創作者に必要な心身性とリアリティ

今日は自分を使い切った。昨日の自分よりも使い切った。

やはり朝ごはん食べる前にHIITすると体が良い具合にシャキッとする。

 

昨日ある動画で「他の人が50時間やるなら

君は100時間やるんだ」という

マッチョメンタルな言葉を見て

だけどこれって本当にやりたいなら自然とそうなるよなと思った。

 

めんどくさいんだけど、

やりたいからそれをやるほかないみたいな。

私はそれでも途中でぐうたらする癖があるので

これを極限まで削れていけたら自分が行きたい場所にもっと速く

たどりついたりするのだろうか、と考えた。

そこに行くか行かないかは未来を見なきゃわからないけど

今その未来に繋がるだろうと思える行動を積み重ねる。

それ以外やることはない。

 

特別な日に頑張るんじゃなくて

毎日毎日の地味な生活を全力で頑張る。

 

あと今日は石原慎太郎さんの言葉で

(石原さんの作品では「黒い水」が好きだ。)

最近の作家に欠けてるものは、という質問に対して

「リアリティと心身性が足りない」

「立派な作品を作るのは結構だけど

本物のジュニュイン(誠実な、正直な)なものがない」

という言葉を見てすごく共感した。

最近の作家に欠けてる!と思ったとかでは全然なくて

最近私が歌っていて思うのが

心身性と作品て思った以上に深く繋がっているんだなってこと。

地に足をつけるって、体幹でもあるなっていうこと。

音楽は肉体から生まれるものだから

その肉体の中にある筋肉や脂肪の振動が通されて声となる

パフォーマンスもそうだし

言葉も肉体の影響を強くうけると思う。

それは、非常にリアルなもの。

どんなに幻想的でも、フィクションでもファンタジーでも

作り手が人間という入れ物に入っている以上

心身性から離れることはできない。

そこから離れるということは仏作って魂いれず、

みたいな作品になるのかもしれない。

 

真のエンターテイメント

ケンドリックラマーのスーパーボウル面白かったな。

ハーフタイムショーの解釈を載せてる方の文章見て

https://www.udiscovermusic.jp/columns/report-kendrick-lamar-super-bowl-halftime-show?amp=1

エンタメって厚さよなあああと思った。

 

ケンドリックラマーがディスりまくっている

ドレイクのディスをあの視聴率が一番高いと言われてる

スーパーボウルの舞台でブッ込むかっていうことと

ドレイクの元カノも出演させるっていうことと

それに加えて「40エーカーズとラバ1頭、これは音楽よりでかいんだ」

というセリフの意味。

南北戦争の後の奴隷解放についての話も差し込んでくる

それもトランプ大統領がいる前で

差別問題は終わっていないんだと釘をさすように。

演者全員黒人で、アメリカ国家に扮するダンサーの

中央にケンドリックがいることの意味。

そして最後は車体にパレスチナの旗と

内戦が続くスーダンの旗が掲げられて去っていくという

自分ごとから戦争までたった10分ちょっとのショーにいれるという

すごい厚み。

 

エンターテイメントってものは

人間の生活や歴史と共に生きているものだから

本来はこれこそがって事なんだろうなと思いつつ

日本人でこれをエンタメに昇華することができるのって

どれくらいのアーティストがいるだろうか、、と思ってしまった。

それを放映するメディアがそもそもいるのだろうか、、、。

なんてことを思った。

 

これが俺らの生き方だ、ということを

過去と未来を含めた問題提起の中に堂々落とし込む

そういう姿勢をもったアーティストはこの国にどれくらいいるのだろうか。

冷や水ぶっかけられたような気持ちにもなる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=KDorKy-13ak

↑youtubeのアプリからなら見れます

見れない方はyoutubeで「ケンドリックラマー スーパーボウル」で検索。

アップから5日たって6000万回再生ってのもすごい!

 

私が好きなハーフタイムショーは

日本でもおなじみのブルーノマーズとビヨンセ。

https://www.youtube.com/watch?v=SDPITj1wlkg

資本主義感がすごい。笑

こちらもyoutubeのアプリからは見れます。

見れない方は「ブルーノマーズ NFL」とかで出ると思います。

 

https://www.youtube.com/watch?v=9rhadTURsrw

こちらも「weekend NFL」で検索を。

 

weekendはコーチェラのライブ配信見た時に

すごい筋肉が引き締まってんだろうなーって外見で

この時の映像で鍛えたい欲が高まったのもある。

MVとかだとわからないけど

ライブパフォーマンス見てるとみんなタフな時間になるから

しっかり鍛えてるのがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=L8ZoGtAQ1mw&t=1367s

 

体力は一日にしてならずだから地道に頑張ろう。

くらえレネゲードロウ!

