愛さなくていいから

毎月お届けする言葉と音楽。

10回目の曲を少しお見せ。

 

何をすれば彼は愛されるの

何もしなければいいと人は言うが

誰も彼も通り過ぎるだけだ

いずれ君も巻き込まれるだろう

不本意だろう?

他人事にはなれない

「愛さなくていいから」作詞作曲シギ

 

定期便のお買い求めはこちら↓

https://shigi.thebase.in/items/29365082

年内ライブ情報とご予約フォームです!

日程:2024年11月8日(金)

場所:越谷EASYGOINGS

住所:埼玉県越谷市弥生町3-43 エヌビルB1

時間:OPEN 17:30  START 18:00

*シギの出演時間は21:20頃から

チケット:前売り¥2,400+1D 当日¥2,900+1D

 

日程:2024年12月21日(土)

場所:Acoustic Houseおとなり

住所:埼玉県入間郡三芳町みよし台7-9

時間:OPEN18:00 START18:30

*シギの出演時間は20:10頃から

 

チケット:¥3,000+1D 配信¥2,400

動画配信:https://twitcasting.tv/acousticotonari/shopcart/340294

↑こちらチケット予約のページ反映までお時間がかかる場合があります。

 

 

チケットのご予約はこちらから↓

メールアドレスを記入された方は、チケット予約完了のご連絡をいたします。

記入されなかった場合はこちらからご連絡をいたしませんが

予約はできていますのでご来場ください。

 

ー入場方法ー

ライブハウスの受付にて、シギを見に来たこととご予約時の名前をお伝えください。

チケット代とドリンク代をお支払いご入場ください。

 

ーその他ー

シギの出演時は動画、静止画共に撮影自由です。

他の出演者の方は別途お問い合わせください。

 

日帰り栃木旅

ラジオのとある番組にお誘いいただき栃木へ。

詳細が出たらまたお伝えします!

 

なんと移動時間、往復6時間超え!ひええ〜

朝6時過ぎ起き!ひええ〜

ですが早めに眠れたので思ったより眠くなく起きれた。

 

少しでも栃木を感じようと

宇都宮駅から栃木放送までウォーキング。

めちゃ良い感じの川があってテンション高まった。

栃木放送へ到着。

 

最近、ライブ以降は大人しく家にいることが多いので

沢山のプロフェッショナルな方と触れ合い刺激になった。

吉田さんと私。

私のTシャツに描かれてる葛西さんの顔真似をする吉田さん良い顔。笑

吉田さんのTシャツよしざらしだ!

キャラ対決みたいになってる。笑

 

吉田さんとはゆきおとこさんの紹介で出会えて

吉田さんの色々チャレンジされる姿勢や

体いっぱい使い切ってお仕事される姿をSNSでよく拝見するので

その度に「パッション溢れる素晴らしいおかた…」

と眩しく刺激をいただいてるので

またお会いできて嬉しかった。

パッション道場も聞いてくれてるみたいでテンション高まった!

ゆきさんもだし、とっても素敵なご縁、この先も長く大切にしたいな。

 

アナウンサーの中里さんも一緒に。

1時間くらいトータルでお話したのですが

あっちゅーますぎました!

中里さんのプロアナが為せる技なのでしょう…

打ち合わせの時から中里さんのプロフェッショナル を

私は体感できる出来事があってリスペクトでした。

お話しやすくてありがたかったです。

曲中に私がぶっちゃけ話をして

そこが一番盛り上がってたのも良い思い出。

人生色々ありますわよね。

また中里さんに会いたい!

 

収録を終えて、本当はゆっくり宇都宮観光したかったのですが

朝からめるちがお腹を空かせて待っているので

駅前でサンドイッチを早食いしてとんぼ返り。

 

 

メンバーが出来たらこういう色んな場所で

美味しいご飯やお酒を堪能したいなぁ〜とめちゃ思った。

という意味でも、良い刺激をいただいた一日でした。

 

吉田さん、中里さん、川島さん、わたなべさん、

ありがとうございました!

また会える日を楽しみにしてます!次は栃木観光!

善なる鼓動

私は慄く

自分の中に響く鼓動に

目を瞑る突風に

太陽のない昼に

.

私は慄く

私が描く未来に

私が望む姿に

私が踏み出す一歩に

.

心の中でひとり

自分だけが膝を抱えている時に

私はふと気が付いて

あなたを描き出す

.

