ある身近な人が置き引きのようなものにあって
それは占有離脱物横領というものなんだそうだけど
警察にいったら「お金をとった人が盗んだとはいえない」とか
「事件性がないから防犯カメラは見れない」とか言われたらしく
何を言ってんだそいつと思った。
防犯カメラを見れば誰が盗んだのなんてすぐにわかるのに
それをしないのは職務怠慢じゃないの?
職務怠慢で被害者がおざなりにされるのってなんなん。
それで弁護士を調べていたら
加害者のための弁護士サイトばっかり出てきて
なかには「被害者の相談は受け付けません」とか書かれてて
逮捕されても即日釈放させられます!とか
無罪実績があります!とか
そんなんばっか自慢げに載せてあって
きっと加害者の家族は取り戻すとか
社会的名誉とか自分達の信用問題とかに必死だから金積むんだろうなと
被害者は仕方ないで泣き寝入りする人が多いんだろうなと想像すると
まじでなんなんー!!!!!!と思う。
私はストーカー相談で警察行った時は
めちゃくちゃ親切な対応をしてもらったので
警察官によってこんな当たり外れがあるなんて
そんなんならもう警察も役所も全部AIにやらせろ!!!と思う。
めんどくさいっていう感情で
雑な対応を被害を受けた側がさせられなきゃいけないのが許せん。
世の中おかしいことが沢山あるのは
そりゃ不完全な人間が社会を作ってるから
仕方ないといえば仕方がないんだけど
それでもそれを少しでも直そう、
良くしようと誰かが思って行動しないと
諦めでまわる世の中って
そんな社会のバトンを子供に託していいの?って思う。
だから何かの被害にあった時に
大きな声を出してくれる人は本当に心から尊敬するし
被害者でも加害者でもない立場の場合は
サポートしたり署名したりできる限りのことはしたい。
そうやってほんの1mmでもいいから改善させていこうという
そういう意思が大人の責任じゃないのかね?!と私は思う。
どれだけ稼いでるかとか豊かだとか役職がいいとか
そんなこと以上に大人として大切な心構えだと思うんだけども。
「そんなに簡単じゃないんだよ」とか「若いなあ」とか
私のような意見に対してそういう事を言う人もいるけど
そういう諦めが大人だって思ってる所作って
本当にそれで恥ずかしくないのかなと思う。
大人って義務と権利があるからこそ
社会を良くする義務と権利も手の中にあるものなんじゃないの?と。
それを手放して放棄して社会はこんなもんって格好つけてるとか
めんどくさいだけじゃねーかって思うよ。
そんなことを思うもんで
許せない対応をされた時に
ただでさえ当事者は傷ついてしんどいだろうに
これを他の人にも同じ思いをさせまいと声をあげるのは
本当にどれだけ勇気と力を振り絞っているだろう。
許せないことを許すことは自分の感情のために必要な事もある。
許すことの大切さを説くメッセージはそこらじゅうにある。
自分のために許せたとしても、同じように苦しむ人が別にいる。
自分が楽になれるから許して、それでいいのだろうか。
今は同じような被害者がいなくても、この先に存在するかもしれない。
社会的にこれを野放しにして本当にいいのだろうかという事を
許さずに立ち向かう人の強さをおざなりにしたくない。
諦めさせよう、なかったことにしようという声にがっくりもするけど
その一方で確かに社会や人のために行動をしてる人もいるという事実を
しっかり抱きしめて私は私にできることをしていきたい。