昨日は腕肩・胸背中らへんを筋トレして、

前回「出来ないよこんなの〜!」と

思ってたレネゲードロウがなんと今回できた!!!!!!!

喜びの舞。

 

今日は昨日のブログでも書いてた歌どりの本番をした。

オンタイムで歯切れ良く歌うのを意識していると

筋肉と歌って思った以上に密接な関係性にあるなと思った。

どちらが優劣とかの話ではなく

脂肪量が多い人の歌と

筋肉量が多い人の歌では違いが出そうな気がする。

 

肉体の構造的にも変わりそうだけど意識でも変わりそう。

私は運動していた方が良い成長期にぐうたらしてたので

筋肉量が元々少ないと思う。

それが今になって体を鍛えて昔より筋肉がつきだすと

肉体があって歌っているという意識が出てくる。

今まではなんとなくの無意識で歌っていたけど

今は自分の体が自分のものという意識の元に

そこから歌が繋がって出ている、みたいな感覚。

 

歌録りが終わって軽いミックス。

自分が録って調整したものが良いかどうかは

大体一回別の動作(料理とか洗濯とか)をして

完全に別の作業をしたあとで

改めて録音したものを聴くということをしている。

できたら買い出しがてら外でその音楽を聴いたり。

 

パソコンのヘッドホンからきいて

パソコンのスピーカーからきいて

スマホのヘッドホンからきいて

スマホのスピーカーからきいて

なるべく人が日常で聴く時の状態で聴くようにする。

 

そんな一日。

保護中: 君は絶望のなかで戦士になるvol.02

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繰り返すことで体に入る

手紙2025の2回目の歌入れを何回も繰り返ししている。

私の歌唱の癖として後ろにいきやすいところがある。(もたるということ)

演歌がわかりやすい。

今後歌っていきたいやつはその癖が出ると

気持ち悪いくらいもたった印象が出てしまうので

BPMというリズムを刻む音を出しながら

オンタイムで歌えるように何回も繰り返し歌っている。

自分の強みは出すべきとこで出してこそで

歌という慣れたものの中にも苦手や新しく挑戦できることがあると

やっていて出来ないことにワクワクしてくる。

 

そういえば心理学の勉強も復習ばかりになって

筋トレも回数をこなしているので

最近繰り返すことが多い。

大谷選手だって井上選手だってトレーニングは基本の繰り返しだろうから

これはなかなか地味なものの中にある誇らしさなのかもしれないなと思ったりした。

 

太もももだいぶ元に戻ったので内容は抑えずに再開する!

曇っても太陽はそこにある

心が形作るその頃

刃物のように冷たくて尖っていて

それでいて誰よりも温かい

あの音にくるまれて眠っていた

.

私の居場所はその音の中にあった

自分の承認のためにある偽物の優しい音ではない

心の底からのほんとうの音以外はいらない

.

あの時の気持ちを

未だにずっと持ち続けている

未だにずっと愛し続けている

その音にくるまれ眠っていた記憶

私の血の中に存在する

その血がついた筆で描く私の言葉

私はその言葉を

生きることを使い果たすために歌う

.

あの臆病者め

お前もそのために生きてきたはずだろう

繊細だから仕方がないと

私は慰めたりなんかしない

何を迷う事なんてあるものか

くだらないトンネルに入りやがって

出口の光が見えない、じゃない

お前自身がお前の光だろ

せいぜい飽きるまで膝を抱えているのが良い

お前が歌わなくたって私は歌う

夜を越え

届かない想い?それでも何も構わない

触れることもなく

見つめ合うこともない

.

届かない想い?それでも何も構わない

君の声ならいつでも聴こえる

君が幸せならその幸せの種類について

何も問わない

.

ルール違反?それでも構わない

この心は風のように吹き荒び

留まることを知らない

誰にも捕まえさせない

.