あなたがいる

この世界に確かに

.

私の世界にあなたがいる

それだけで私は強くなれる

それを思い出す時

私はひとりではないと思える

.

心から血が流れても

私は私の望む方へ行きたい

行きたくて止まない

恐れるのに行きたくて止まない

.

あなたが生きる時代に生まれたことが私の救い

あなたの心の美しさが私の希望のひとつ

あなたは誰といたいですかpart3

あと最近よく感じるのは

私は仲間が抑圧された環境にだけはシギで味わわせたくない

(え、味あわせたくないだと思ってたけど味わわなのかもw)

その環境を作る第一責任者は私だと思っている。

 

だから関わった人間が私の仲間に高圧的な態度をとったり

偉そうな勘違いしたことをしてきたら

その時点でアウトにすると決めている。

一匹変なのをいれると環境が変わるっていうのはあると思うから。

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今までこれは違うなって思う関わりになった人は

総じて自分が大切にしたいコアの価値観が

ずれているからって所があった。

 

いろんな考え方はあって当たり前だけど

大切にしたいコアの価値観がずれていると信頼問題に関わる。

例えば

「なるべく動物を大切にしたい考えの人」と

「動物なんて人間以下なんだからどう扱ったっていいって考えの人」は

うまくいかなくなる。

 

自分にとって大切なコアの価値観は本当に大切なんだと感じる。

そこが私にとっては

「金とかブランドとかの物質的な価値とか

勝ち負けや優劣とかの資本主義のルールを真に受けすぎてる人」

 

こういう人はどんなに熱く夢を語ってそうに見えても

結局スケールが資本主義の中での個人止まりの浅さがあったり

どんなに誠実そうに見せてたとしても

心の中で無意識に人に対して

優生思想的なものを持っている心根が見える発言をしたり。

で、大抵そういう人は私を持ち上げる時に

その発言を出すから本人は称賛のつもりだろうけど

私からすると毎回そういうのには冷めた気持ちになる。

 

 

ここでうまく言語化できないけど

純粋な称賛ではない何か濁ったものをそういう人の言葉からは感じる。

 

そういう人間は美しくない。

 

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想像がつくと思うけれど

私はネオリベ的な考えを持ってる人とは考えが合わない。

勝ち負けや利益や、効率やそういうのを第一にして

人を使えるか使えないかの尺度で見ていたり

上下関係や結果が出ていない人を自然と見下したり

自分が恵まれただけなのを努力してここまできたと勘違いしてたり

誰かの犠牲に成り立った結果を俺の手柄だと横取りしたり

そういう奴らが総じてだるい。

そういう奴らに心を踏みにじられる人がいることが耐え難い。

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私の当時のマネージャーは実績がまだない私でも

私の音楽をかって細かく面倒を見てくれた。

私もそこに共感する。

 

実績とか収入とかどんなすごい場所に住んでるかとか

そういうのって本当に心の底からどうでもいい。

 

自分がすげ!と思った人とか、好きだ!と思った人が

世間から見たらなんの評価がなかったとしても

私は世間の方に対してあんたらもったいないね、

あんたらセンスないねえって思っちゃう。

 

誰かの評判とか今結果が出てないとかもどうでもいい。

自分が良いと思った人が、良い。

そして新自由主義的なのは旧時代的考えになっていくだろう。

人間をピラミッド構造に当てはめるのは淘汰していってほしい。

家父長制も滅ぼしたい。

私はいま無党派なんだけど、

一個だけ決まっているのは家父長制は断固反対ということ。

 

ここまでどうしてこうも

「嫌だと思うネオリベ的な人の紹介」を重ね重ねしたかというと、

私がなんとなく付き合った人にそういう傾向の人が多かったから。

「こういう奴はお断りです」とここに明言しておくため。

 

_______________________________

 

風の時代的に

”いろんな人と対等に自由で自立した個として依存せず付き合っていく”

というと耳障りは良いけれど

自由と引き換えに必ず責任が出てくる。

責任をとりたくないから不自由さを選択していた人は多い。

 

けれどそのあり方ではどんどんこの先やっていけなくなる可能性大。

でもいやいやの責任なんてさ誰もとりたくないから

だからこそ「自分がどうしたいか」「誰といたいか」を決めるのは大事。

あなたがどうしたいかが一番大事なんだよってこと。

 

怖い世界になるとかじゃなくて、あなたファーストになる時代がくる。

てかそういう時代になった方が良い。

自分がやりたいと思えることなら、

責任から逃げたくなるよりもやってみたい!が勝つと思う。

それでいいんだよ!それがいいんだよ!

