哀れみと軽蔑の眼差しの先にある絶望

もうすぐマッドマックスの最新作公開じゃない!とわくわく。

今日はアマプラで「ニトラム」という映画を見た。

きつかった…。

でも素晴らしい映画だった。

なかなか資金面でのサポートに苦労があったみたいだけど

この作品と出会えて良かった。

 

心理学の勉強をしているものだから

主人公の特性や障害はなんだろうと思いながら見ていたり

主人公の家族自体にも色々考えたり。

 

よくある、父親は味方だけど主人公をうまく扱えなくて

どこか恐れのような戸惑いのような遠慮をしている。

母親は父と反対で主人公に過干渉で否定的で

かといって大事な部分では踏み込まない。

父も母も子供の本質に触れよう、目を向けようとしない。

”それをしてもしょうがないから”という諦めなのか…

いや、”向き合い方を教わってないからわからない”

これが本当のところかもしれない。

これって世界中の家族あるあるなのかな?と思うような構図。

 

舞台となるオーストラリアは、

サーファーが男らしさの象徴らしく

男性性社会の中で男性としての優位性を持てない主人公は

サーフィンに憧れるもかなわず。

その群れには決して入れない。

 

共通の夢を持ちかけてくれた父も

主人公に対して奇異、怪訝、迷惑そうな目で見ずに

長所として受け入れてくれた友達も

抱きしめた腕からすり抜けていく。

思った通りには何もうまくいかない。

 

孤独は主人公はもちろんのこと

そんな主人公を子供に持った両親も

それぞれに孤独を持っていそうに見えた。

けど孤独の殻の中に入っては手をとりあえない。

 

主人公の母が最悪っていうレビューも見たけど

私的には、母が育ってきた家庭にも何かしらの課題があって

それが継承されているのではないかと考えた。

それ以上に、母といえどひとりの人間なので

母ではなくひとりの人間としての充実感や満足感に

全く目を向けられないのではないかなと考えた。

 

普通になりたいのになれない主人公と

そんな主人公を煙たがり恐れる人々。

そして最悪の結末へ。

 

まるで弱者の歌詞の世界のようで

冒頭5分くらいたってから何回涙が出ただろう。

このどうしようもなさに。

けれどこれをどうしようもないといって

匙を投げないように

ひとりひとりが直視し、

”普通とされているもの”とは違う人と

どう共生できるのかを考えさせるために

作ったんじゃないかなと思う。

最後に銃規制について書かれていたけれど

日本に住む私としては銃規制よりも

この主人公のような誰かが

孤独と衝動から全てを破壊するような行動に

どうすれば出なくてすむのか

そういう問題提起の方に目がいった。

 

ーどんな境遇だろうが犯罪は許されないー

という言葉は当たり前すぎるし

そんなこと言ってたって何の解決にもならないので

そこは別に言う必要すらないように感じる。

 

面白かった!という言葉だと語弊があるけれど

人が目を背けたがる部分に

光を当てることをしてくれる方には頭が下がる思いだ。

私もものを作る人間としてとてもやる気と励ましをいただいた気分。

https://www.youtube.com/watch?v=cBF3qjdMzLY