愛する人たち

ちょっとした用事があって前にベース弾いてくれてたましーと話して

ヒロの話になった。

ヒロが亡くなったのは2年前の11月30日。

速いのか、遅いのか、どっちとも思わない。

ましーとも話したけど、いまだに信じられない。

ちょっと遠い旅に出ていて会えていないだけのような気がしている。

ヒロが亡くなった報せを聞いたときは

人生で一番壮絶に泣いたな。

あのときから色々自分の中で変化して今があるといっても過言ではない。

まず小さい自分のプライドや懸念とかがいかに小さいことかと感じた。

 

人のためになりたいとか、誰かの役にたちたいとか、

誰かを救いたいとか、そういうひょっとすると傲慢だとか

くさいよねってバカにされがちなことも

そういう懸念もなんも思わなくなった。

昔からくさいと言われそうなこともバカ素直に思っているタイプの人間だったけど

より自分の素直さのままで生きていこうと思った。

 

生きている間にしかできないことなんだから

誰かを幸せできることはそれは絶対にやった方がいい。

自分が苦しまないことなら。

自分ができることでどんな可能性があるか

どんな人のためになれるだろうかをよく考えた。

 

 

ヒロが亡くなったあと、ゆったんが亡くなって

その後も知人やお世話になった親戚など数人亡くなって

ここ数年は著名人とかも含めて本当に知ってる人が

え?元気だったのに?という感じで

信じられないような気持ちになることが多すぎる。

 

そういう時に、自分がヒロの時に慟哭したような

そんな場面に立ち会ってる人がいると想像すると

なんともやるせない。

街の輝きや街を歩く人たちの笑い声と

自分の悲しみが圧倒的に乖離している感覚になる。

自分の世界はモノクロで、街は輝いているような。

 

だけどその悲しみって悪いことばかりじゃないよとも思う。

だって出会えたから、別れがあるんだもの。

こんなに辛いなら出会わなければよかったなんて

ヒロに対してもゆったんにも1mmも思ったことないよ。

もっとこれをしたかったとか後悔はもちろんあるけど、

それは生きている人に対してこの先やっていこうと思うようになった。

ヒロはきっとヒロの好きな人たちが笑っていることを望んでると思うから。

 

思うことといえば、生きてる人をもっと大切にしようってことと

自分自身が持っている力を信じてもっと使いたいってこと。

自然や虫や動物は昔から好きだったけどより愛おしくなったわい。

 

生きてることのひとつひとつがこんなにも儚く尊いものなんやなと

感じさせる出来事があまりに多いから

より私は自分も周りも笑ってたまに泣いたり怒ったり

ドキドキしたりでエキサイティングな人生を送りたいと思うようになった。

エキサイティングと平和のどっちも欲しいと思うようになった。

生きてる時にしか出来ないんだから、欲張りしまくってもいいじゃない。

 

この地球で、人間として生きていることを味わって生きていく。