あなたが思う方へ走っていいんだよ!

あなたがあなたを愛せそうな方へ

今よりもっと仲良くなれそうな方へ

そっちを選んでいいんだよ!

地獄みたいな場所で羨んで足引っ張る人も現れるけど

そいつらを蹴り落とすことに躊躇せずにそういう所からは逃げて

あなたの思う方へ行っていいんだよ!

って話。

私も自分の思う方へ、どんどんどんどん行くぜ!!!!

 

最後に、「あなたはどんな人と生きていきたいですか?」

https://www.youtube.com/watch?v=MDTpqweeDM4

心にあなたがいる

あなたの物語の中に私を見た

私の覚悟の中にあなたの情熱が燃える

あなたの美しさが私の中を侵食して

それは私の思想の一部になる

あなたが死んでも残り続けると

あなたの信念の前に跪いて誓う

臆病な私のままで

あの扉を開ける

あなたは誰といたいですかpart2

私は結構人間が好きだから

近づいてくる人とか前向きな人には積極的に関わっていた。

相手の職種も年齢も実績も別に気にしない。

巡り巡る縁もあるから

誰と付き合うかあんまり自分で決めきらない方が面白いとも思ってた。

 

でもそれはもう大部分やめようと思う。

ここ数年でかなり色んな人間関係の変化があった。

でもそれらのほとんどが始まりがなぁなぁな感じというか

誘われて乗っかっただけとか、なんとなくの付き合いみたいな

そういう根っこが弱い木みたいな付き合いだったように思う。

 

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あなたのためにと近づいてきながら

土の時代的な上下関係を自然とつけようとしてくる人とか

寂しいとか暇つぶしとか下心を持って連絡をしてくる人とか

そういうのって全然いらないなって思った。

てかふざけんなって感じじゃねって思った。

こいつら全員舐めくさってんなって。

でも当人達はその失礼さに気づいてもいないんだろうなって。

 

今までふざけんなって思わなかったのは

私が自分をまだ大切にできてなかったからなのかもしれないし

私も暇つぶしのように時間を使っていたからなのかもしれない。

 

類は友を呼ぶが現実で起こるのは

自分の色が良くも悪くもはっきり出せている場合。

自分をはっきり出さないでなんでもなんとなくウェルカムにしてると

暇な人とか持て余した人とか利用しようとする人も混ざってくる。

そういう人と関わっては関係を消してみたいなやりとり自体が不毛。

 

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初めから明確に人付き合いをどうするかみたいな信念と

境界線をつけられてる人も世の中にはいると思うけど

私のような子供の頃から大人びてて人のケアしがちな人、

共依存に陥りやすい人はそういうのが結構苦手なのだと思う。

そこらを含めた話は以下のパッションでも話している↓

 

私がこういう失礼な奴らと付き合うの不毛だなって思えたことのひとつに、

この人好きだな、大切にしたいな、良いな、

そう思える人達の出会いがあったから。

 

大切に思える人と関わっていると、

大切にしたいから傷つけるようなことはしたくないなとか、

大切にしたいから利用されてるんじゃないかとか心配させないように

誠実に関わりたいなとか、

利害抜きの丁寧な付き合いをいちいち心がけるようになった。

大切な宝を壊さないようにしたい、みたいな気持ち。

 

自分にできることはなんでもしたいし、

昔私が大人達に言われていた「俺を利用して大きくなれ」っていう

そういう言葉の真意がわかった気がするし、

たとえ自分が手渡したことが

断られたり途中で上手くいかなくなっても

利用されたとか裏切られたなんて気持ちにはならないだろうなってわかる。

だってそうしたいと思ったのは私の意思だから。

 

その意思の責任は最後まで自分にあるから、

相手を悪者にさせるのはおかしい。

私は自分の大切な世界には自分の大切な人達だけをいれよう。

そうはっきりとわざわざ言語化して決めることが私には必要だった。

あのマネージャーさんくらいの明瞭さが。

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Part3に続く

あなたは誰といたいですかpart1

風の時代とはなんじゃい!のパッション回で話しました。

この先は「自分はどうありたいのか」「自分は誰といたいのか」

この2つの軸を大切に明確にしていくことが重要ですよ!と。

これはどちらも”あなた”がどうしたいのかを一番に考えるべき時が

今から先の時代めちゃくちゃ必要ですよという事なのであります。

 

