「今」できること。

少し長いですが読んで頂けると嬉しいです。

10日前くらいから、東京がロックダウンになるという話を小耳に挟み

少しずつ備蓄をしていました。

今日、東京での感染者が増え小池さんの会見もあり

スーパーでは結構殺伐とした雰囲気がもうすでに感じられました。

 

自粛要請からロックダウンに至るまでの期間があっという間だった国もあるので

もしこの後さらに措置が厳しくなりスーパーに人が殺到しだした時に

食べ物が自宅にないと心理的に不安が大きくなりますので

今のうちに必要なぶんだけ、備蓄しておくことをおすすめします。

しかしもうすでに都内では食品が売り切れ続出とのことで

集団での行動も危ない行動のひとつなので

慌てずにまだ家に食料がある場合は

このタイミングで買い出しに行かない方がいいかもしれません。

 

私はロックダウンにならなかった場合も、日常で使うので

お米をいつもより多めに買っておきました。

パスタなどの炭水化物。

パン、野菜、お肉などは冷凍することをおすすめします。長持ちします。

自宅にいると飽きてしまうので、消費期限も長いし食べたいお菓子を買うのもおすすめです。

ジュースなど気分転換になるものを少し用意しておくのもいいかもしれません。

もうこのタイミングだと遅いかもしれませんが

東京以外の場所ではまだ余裕があるかもしれません。

くれぐれも必要なものだけを買って、買い占めにはならぬようにお気をつけください。

 

そしていきなり家にいることになり

暇になるとやることがなくなってしまい、

精神的に飽きたり鬱や不安になる事もあります。

その時のために、ぜひ自宅でできる趣味をもつことをおすすめします。

特におすすめなのは、私のように英語学習など成長することを実感できる&

終わりが結構先の長いものはおすすめです。

さぁ、Let’s study English!!!笑

今はありがたいことに本を買いに移動しなくてもyoutubeやアプリで学べるものもあります。

工夫して精神的な健康を保ちましょう。

もし不安やストレスがありましたら、私にメールを送ってくれてもかまいません。

両親や友達にいえない心のうちをなんでも書いてください。

 

東京が封鎖になった場合、都市部に近い関東に住んでいる私のような人間も

東京と同じように外出の自粛をした方が良いと感じています。

それ以外の場所でもどこで発生しているかは、大体2週間後にならないと

わからないのが現実なので、用心するにこしたことはないです。

 

皆さんの中で、自営業の方はいらっしゃいますか?

飲食店経営なども営業自粛要請がされていたり

先々の生活が不安な方が多くいらっしゃると思います。

今はとにかく命を守りましょう。

お金や生活は、命さえなくさなければいつからでも取り戻せます。

今の形のままではないかもしれないけれど

人生はいつからでも取り戻せます。

街が元気を取り戻す頃にはぜひお店など名前を教えてください。

シギの方で紹介してよかったら皆さんに向けて紹介しますし

私も近県でしたら遊びにいきます!友達や家族にも伝えます。

 

この先、感染者数の数字が大きくなることは確実だと思います。

きっとこの経験は大きな人生の中のひとつに組み込まれることは

間違いないと思います。

周りの人への気配りや感謝の気持ちも、改めてもてる機会にできたらと思います。

困った時ほど、自分の中にある恐怖に飲み込まれず

愛や誇りからの行動を選択できるのが理想です。

あくまで理想なので、怖い気持ちや不安は生まれるのが自然です。

みんな一緒にこの時を生きています。

私も一緒にこの時を生きています。

自分の近くの人を守るためにも

自分自身を守るためにも

自分にできることをして、乗り越えていきましょう。

 

私は、英語学習と作曲をします。笑

コロナによりたくさんの曲が生まれそうです。

閉じこもることを、プラスに変える何かをぜひしましょう。

人生でやりたい100のことを考えるのもいいですね。

青空文庫で本を読むのもいいですね。

起きることのすべての中に、自分の意思で選択できる部分も

ほんの少しだとしてもあるものです。

困難を共に乗り越えましょう。

いつでも手を貸します。私も困ったらここに書いたりします。

支え合って生きましょう。

この夜を明けるために。

自分の中にある人を裁きたいと思う気持ち。

神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で

19人の殺人事件を起こした植松被告に関しての記事を見た。

 

