今日はスタジオと喫茶店で作業。
最近こういう日多いな。
喫茶店で奥様達がお酒を飲んでいて
楽しいのかものすごい大きい声が出てて
「やっぱこの声の張り方って複式呼吸なのかなぁ」と思ってたら
店員さんに大声を注意されていて面白かった。
大人になってから人に怒られるってなかなかないからうける。
楽しいと周りが見えなくなるときってあるよねえ〜
なんて思いながら作業。
その前のスタジオでめちゃくちゃ真面目な曲歌ってて
エンディングが長くて変顔したらちょっとうけた。
真面目と不真面目を共存させるのが
私は生きてて楽しいなと感じる時だな。
真面目一辺倒だと楽しくないというか
自分が息苦しくなったりする。
先ほどの奥様達を「みんなの気持ちも考えてよね!
まったく!うるさいんだから!」と真面目に憤慨するよりも
「そういう時もあるよね〜(鼻ほじほじ)」と受け流した方が
ストレスにならない。
真面目に目の前のことに憤慨する人は
悪いことをしたことがなくて
先生や世間様の言う通りに生きている人に多い。
そういううるさいこと言う人たちの目をすり抜けて悪いことを経験すると
ルールから外れてる人のことも面白くみれたりする。
(しかし自分に余裕がない時はイライラする。)
何かでみたんだけど
エスカレーターなどで「良い子のみなさん」と呼びかけるのは
良い子は悪いことをしたことがないから
何をすると危ないかがわからないから良い子に向けて
何をすると危ないかを呼びかける。
良い子以外の人は悪いことも危ないこともわりとしてきて
体で経験してるのでわざわざ呼びかけない。
といっている人を見てなるほどと思った。
人の言う通り、何かの言う通りにしすぎると窮屈だし
その窮屈を他人にも押し付けたくなる。
でも、確実に誰かを傷つけることとか以外は
適度に悪いことをしたほうが面白いんじゃないかと思ったりする。
体で経験した方が「ここから先はやばい」みたいな
危険を察知するアンテナみたいなものが育ったりする。
0の無害な人でもなく、100の犯罪者のやばい人でもなく
その真ん中らへんを上にいったり下にいったりしながら
生きていくのがほとんどの人間なんじゃないかな。
自分を0だと思っていると自分の首を絞めかねない。
正しくもないけど、間違いすぎてもない、くらいで。