心にあなたがいる

あなたの物語の中に私を見た

私の覚悟の中にあなたの情熱が燃える

あなたの美しさが私の中を侵食して

それは私の思想の一部になる

あなたが死んでも残り続けると

あなたの信念の前に跪いて誓う

臆病な私のままで

あの扉を開ける

あなたは誰といたいですかpart2

私は結構人間が好きだから

近づいてくる人とか前向きな人には積極的に関わっていた。

相手の職種も年齢も実績も別に気にしない。

巡り巡る縁もあるから

誰と付き合うかあんまり自分で決めきらない方が面白いとも思ってた。

 

でもそれはもう大部分やめようと思う。

ここ数年でかなり色んな人間関係の変化があった。

でもそれらのほとんどが始まりがなぁなぁな感じというか

誘われて乗っかっただけとか、なんとなくの付き合いみたいな

そういう根っこが弱い木みたいな付き合いだったように思う。

 

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あなたのためにと近づいてきながら

土の時代的な上下関係を自然とつけようとしてくる人とか

寂しいとか暇つぶしとか下心を持って連絡をしてくる人とか

そういうのって全然いらないなって思った。

てかふざけんなって感じじゃねって思った。

こいつら全員舐めくさってんなって。

でも当人達はその失礼さに気づいてもいないんだろうなって。

 

今までふざけんなって思わなかったのは

私が自分をまだ大切にできてなかったからなのかもしれないし

私も暇つぶしのように時間を使っていたからなのかもしれない。

 

類は友を呼ぶが現実で起こるのは

自分の色が良くも悪くもはっきり出せている場合。

自分をはっきり出さないでなんでもなんとなくウェルカムにしてると

暇な人とか持て余した人とか利用しようとする人も混ざってくる。

そういう人と関わっては関係を消してみたいなやりとり自体が不毛。

 

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初めから明確に人付き合いをどうするかみたいな信念と

境界線をつけられてる人も世の中にはいると思うけど

私のような子供の頃から大人びてて人のケアしがちな人、

共依存に陥りやすい人はそういうのが結構苦手なのだと思う。

そこらを含めた話は以下のパッションでも話している↓

 

私がこういう失礼な奴らと付き合うの不毛だなって思えたことのひとつに、

この人好きだな、大切にしたいな、良いな、

そう思える人達の出会いがあったから。

 

大切に思える人と関わっていると、

大切にしたいから傷つけるようなことはしたくないなとか、

大切にしたいから利用されてるんじゃないかとか心配させないように

誠実に関わりたいなとか、

利害抜きの丁寧な付き合いをいちいち心がけるようになった。

大切な宝を壊さないようにしたい、みたいな気持ち。

 

自分にできることはなんでもしたいし、

昔私が大人達に言われていた「俺を利用して大きくなれ」っていう

そういう言葉の真意がわかった気がするし、

たとえ自分が手渡したことが

断られたり途中で上手くいかなくなっても

利用されたとか裏切られたなんて気持ちにはならないだろうなってわかる。

だってそうしたいと思ったのは私の意思だから。

 

その意思の責任は最後まで自分にあるから、

相手を悪者にさせるのはおかしい。

私は自分の大切な世界には自分の大切な人達だけをいれよう。

そうはっきりとわざわざ言語化して決めることが私には必要だった。

あのマネージャーさんくらいの明瞭さが。

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Part3に続く