星の観点からこの先の時代はより自由で多様性溢れる時代へなっていく

金や名誉や地位よりも精神性に重きがおかれ、

ピラミッドではなく自立した横つながりが大切にされる価値観の時代へ。

”今までがよかった””昔はよかった”という執着心や保守的な気持ちは

どんどん引き剥がされるような出来事も起きてくるかもしれません。

 

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「誰といたいか」

 

事務所に所属していた時に、

ある1人が私のマネージャーとしてついた。

その人はめちゃきめ細やかに私のケアをしてくれた。

何を着るかから、

ライブ前に良い香りがするアロマを

その時々の気持ちにあわせて吹き付けてくれたり

今までスタッフの方やマネージャーの方何人かついてくれた事あるけど

こんなに細かく見てくれる人っていないなと思った。

 

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けれど、その後に私のスタッフについてくれた方から聞いた話だと

そのマネージャーはめちゃくちゃ色んな人から嫌われているらしい。

細かい理由は忘れたけど、

傲慢だとか偉そうだとかそういう理由だった気がする。

 

確かに私が事務所の女優さんと一緒にいた時に、

その女優さんが席を外すと

そのマネージャさんが私に

「あの子は顔のここの骨のパーツが長いから顔がでかい。

それに比べてシギはそのパーツが短いから顔が小さくて良い」

みたいな話をしてきたのを覚えている。

私はどちらかを落としてどちらかをあげるやり方って好きじゃないから

「なんでそんなことわざわざ私に言うんかな」と思った。

 

話は戻して、そのスタッフの方の話を聞いた時に

私は「え!あのマネージャーさん私めっちゃ好きだったよ。

すごい私のこと見てくれてきめ細かいケアもしてくれた!!!」

と話すと、スタッフさんが

「それはあなたのことを認めていたからだね。

あなたに才能があるって感じてたからだよ」

と返した。

 

なるほど!

自分が認めた人には細かくケアし尽くすけれど、

自分が認めてない人にはどうでもいい扱いをする。

だから顔のパーツでどうでもいいと思う人を貶したり

そういう事をするからみんなから嫌われてたのか!

 

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今の私はこのマネージャーさんからすごく学ぶものがある。

だから思い出した。

誰と付き合いたいかという問いかけに

このマネージャーさんは即答できるだろう。

「私は私が認めた人だけ大切にする」と。

それは一見冷たく感じるし、

私は認めてない人をわざわざとぼす事はしなくていいんじゃねえかと思うけど

でも私に大切なのはこれくらいの明瞭さだったのかもしれないと最近思う。

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part2へ続く

 

輝きを信じているミュージシャンに出会うと嬉しいなあ

優しかったのは君だけだ

ジョーカーを見に行った!

だらだら書いていく。

見る前からネット記事とかで不評だったりを見てたので

どんなもんかとドキドキしながら見に行ったが

私は自分の心情とマッチできたのか1の時よりも楽しめた。

(1の時はジョーカー内容と自分のその時の心情があまり合っていなかった)

 

各場面で絵画のように感じる綺麗な場面や

1に引き続きのチェロの凄み

華やかなエンターテイメント的豪華な音楽の終わりが

不協和音と共に混じって不穏さを持ちながら本編へ戻っていく。

そういう演出も良かった。

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以下からネタバレになる。

 

まず見終わった時に

「悲劇は喜劇というけれどそれは本当なのだろうか」と漠然と思った。

所詮、喜劇と捉えることができて

笑いものにできるのは当事者ではないからなのではないかとか。

観客でいられる時だけ、高みの見物ができる時だけ。

 

あとこれは1からそうなのだけど

悲しいくらい誰も本当のアーサーを見ていないんだなぁと終始感じた。

誰も自分を見ないし感じようともしてくれないってどういう感覚になるんだろう。

そういう疑問を持つこと自体が

私が環境として恵まれてきたことの証左だ。

 

唯一ジョーカーではなくアーサーの本質を見てくれていたのは

ゲイリーくらいだったんじゃないかな。

ゲイリーの「君だけは僕に優しかった」という台詞を

あの場にいた人のどれくらいの人がちゃんと聞いたんだろう。

 

 

