普通、世間的には、、

みたいなのがへどが出るほど嫌だった。

 

誰の名言か忘れちゃったけど

「お前には無理だっていう人の声で

どれだけの人が夢を諦めてきたんだろう」的な言葉。

あれにすごく共感する。

 

普通にあてはめられて、迷惑かけるなといわれて、

型に押し込められることで、

どれだけの人が自分の素晴らしい個性を輝かせることを諦めてきたんだろうって。

 

その個性を輝かせることで沢山の人が幸せになったかもしれないのに。

あなたの尖ってる部分を、削らないで!!!!!!って思う。(自分にもね)

あなたがその人とうまくやれない尖りゆえに

傷つけてしまったとしても、それで疎まれても

攻撃されても、それがあなたの輝きのひとつなんだ!

 

それはマイナスで気にすると生きるのにしんどい一部になるけど

開き直ってその個性を受け入れればそれは輝きに変わる。

その輝きは人を照らす道にさえなれるかもしれない。

あなたには可能性がある。

 

 

私の音楽も、真っ直ぐすぎて聴けないと言われた時もあるし

自分の熱さとかストレートさで

人を疲れさせることもめちゃあったけど

今もあるんだけど

むしろそれって

ひっくり返せば長所ってことじゃん!ってしっかり思った(しっかりポジティブ)

 

逆にいうと、あなたの音楽は感情がなくて聴けませんとか

あなたの冷めた感じが一緒にいると傷つきますとか

そう言われることの方がまずいよねって。自分の性質と逆だから。

 

だから、良い悪いことなんだ!(?)って思った。

例え9割の人が「えーこの音楽微妙ー」って思ったとしても

私が良いと思うんだから1割の人くらいは

「これな!!!!!こういう音楽を待ってた!!!!」って

激溺れする人もいるやろなと。

今音楽が氾濫するほど溢れているんだから

周りと歩調を合わせる必要なんて

全然ないかもしれないって思った。

 

中途半端に好かれる嫌われることをやるくらいなら

自分の美学や価値観を思う存分だして死ななきゃ死にきれん!って。

 

だからこのブログも、

多分この先より濃いしうるさいし

説教臭いときもあるだろうけど

しょうがねえこれが俺だしな!!!!!すまんな!!!

って感じで書いていこうって思った。

 

こう思ったことのひとつは

散々批判していた女にウケる仕事の本の著者が

「ひとりの相手に向かって話すようにブログを書いてみて」

っていうのを参考にして数日やっている。

私、批判はしても「たしかに!面白そう」と思う事は相手が誰でも取り入れるので。

なおかつ、自分を偽らずにセーブせずにというモードで。

 

お茶しながら、私は自分のままで話して

それを楽しんでくれる人に向かって

話してる感じでこのブログを数日書いている。

私だってせっかくお茶して時間を共有するなら

相手のそのままを全開で出してほしいもん。

それが私に合うかどうかは別だけど、そのままでいてって思うから。

 

私がそうする事で、うざ!しんどくて読めない!って人が結構いるだろうなと思う。

私のブログにはわりとメンタルが弱ってる状態の人も見てくれるから。

そういう状態の人からすると私の素の私はエネルギーつよつよすぎて

より単細胞になるしシンプルバカにもなるので

眩しくてうざいし焼け焦げちまったぜ!になると思うんじゃないかなーと思う。

そこを気にして加減していた部分もあった。

(俺のつよつよであいつをなえなえさせちまうんじゃなかろうかみたいな)

 

だけど最近何か言葉がブログで書けなくなってきてて

普通に起きたことを話すのもなんか違うなと思ってて

これは前々から考えていたことだったんだけど

作曲に集中してからの色々自分と向き合う事が増えて

我(われ)がままでいよう!とパッと思ってから

ブログでも自分を抑圧して加減して言葉を選ぶのはやめにしよう!って思った!

 

これはテンションあげて書いてるわけではなく普通モードなんだけど

テンションが低い時は低いままで書いても面白そうだなと

なるべく自分の状態に素直であることを意識して

お茶してる感覚で書いてみようと思う。

 

女心は存在しないと思う私。

音楽を始めた理由に

「異性にモテるから」という理由をあげる人は多い。

 

私は音楽と異性のモテを繋げたことはなくて

どちらかというと女性に好かれる方が嬉しいし

異性でも音楽の内容や

異性としてではなく人間として好かれるのがありがたい。

 

 

先日、「仕事で女性の心をつかむには・・」的な本を見つけて

ほう、女性に仕事で好かれるのは嬉しいわね・・どれどれ・・

と思い著者が女性だったので読んでみた。

 

 

それが私も女の枠に入ってる気がするんだけど

驚くほどまじで共感できなくてびっくりした。

 

「あれ、私女だよね?」って何もないけど後ろ振り向きたくなったわ。

 

 

まず本に書かれてあったこれ

「男は自分の地位や経歴など自分自身を自慢したがり、

女は自分と繋がりのある人を自慢したがります(家族とか、恋人など)」

 

 

 

・・・いやないわ〜!

繋がりあるだけで自分以外の他人じゃーん。

他人の自慢を他人にしたところで何になるのさ。俺はどこにいんのよ。

 

 

 

それを元にして次

「男には『ヒーローになれます、こんな良いことがあります』と書くと目を惹きます。

女には『子供が、お母さんが、恋人が喜びます』と書かれてると惹かれます」

 

 

 

・・・いやないわ〜!