「誰の中にも優生思想がある」

優生思想というのは

「生産性が高い人には価値がある」

「能力が高い人には生きる価値がある」という思想のことだ。

私たちの中にも、

「あいつは使えない」とか「こんなこともできないのか」など

人に優劣をつける思想を悪気なくもってしまうことがある。

けれどその思想を持つことにどれくらい踏みとどまることができるか

そうではない選択を理性で選べるかがひとりひとり問われている

ということが記事では書かれている。

 

 

あなたの中に思い当たる節はあるだろうか。

この記事を見たときに

私の中にもあるだろうな、と感じてはいたのだけど

今日まさに自分の中にそれがあることに気がついた。

 

しょへすんと話していたときのこと

弱者という曲についての話をしていたときに

私はこう言った。

そしてこの言葉はブログなどでも書いていた。

「本当に弱いのは傷ついたり倒れる人ではない。

むしろ心がそう感じられることは強い証なのではないか。

本当に弱いのは、自分の弱さに向き合えずに

甘えだとか人のことを攻撃したりする人なのではないか」

この言葉を聞いたときに、しょへすんは

「強い人が弱い、弱い人は強い、と比較して誰が弱いという事も

優生思想なのではないか?」と私に言った。

弱いとされている人は本当は強い心の持ち主だ、というのはいいけれど

比較として強いとされている人を

弱いと否定的に言う必要はないのではないか、ということだ。

 

確かにそうだ・・・と私は言われるまで気がつかなかったので

とても驚いた。

私がきっとこういう気持ちを持ったのは

傷ついて苦しんでいる人をかばいたくて

ある種、いじめっこに対して拳をあげたような言葉だ。

対抗する言葉を言いたい、というような気持ちからだ。

けれど、いじめられてもいない関係のない立場の私が

いじめっこを懲らしめたりしても

自分が気持ち良いだけだ。

いじめっこの、人をいじめたくなる心理や

その人の家庭環境などの中に何か問題があり

その人をいじめに走らせている可能性があるのではないか

いじめっこでもいじめられっこでもない立場の私にできることは

誰かを裁くことではなく

知ろうとする姿勢をもつことではないか。

自分だったらどうするか、何ができるかを考えることではないか。

そう感じて、反省した。

 

きっとこの先も、許せないことはあると思うし

自分の中の正義感が燃えることもあると思う。

批判したくなることも出てくるし

そうする必要があると感じるときもあると思う。

そして私は自分で「よくなかったな」「間違えたな」と

思うこともたくさんこの先あると思う。

 

自分の気持ちのひとつひとつに

「絶対的な正しさ」を与えないように気をつけたいと思った。

自分の気持ちに嘘をついたりはしないけれど

間違えも必ず自分の中には含まれているだろう

そして気づかない間に傲慢な気持ちになっていたり

裁く気持ちが出てきて誰かを傷つけたりしていないか

優生思想という言葉をきっかけに自分自身の心

を振り返ることができた。

 

”内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択すべきか

https://d4p.world/news/2775/

闇を裂けば光が溢れる

鬱が甘えだとか

すぐに傷つくのは弱い

という声があるけれど

傷つきそうな心を見ないで

丈夫なふりをしている方が

よほど弱いように見える

 

心というスポンジを硬くして

何も入ってこないように

頑なになっている方が

脆いように見える

 

心のスポンジは本来

みずみずしくて柔らかく

色々なものを吸収する

良いことも悪いことも

そのスポンジが機能していると

喜びも悲しみも感じる

 

悲しみを排除せずに

背負ったり降り注ぐ中を

今日も声もあげずに

生きている人よ

 

あなたはとても強い人だ

強くて美しい人だ

その強さで自分を滅ぼしてはいけないよ

その強さで自分を抱きしめて

 

光は闇の中でしか認識できない

宇宙は闇に包まれている

闇に抱かれ星たちは輝く

 

