体調不良になって思ったこと。
私は潜在意識レベルで弱音をあんまり吐かないし
思ってても思おうとしてない所があるのかもしれないということ。
どうも自分が思ってる以上に
最近自分にプレッシャーや責任を感じているのかも…?ということ。
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私は子供の頃から人に相談事をされたり
頼られることが多くて
不安定な大人を見ることもあったから
「自分がしっかりしなきゃ」みたいな気持ちが
4,5歳くらいからあった。
大人になっても
教習所で運転の練習中に先生の愚痴に付き合ったり
深刻めな打ち明け話を聞いたりすることも多かった。
もちろんそれは私がそういう話が好きなのもある。
紆余曲折、山あり谷ありあってこそ人間と思っているので
人間を感じられる場面を聞かせてもらえることは楽しいし
それがまた自分の音楽の一部にもなっていたと思う。
私にとって人間で良かったと思える愛しい時間でもある。
しかし私もそうなのだけど、
人の世話や愚痴や辛さや相談をされる
いわゆる人のケアをする側に立ちやすい人は
いつもその役割に立ちやすいということ。
そしてケアをする側の人は、
無意識レベルでそれを生きがいだと感じていたりする。
その役割に慣れているので安心感もある。
だけど、私の周りにもいるケアする側の人は
誰からもケアされていないことが多い。
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社会問題でも、ケアを必要な人はよく話題があがるが
そのケアが必要な人をケアしている人のケアの問題は(ケア多ッ)
誰が見てくれるのだろう?
誰がその人を気遣ってくれるだろう?と思うことがあった。
「あなたは大丈夫」「あなたは頼れる、助かるわ」
そう言われ慣れている人が
気づかない間に削られていることは
少なくないんじゃないかなと思う。
私は音楽をしていて
若い頃の自分に向けて言葉を届けたいという気持ちがあるんだけど
それはいつも人の世話や気遣いばかりをして
気づかぬ間に自分を苦しめてしまったりしていて
だけど本当は人に振り回されるばかりではなく
強く自分を生きたいと思っている人に向けたい
という事と同義なのかもしれないと思った。
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私自身がそういう所があるんだけど、
ケアする側の人ってのは
表面的には優しい人と見られがちだけど
誰かの役に立つことを受け入れるあまりに
相手の自立を妨げてしまっていたり
相手の問題を自分のことのように感じてしまって
苦しんでしまったりして
共依存関係になる場合も少なくない。
適度な人との心の距離を保つ学びや体感を得ることが必要でもある。
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それに、誰かをケアする側の人は
休み方を知らない人も多い。
自分が何をすると疲れるのか、
今どれくらい疲れてるかがわからない人も多い。
私もそのうちの1人。
自分が疲れてるかも?と思っても
「私がこれくらいのことで?」
「こんなもんじゃないしょ!」と
思ってしまいがち。
心が否定するから、体の調子が先に出る。
頭が痛い、肩が痛い、めまいがする、
背中が痛い、などなど
人によって違う「心身症」というやつ。
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もちろん、きちんとした食事や睡眠で
状況も大きく変わる。
自分の認知の仕方を変えることも
1つのやり方としては有効だし、
バウンダリーといって
人との距離感を学ぶことも有効だ。
それは有効な手段として手札があったうえで
だけど社会であって人と人とで生活している以上
1人きりで何でもかんでも解決してくださいっていうのは
あまり面白くない生き方ではないか?と思ったりする。
出来ることや興味があることは取り入れたりやったらいいけど
自分を開示したり
より人と打ち解けあって生きていくことを学ぶことも
人生として大事な経験じゃないかと思う。
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などなどの思いもあり
自分では気がつかなかったけど、
今回体調を崩して(ずっとぐずぐず体調不良もあったりで)
昔からの「ケアする側でいなきゃいけないと思い込んでた生き方の癖」が
表面化していて
潜在意識レベルで不安やプレッシャーがあって(気づかないレベルで)
それが体調不良となって体がSOSを発してるのかもしれない(まだ推測)
だと仮定したら、
意識的には「不安もプレッシャーも何もないけど?」
というレベルの段階から
身近な人に積極的に
無理やりでも「これ不安かもプレッシャーかも」と思いそうな弱音を
積極的に伝えてみたらどうなるだろう?と思った。
そしてそれについて相手は、
アドバイスではなく励ましや肯定の声がけをしてもらう。
相手もそれを望めば、相手にも弱音や不安を吐いてみてもらう。
自分達の心や体にどういう影響が起きるのか?を見てみる。
一回ワークショップで「愚痴を言おう!」の回を開いたけど
それをもっと個人的・私に合わせたバージョンで
実験してみることで
「ケアをする側な人の生きづらさはどうケアすると楽になるか」
の一例を実感として作れるなと思った。
面白そう!!!!!!!
早速今月それをやってみる!
私、強く強く積極的に力強く楽しく生きていきたくて
そのためには柔軟性をもつことと
自分の弱さを積極的に知って愛していくことだなと今思っているので
自分の弱そうな所をどんどん実験して
そいつを理解してやりたいね!