証言台で話されたアーサーの母親についての話は本当に胸糞悪くなった。

と同時にその母親がどんな親に育てられたかも想像がつく。

結局こういうのは連鎖した負のループで

それを負のループに巻き込まれないで済んだであろう

高級職のような立派そうだけれど

心の機微に欠けてそうに見える人たちが(これは私の偏見)

爆破して一瞬で吹っ飛ぶさまというのは

起承転結の転をずいぶん力技でねじ曲げたなと驚きつつ

その場面でどこかそういう人を見下して

清々しい気持ちになってしまう自分の感情の暗がりのようなものもあった。

 

それでどんな金持ちだろうが良い職業で偉そうにしてようが

負の存在とされた人たちによる爆発によって

高見の人間たちも巻き込まれていくというのも

人間の世界って感じがすごくする。

結局良い環境に育って人を見下して嘲笑ってるような人間も

巻き込まれて運命を共にしてしまうというところが。

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ビートたけしがファンが一番怖い

みたいなことを言ってたのをいつか見たけど

この物語を見てもそう感じた。

勝手にジョーカーを自分たちの都合の良いように神格化して

期待に添わない行動をすると

裏切られたかのような振る舞いをする身勝手な人たち。

自分の行動の正当化のために他人を使いたいだけの人たち。

アーサーは元々リーダーシップがある訳でもないし

信念を持って人を殺めたわけでもないから

結局自分自身の身の丈に合わないような仮面をつける事になる一方で

本当は誰よりも純真で優しいはずのアーサーの対比のような矛盾したものが

大雨の中ひとり泣いてるのか

笑ってるのかわからないような場面に入ってるようで

アーサーの心情が感じられて辛い。

 

誰もアーサーを見ていないし、

アーサー自身も幼少期から背負わされた役割をこなすことで

自分がどんな人間なのかもわからなくなる。

それを親身に話し合い分かり合える感受性を持つ人もいなかった。

 

唯一自分を理解してくれると思ったはずのリー(レディーガガ)も

やはり自分ではなく仮面としての存在であるジョーカーを

見ているというのも辛い。

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映画のエンドロールで

ジョーカーに憧れ近づき

アーサーに冷め離れていったリーが

ザッツライフを華やかに歌い上げる曲が流れ

その後にアーサーがつたないアコギ一本の音で

ラブソングを歌うという対比も切なかった。

 

なんか、アーサーの心の底にある純真な願いと裏腹に

自分の本質を見もしない人達に良いように

利用されるばっかりのどうしようもなさが辛かった。

 

アーサーが最後にザッツライフを歌って

「いろんなことがあるけれど

それでも僕は諦めることができない」

アーサーが刺された後にその曲をアーサーが歌って流れるのも

またエンタメとしては皮肉になってよかったけれど

そうはせずにアーサーの中にある純真さを

一番ラストに歌に乗せ持ってきたことの

監督の誠実さみたいなものを私は感じた。

 

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まぁ、確かにめちゃくちゃ俯瞰してみれば

環境に恵まれなかった哀れな犯罪者が

獄中で恋愛をするも有罪になり恋人にも振られる

というどうしようもなさを喜劇としてギャグ的に思えることもあるけど

やっぱりそれは当事者ではない立場だから笑ってられるのであって…

と思ったけれど、文字通り、悲劇というのは「悲しい”劇”」なのであるから

人生ではなくそういう劇だと思えばそれは笑えるのかもしれない。

けれど人生はやっぱり劇のようではあるが劇ではなくて、

劇のようなものだと捉えて生きることを私もするけど

人生は命がかかっていることだから、

だからアーサーという劇なら喜劇にもなるかもしれないけど

そういう人間が現実にも存在していると思うと

それを劇として喜劇だよねえと言って「夕飯じゃぁ何にする?」みたいに

一時間後にはもうそんな事も忘れて

普通の生活に戻れてしまうということが

そういうことが私はなんとも心に引っ掛かりを感じてしまう。

 

かといって私も四六時中そういう事を考えてるわけじゃないんだけど。

そう思うと自分も結局は仕事の時だけ粛々と対応するような

弁護人や検察官のような人間と何も変わらない部分があるのかもなと思う。

そういったものを段々突きつけられているような気がしてくる。

などといったりきたり、考えを巡らせていた。

それでもそこで虚無で終わらせるのはエネルギーに欠けている。

信じたいという輝きをどん底でも否定したくない。

 

救いとは一体なんだろうね。