自分の中にある暗闇を否定せず

自分の中にある光を住まわせるために

光も闇もどちらも受け止めて生きていく

たったひとつの小さな命

宇宙から見れば瞬きの間に終わる命を

爆発して終わるその日まで

輝かせ続けるんだ 闇の中で

どんな時も、経験になっているよ。

「経験するために生まれてきた人生」

そんな言葉が私に向かってきた。確かにそうだ、そう思った。

時々頭の中で考えて、ああだこうだ振り返ったり見回ったりして

側から見ると何もできていないような日々があったりする。

考えて何も動けない日もあった。

けれどそれも、ひとつの経験をしているってこと。

「考えて何も動けない」という経験をできたね。

だから、何もできてないなんてわけじゃないんだよ。

困ってるっていう経験をできてるね。

焦りを感じたっていう、経験ができたね。

そうやって一個一個の自分の中にあるネガティブなことも

追い込まないで、一つ一つが経験になっているよって

焦らないで味わってみてって、思えたらいいね。

それは誤魔化しでも慰めでもない、本当のことだから。

さよならヘアー

こんなに長かったの髪を↓

ばっさり切り申した。

今までしたことない髪型にした。

髪の毛洗って乾かすのめちゃ楽そう。

楽しみ。。

髪を切るとなんだか心持ちが心機一転した感覚で

身軽な感じがする。

最近頭をああだこうだと動かす時間が多かったから

明日から色々と動こう。

自分という旗を掲げる。

国際女性デーという事で。

自分が女性という立場である事で

疑問や不快に思う出来事はある。

 

EPICを辞めた後に、音楽でお世話になった人と食事をしていると

「まぁまだシギは◯歳だからね。あと◯年くらいは大丈夫でしょう」

こういう事を平気な顔でいう人がいた。

とても失礼な事だと今は思う。

当時はふーんと聞き流して話を続けていたけれど

「失礼だな」と感じる人とは積極的に距離をとり関わらない方がいい。

 

音楽を始めた時も「◯歳でやるなんて!すごい!」と。

そして時間がたち年齢が重なると「◯歳くらいまでは大丈夫でしょ」と言われる。

私も含めて人間は勝手に他人を評価したりする。勝手なものである。

◯歳までは大丈夫とか、◯歳にもなって、というのは

音楽をやっている限りほとんど女性に当てはめられていたものに感じる。

そしてそれを口にしていたのは100%男性だった。

これは私が見た限りの話なので、

社会では男性も「良い歳こいて」などと言われたりする事もあるかと思う。

20代で色々な可能性が閉ざされるとするのなら

若いうちにしか挑戦や新しいことができないというのなら

圧倒的に先の長い残りの人生はどうなのだろう。

影の存在として何かを支えるために存在していろというのか。

容姿ではなく音楽を届けようとしているのになぜ年齢が関係するのか。

恐らくその場で私が問い詰めたら

「なんとなくそういうものだから」という答えが返ってくるように思う。

そういう「なんとなく」で決められているものが多く存在している。

先ほどの政治の話もそうだ。

「リーダーは男がなるもの、政治は男に任せるもの」

そういう「なんとなく」の考えがまだどこかに根付いているのを感じる。

誰が決めたともわからないなんとなくの習慣で人生を左右されてはいけない。

そういう人に人生の選択を預けてはいけない。

誰が決めたともわからない言葉を吐く誰かの言葉よりも

自分がどう生きていくかは自分で決める。

 

私の担当をしてくれていたプロデューサーの方はこう言った。

「音楽は歳を重ねなければ出せない味がある。

若い時にはわからない教養や苦労や重み。

それを表現するためには歳を重ねる必要がある」

そしてある雑誌の敬愛する編集長さんは私にこう言った。

「目の前の、一過性の売れるかどうかではない。あなたはそこは気にしなくていい。

あなたはずっとこの先も音楽を作り続けなければいけない。そういう人間だ。」

この二人とも男性だ。男性の中にも女性を年齢で見ずに

中身や資質を見て話をする人も必ず存在する。

もちろんそれは女性もそうだ。

「男らしさ」を当てはめてくる女性もいるだろうけれど

私はそういうのはやりたくない。

人を性別でジャッジして狭めるような発言はしないように気をつけている。

 

今の時代にあっては、簡単に年齢で女性を差別するような人も少ないかと思う。

オーディションの対象年齢もあがっていっているように感じる。

少しずつでも確かに変化している。

 

性別に限った話ではない。いろんなことに言える。

例えば音楽をしていて、ノルマを払いたくないのなら

払わなくて済むライブハウスへ行けばいい。

「そんなライブハウス存在しない」なんて思うのなら

自分でイベントをひらけばいい。

ライブハウスでなければいけない事もない。

「ここはこういうもの」「これはこういうもの」

そういう誰かが決めたのかわからないような決まりごとを

ありがたがって大事にする必要はない。守る必要性もそんなに感じない。

疑問を持ったり居心地が悪く感じるのなら

そこから離れて自分のスタンスが近い所に移動する必要がある。

そんな場所がないならその場所を作る。自分で自分を発信する。

音楽をやっていなくても、ツイッターだって十分だ。

私はこういう人。こういう人とは関わりたくない。

私はこう生きていきたい。こうは生きたくない。

自分の心、意思という旗を大きく掲げよう。

その旗を見て、私もそうだ、俺もそうだと思う人が近づいてきてくれる。

好きな人といていい。苦手な人から離れていい。

そうして自分の環境を変えていく事は、逃げでも甘えでもない、

自分の人生を考えているからこそ、当然のことだ。

人生の物語は自然にあてがわれるものでも与えられるものでもない。

自分で作っていくものだ。そしてその権利が私にもあなたにもある。

 

