12月の手紙。
「人間はなんのために生きるか」
そういう疑問をもつことは
人間であることの証明だなと感じる。
良くも悪くも動物は命をただ全うする。まっすぐに。
過去を思い煩ったり、未来の心配をすることもなく。
人間は今という時間を超えて
さらには生きているという意味そのものについても
考えを巡らせる。
「私はなんのために生きているか」
そのことに意味はない。ただ生まれただ死ぬ。
けれど人間はもっと深い場所へ行こうとする。
これは決まった正解のある問いかけではない。
ひとりひとりの経験や感情の揺れによって
その人がこの世界はこういう世界だと認識し
その中で自分はどう生きていくかを導き出す。
ひとりひとりの中に正解があるもの。
何も決めずにただ生きているだけの人もいる。
ただ消費するだけの人もいる。
それが間違いか正解かではなく。
しかし私はそれで良いのだろうかと疑問に思う。
思考停止してただ消費するだけの生き方を美しいと思わない。
自分がこの世で果たす役割は何か
どんな行動がそれに結びつくのか
それは何も大事業でなくても構わないから
今の自分よりもひとつ上の階段をのぼっていくような
そういう挑戦をしながら
自分や身の回りに起こる悲しい出来事や弱さを感じ合いながら
生を全うしていく。
歩みが遅くとも不器用でも
貧しくとも障害を抱えていようとも
全ての人の中に輝くものが存在している。
その輝きを見つけるのにも人は時間がかかる。
人と比較して自分を卑下したり。
輝きで周りを照らすために生きていく。
その輝きが消えそうになったときには
周りの人たちで風を防ぐような
そういう支え合いの中で
それぞれの輝きを磨いていく。
私にとっての生きていくこと。