自分の心の中の正直で素直な自分が叫んだ。
「楽しくない人といても楽しくない!」って。
私にとっての楽しさ
学び。刺激。発見。成長。
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何故かすごく小さい頃から、
自分の感情をコントロールできない大人に
囲まれることが多かった。
さっきまで機嫌良かったのに
いきなり黙りこくる人とか
見るからに話しかけるなオーラ出す人とか
ヒステリックに怒鳴る人とか
幼稚園の頃からそういう大人を見てきた。
そういう人はみんな
「察して」というオーラを
漂わせている。
「私辛いの。私むかついてるの。
機嫌悪いの。落ち込んでるの。
だから察して。
私をこれ以上機嫌悪くさせないで。」
生きづらさの要因のひとつに
社会がそうさせてる事実もある一方で
その人達の近くにいるはめになる私は
すごく居心地が悪くて
酸素が薄いような心地がして
常にビクビクしていて気を遣って
顔色を窺って
全然楽しくなかった。
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大人になってもふと思い返すと、
自分の感情に振り回されやすい人が近くにいることが多く
私はそのサポートや気遣いをする役割になってたんだけど
理解はするけど、やはり全然楽しくなかった。
顔色を伺ってなきゃいけない感覚。
いつそれがくるのかわからない感覚。
境界線を踏み越えて
モヤモヤした空気がこっちにやってくる感覚がする。
そして、そういう人には私が何を言ったとしても
何も言わなかったとしても改善はしなかった。
一時的に良くなっても
時間が経つとまた元に戻る。
今思うと改善しないのは当たり前の話で
それは当人が乗り越えるべき課題だからだ。
他人がそれをいたわりすぎたり
気を遣って顔色を伺いすぎると
その状態が当たり前になってしまう。
その状態を許可することになってしまうのだ。
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それを辞めるには、
本当にその課題を乗り越えようと当人が誓うか、
そこから手を離して抜けるしかない。
なんだけど、
なんだかんだ昔から長いこと
そういう人が近くにいて嫌な気持ちになっても
「でも私にも良くない所はあるし」とか
「でも私も完璧じゃないし」とか
「でもイライラすることはあるしなあ」とか
色んな場面でそう思っては我慢してきた。
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でも今の私は違った。
は!?あほらし!って思った。
でっけえ子供じゃねえんだからさ!って思った。
これを冷たいと思う人もいるかもしれないけど、
過度な許容という甘やかしは愛や優しさだと思わないから。
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前は自分の居場所がなくなる怖さとか
自信のなさとかが私の中にあったんだろう。
だから共依存みたいに
甘える人と、甘やかす人みたいな構図が
成り立ってたんだろう。
自分のやりたい事に腹をくくったというか
これで覚悟決めてやるしかないと思ってからは
自分の機嫌の悪さを垂れ流して
負のオーラでコントロールしようとする人と
共有する時間なんて無駄でしかないと
ようやく正気に戻れた感じがする。
みんな色んなデコボコがあることを
知ることも学びとして大切だけど
自分にとって不快に感じるものや状況を
ずっと自分とくっつけておく必要はない。
自分が望まないものを持ってる必要もない。
むしろそれは自分に可哀想だし、失礼なことだ。
自分の人生で何がしたいか、どんな人といたいか、
何を望んでるのかを知ってるのは自分だけ。
そしてその方向に進ませてあげるのも自分だけ。
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もっともっと自分の人生に責任をもって
もっと自分の人生を作り上げていく感覚でいよう。