私は性別に関係なく、人を馬鹿にするような人や失礼な人とは関わらない。

年齢や性別でジャッジしてくる人とは関わらない。

性的な目、下心で見てくる人とは関わらない。

人間として尊敬しあえる関係性を作りたい。

自分の中でこうした決まりごとを作ると、生きやすくなってくる。

自分が誰と関わるか、それは自分が決めていいこと。

 

 

社会自体に居心地が悪い時

居心地を悪く感じている人がいる時、声をあげている人がいる時には

立ち止まってその声を真摯に聞く必要がある。

その時にその人にジャッジメントをせずに、まっさらな心で聞く必要がある。

国際女性デーは、そのような女性の声を聞ける日だ。

同じ女性として、共感したり勉強になったりする。

私は聞きたい。同じ女性がどんなことで苦しみ、どんなことが願いなのかを。

 

そしてこれを見ているのが男性だったら、異性がどう思っているか

何を違和感に、嫌悪しているかについて学べる良い日だ。

国際女性デーだけではない、男性の日も11月にある。

お互いがそういう日に、互いについての理解を深めるのは

社会全体が居心地の良いほうへ整っていくために大切な日だ。

人が生きやすく、自分も生きやすい環境を作っていきたい。

豊かさや恵みを特定の人たちだけに流れる仕組みであってはいけない。

今日は国際女性デー。

アメリカで女性労働者が参政権を求めてデモをしたのがきっかけだ。

権利は主張するもので、誰かが与えてくれるものではない。

誰かがなんとかしてくれると思っていては良いように使われるか

そのまま変わらずに放置されるだけだ。

 

女性として、若者として、危機感を覚える出来事があった。

そのことを書きたい。

 

前に一度、政治家の方々の前で歌う機会があった。

当初そのような機会が初めてだったので歌う前は緊張していたけれど

舞台にあがった私は歌う緊張はすっとび、危機感を覚えた。

会場の9割が男性で、中でもお年を召された方が目立った。

ほとんど女性の姿が見えずに

女性の姿を見つけても男性にお酒をついだりしてコンパニオンのように見えた。

これが今の政治の縮小版といっても過言ではないのだろう

私は政治家の会議写真を見た海外の人が

「日本では女性は絶滅したのか?」と冗談をいったという話を

目の前のリアルで体感した。

そしてこの現状はあまりにもおかしいと感じた。

 

この国を動かすのは若いエネルギーではないか。

年配の方は必要ないと言っているのではない。比率が偏り過ぎている。

長い間の経験も必要なことも中にはあるかもしれない。

けれど実際エネルギーとして動かし築いて行くのは働き盛りの人間と

そして未来大人として国を動かす事になる子供達ではないだろうか。

まだまだ子育ては女性が担う部分が多いこの国にとっては

その子供を育てながらも働いている二役を担う女性の意見は

最も大事といっても過言ではないのではないか。

彼女達が働きやすい、子供が育てやすいと思う国にすることが

国の繁栄にも繋がる。

少子化という問題は、女性に問題があるのではない。

女性がこれでは産めないと判断する社会のシステム、構造に問題がある。

今のやり方では無理だという答えが少子化として表れているのではないだろうか。

今のままではこの国を作って行く人たちがやりづらい、問題があるのであれば

それを変えていかなければならない。時代に合ったやり方で。

しかし現代に合ったやり方を、年配の男性がほとんどをしめている中で

果たして見つけられるだろうか、判断ができるだろうか。

私は今を担っている年代の方達に現代の感覚は任せた方が良いと感じる。

年配の方の中にも、革新的な方はいらっしゃるだろう。

そういう方の意見は貴重だ。

現状では(私が感じた限りでは)ほとんどが年配の男性だった。

女性に決定権が与えられない。女性不在。

これで子供を作ってください、と求める事自体に違和感を感じる。

一体誰のため、何のためなのだろう。

 