確かに差し入れを人に買うのは楽しいけど

基本的に自分が喜ぶがまず1番でしょー!!

子供もお母さんも恋人も全員自分のことを自分が喜ばせてー!

 

 

 

 

次に

「分析されて喜ぶ女、分析されるのを嫌う男」

 

いやないわ〜!

勝手に分析してきてわかった感だすな!

お前には俺の一面も見せてねえかんなって思っちゃうわ〜!

 

 

次に

「女は買い物をするプロセスを楽しむため買い物が長いですが

男はただ買うことが目的なので早いです」

 

いやないわ〜!!!

欲しいもの見つけたらさっさと買って終わりでしょー!!!

 

 

 

ふう・・・

まじで古くさい、というかむしろ今もこれが王道なの?!

古書じゃないの!?古事記の次に出た本!?

これを書いた著者はきっと私よりもかなりとしう・・・って90年生まれかーい!!!

年下じゃねえかああ!!

 

 

そもそも「男脳、女脳」という言葉を信用しないので

(脳じゃなくてその時の時代がそうなるように仕向けた結果だろと思うので)

男と女の区分け話は私には合わないのだなと感じた。

 

男でも女でもどっちでもええわ!!自分を生きよ!

 

 

続く(続くんか!)

 

俺に大義名分はない。これは俺自身の戦いだ。

君を見てなぜか血が騒いだ。

さっきの決闘をみてその理由がわかったような気がする。

産業革命以後、時間と空間の認識は一転し

銃と車輪は制度を塗り替えた。

便利な道具が増えるほど

人間は生き物としての元祖の魂を見失うことによって

何か別の生き物に変質していくのかもしれない。

君には失ってはならない何かがちゃんとある。

私はそれを呼び覚ます君に惹かれたんだ。

 

少し前にカムイの剣を見てぐっときたセリフ。

西洋占星術とは違う占いで

私は開拓し続ける人生だと書いてあった。

ひとつの場所に留まらずに行く先々で

人を導き役目を与えると書かれていたのを

この物語を見ていて思い出した。

 

カムイは子供の頃、育ての家族を殺され

殺人の疑惑をたてられ村を追い出される。

顔も知らない父親を探すうちにいろいろに巻き込まれていく。

安住できる場所、愛する人、色んな出会いがカムイに訪れるが

カムイはそこを旅立つ。行くべき場所のために。

 

 

冒頭の言葉は、行く先で出会った人がカムイにかけた言葉。

自分の面倒を見てくれた人が実は父親を殺した人間だったと知った。

母親も愛する人も殺されてしまう。

いろいろなものを失い、出会い、犠牲をつくるが、

いつも最後は自分の求める場所へ選択する。

大義ではなく、カムイ自身のための戦いに向かって。

 

そんなたいそれた物語ではないけれど

人間は誰しもカムイのように自分に与えられた定めのようなものがあり

それに気づかずに一生を終える人もいるが

気づかない方が楽だともいえる。

けれど気づかずに生きていくことを私は求めない。

自分が決めた役割のために自分が一生をかけて生きる。

その方が、かっけえじゃん!(いきなり軽薄)

超高齢化の我が家

める、14歳の誕生日!はぴばめる〜!

誕生日プレゼントは大好物のりんごをあげた。

顔どこ

 

獣医さんによると、うさぎの飼い主の多くが

10歳を目標にして育てているそうで。

それでもなかなか10歳にいくのは難しいそう。

5歳を超えるとシニアなんていわれてるうさぎが

めるは14歳・・・すごいなあ。。

 

人間だと90歳超えくらいか、、

若い頃はこんなにパチクリしていたけど

最近はさすがに寝る時間も増えて

ご飯食べてる最中に寝てご飯入れに顔突っ込んだり

寝るか食うかどっちかって感じの毎日です。

 

 

 

亀も30年越えで生きてるし、

貝も寿命越えしてるしうちは長生きが多いなあ。

 

人の声より大切なもの

何色なのっていう感じの髪色になってきたタイミングで美容室へ。

染めた今はもっと青々した色になってます。

今週は食事&買い出ししたり美容室行ったり出掛けた週だった。

久しぶりに靴やアウター買ったりして買い物楽しんだ。

 

最近不思議だなと思うことが

「こういうのやってみたいな」と頭で思ったことが

少し経つとそれがやってくるなんてことがあったりして。

で、頭ではやってみたいなと思ってたけど

実際に目の前にやってきてやってみると

あ、違ったわって思ったりして

そういう不思議な体験をしている。

 

「やってみたい」ってちょっとでも思った感覚を

見逃さないようにしたいなと思って

食べてみないと美味しいかどうかわからないように

頭で考えるより計算するより先にきた感覚は

一番鮮度がある状態だから

本来はその自分の感覚を昇華させるために時間を使うべきだなと感じてるこの頃。

 

そこからやってくこと達が自分の人生と呼べるものかもしれないと

感じだしている。

心のそれも鮮度の高い声を放置しないで採用していく。

そのためにはいらないものが沢山あるんだ。

いらないものに時間をかけているうちに

何が望みだったか何を思っていたか忘れてしまう。

だから人の声なんかよりずっと自分の心の奥の声を聞くべきだと私は思っている。