君が生きているから僕は輝ける

僕は駆け抜ける

君の瞳に向かって

苦痛のない快楽など快楽ではない。

一昨日、太腿の筋トレしすぎて2日使いものにならなくなった。

また病院送りになるところだった…

昨日ウォーキングしながら

「なんでやりすぎてしまうんやろうか」

と思ったけど、考えてる途中で

「やりすぎちゃうんじゃなくて、

やりすぎたいんじゃないか…?」という事に気づいた。

 

先日、手紙2025の限定ラジオで

限界突破の目標を何にしようかとしょへすんと話しあってた時に

しょへすんが「シギは新曲ができたら発表すればいいじゃん?」

と言ったあとで、

私は「そんなのヒリヒリしないからつまらんじゃん。

もっとスリルがないと」と返したことを思い出した。

暴走族かよって自分で思ったけど

やるかやられるか、壊れるか壊れないか

みたいな所に面白さを見出している節はある。

自分の歌も、ただ安定で楽勝に歌えるうたなんてのはつまらなく

自分が全力を振り絞ることに面白さと苦しみを感じている。

快楽は苦痛とセットにならないと得られないものだから

私に「無理しないで」とか「頑張りすぎないで」とかは

私のイメージ的に言われやすいのだけど、

それは私に「気持ちよくならないで」「楽しまないで」

と言っているのと同じなのだ。

 

一方で私は安寧を愛している。

安寧を愛しているが、安寧を壊すこともたまに求めることがある。

エンタメでよくあることだけれど

そういうアンビバレンス的なものに惹かれる人間は一定数いるだろう。

 

筋肉を破壊するというのは

筋肉痛は筋肉が作られる過程において大切なことだ。

でもいきすぎるとオーバートレーニングで

全身の倦怠感や免疫力低下に襲われる。

この2日は倦怠感に襲われた!!!!

 

知人レスラーに「筋トレでめちゃくちゃ痛くなっても

普通に仕事するん?」と聞いたら

「普通のことだから、痛みは気にしない」とのことで

何年も習慣化した人の精神性は違うなと思った。

 

目先での私のやりたい事のひとつはハンドマイクでのライブで

表現していきたい音楽のドラマ性みたいなものは頭の中に流れ

体がそれらに見合うものになるようにセッティングする

今はその道のりの途中。

 

とどのつまり私という人間の苦痛というのは

修行僧などのそれとは全然違う種類の

単なる快楽主義的な軽薄なものなのかもしれないという事なのである。

そう思うととたんに自分に対して背負う荷物が軽くなるのである。

全然立派でもなく

自分が求める快に素直なだけの人間なのだなと。

筋肉を細胞を目覚めていただきましょう。

少しずつ運動再開。

今日から軽めHIITを朝起きたら実施することにした。

バウンドナロースクワットっていうのがあって

それが自分ジェットコースターみたいな感じでめちゃ好き。

これやると毎回テンション高まる。

 

起きてから息が上がる行動するのって

めちゃポジティブな気持ちになるから良い。

体にも良くて気持ちにも良いって何事!?

去年の夏の私。

腹の前面がわりとすっきりしたけど

今はこれに、お餅とかお酒とか色々くっついちゃって

楽しんじゃってもう。ちょっとぽっこりよ。

なのでまずはここに戻す。

多分そこまで時間かからないと思う。

 

 

手紙2025「君は絶望のなかで戦士になる」の

限定ラジオで1個限界突破のある目標を設定しまして

これは公には言わないですけど、

それをかなえるには鍛えないといかん。

 

そのためには

・全体的に筋力をつける

・体幹はまじで大事

・前腕、上腕二頭筋、握力、公背筋、僧帽筋

・肩甲骨の可動域を広げる

ここらへんがマスト!

 

私と一緒に限界突破の目標作りたい!って人は

ぜひこちらからゲットしてね↓

https://shigi.thebase.in/items/29365082

 

今はまだぴよぴよちゃんを自覚して

私はいつも体力を凌駕する精神力でやりすぎて故障するので

少し落ち着いて物足りないくらいで終わらせている。

 

寝る前にフォームローラーを使って筋肉ほぐしたり

わりと一日を通して体と向き合える時間を作るようにする。

 

今年はライブやアー写もやっていくし

腹筋もうっすらと出せたらいいなあなんて思っていたり。

ここから二週間くらいはゆったりめスタートで。

 

さぁ今日は腕と足の日にしようかな。

 

世界の音を塞いで

あなたを見ていた時間を思い出す

俯きがちなあなたの瞳が

僕を見てくれることを願って

この目にはあなただけが映るのに

あなたはぎこちないばかり

僕はあなたのいない夜に目を閉じて

あなたを見ていた時間を思い出す