コロナウイルスの件で台湾の政治家、オードリー・タンさんが話題になった。

38歳、中学中退、男性から女性になったトランスジェンダー。

今の時代を表している肩書きに感じる。

オードリー・タンさんはこう話している。

「昔のように皆で過酷なひとつの競争をして一位を目指すのではなく、

それぞれの得意を知り、そこを伸ばしていった先に豊かな社会が生まれる。」

インターネットの意見を幅広く政治に取り入れようとした彼女を

他の政治家達は心配する。

なぜならネットには政治家の批判があふれているから。

けれど彼女は

「国民が参加してこそ、政治はよりよくなる、前に進める」と説得をする。

今の時代感覚に寄り添った存在だと感じる。

そして彼女はコロナウイルスという想定外の自体に強く活躍をしている。

 

日本はこの先もらえる年金が減って行く、終身雇用制度が破綻する、

公務員だから安泰とはいえない(精神的ストレスもかかる)。

数十年前までの日本のままでいようとする事自体に、無理が生じている。

時代に合わせて大きく変えていかなければならない。

その時に、その変えて行く中身を決定する集まりが

偏った性別で、若い人の少ない集まりで

果たしてこれからを生きる若い人や子供にとって

この先も続く国家にとって

本当にベストな選択ができるのだろうか。

時代は変わって行く。

それを恐れるのではなく、

その肌感覚が一番研ぎ澄まされてる世代が決断をしていける国であってほしい。

 

ステージの上で歌い、目の前にいる国を動かす決定権を持つ人たちを眺めながら

私は恐ろしいような、薄ら寒いような気持ちになった。

この出来事を体感してなおさら、

若い人たちの意見、感性、意思がこの先大切になっていくと感じた。

どんなことだって、声をあげなければならない。

豊かさや恵みを、特定の人たちだけに流れる仕組みであってはいけない。

言葉を歌にして吐き出すもののひとりとして、そして女性として、

他人事でいてはいけない。そう感じた。

国際女性デー。

今までは見過ごしていたけれど

女性のひとりとしておかしいことにはおかしいと声をはっきりあげていきたい。

今回は少し大きな、けれど身近でもある事について書いたけれど

次はもっと女性の立場で疑問に感じた身近な出来事について書こうと思う。

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荒れた心を取り出し、見つめる。

コロナウイルスの影響で生活ががらっと変わってしまった、

あるいはこれから変わってしまう人もいると思う。

私自身も、やろうと思っていたライブが延期や中止になったり

もしかしたらそれがいつまで延期になるのか

果たしてそれ以外のイベントはどうなるのか。

何かをしようとしても「こんな状況下で発表してどうなる」など

自分に対して疑問がわいたりする事もある。

ウイルスだけではない、その先に経済的打撃が到来する。今現在も。

不安や恐れが人々の中に渦巻きやすい今だからこそ

そして幸か不幸か時間ができた人もいるとしたら

こんな今だからこそ、自分とこの先の自分の人生について

じっくりと見つめ直すことができる。

私自身が、今それをやっている。

健康の不安、生活の不安、お金の不安、少しだけ置いておいて。

静かな場所で、テレビや携帯とも少し距離を置いて。

本当の自分の声に耳を傾けたい。

今回のことで色々な事が変わっていく。

スケジュールも大きく変わって、先はわからない。

しかし例えばライブを延期する、中止するという判断は

私は自分の頭で考えてした。

ウイルスに振り回されての結果ではない。

目の前の状況を見て、自分のあたまで考え、決断をした。

「振り回されている」という心持ちで過ごすことと

「状況はどうあれ現実を見つめ、判断をするのは自分の選択」という

心持ちで過ごすのとでは雲泥の差だ。

自分で決定できない事はたくさんあるけれど

それでも自分が選択できる範疇のことは、自分で考えて行う。

ティッシュが沢山買われてるから私も買う、ではなく。

自分には本当に必要なのかどうか、で自分で判断する。

この先も混乱と不安が続く事は予想される。

そういう時こそ、自分の生き方、自分の選択に意識的になりたい。

不安な気持ちになった時は、その不安を大きな丸いボールだとして

自分の目の前に不安というボールがあるように想像して

それを見つめる。不安を心の中から一旦取り出して、見つめる。

支配されずに、心から取り出して見つめて、不安があるな、と受け止めたうえで

この不安に動かされずに自分の心で動くように意識する。

私の言っていることはとても感覚的なことだから

わかりづらいかもしれないけれど。

心は海のように荒れたり穏やかになったりを繰り返す。

だから荒れてもいい。荒れる心の波を見つめる。

それだけで、穏やかになる時間はほんの少しでも早まる。