君は絶望のなかで戦士になるvol.06

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1.歌詞

2.歌詞について

3.音声ラジオの今後

 

 

1.歌詞

「Nami」作詞作曲シギ

 

ナミは、歩いた。

歩くたびに硝子作りの首飾りが揺れた。

故郷からどれほど遠かっただろう。

ナミは父親のように慕っていた先生を亡くした。

その街の教えに背いたことが原因だった。

亡くなる前に先生はナミに伝えた。

「本当に大切なものを見つけたとき、世界はひっくり返る。

そうなってしまったら、ひっくり返った世界を生きていく以外に

道はない。」

ナミにはまだその意味がわからなかった。

先生からたくされた首飾りには

その重さ以上の重さがあるような気がした。

ナミは街を抜け出した。

残してきた母の存在だけが気がかりだったけれど

ここにいては大事なものを見失う気がしたから、ナミは歩いた。

歩くたびに硝子作りの首飾りが揺れた。

 

あの星が眠るころに感情も眠る

あの河の水の中で心を洗えば

記憶よりもっと奥に眠っていた記憶

その声に蓋をして生きてく方が楽か

 

愛よりも愛する母の歌声

悲しみの産声があがる頃

本当のあなたに光が射す

 

その命よ咲け

終わりを知るものが成せる

愛に全てを捧げ

この扉の先に待つのはなんだか今はわからなくても

 

愛が繋がれる

鼓動が終われど終わらない想い

夜を超えて

全てが燃やされても消えないものは

この手に託されてる愛

 

まだ母の胸に抱かれていた頃

なんの恐れも知らずに星に見守られ夢見た頃

あの甘い記憶が決意を惑わす

けれど私は行かなければならない

あなたが見たかったものを見るために

希望は確かにあると自分に伝えるために

 

あの街もじきに沈むの

涙の奥に持ってた願いを今から育てていくよ

あなたのため

 

ナミは、歩いた。

歩くたびに硝子作りの首飾りが揺れた。

ナミにとってこれは自分の未来を照らす方位磁石のような存在だ。

ナミの瞳の奥では子守唄をうたう母の姿が焼きついたけれど

ナミはそれを背に歩いた。

彼女の故郷を狙う人々の群れがまさに今向かっていることなど

ナミは何も知らなかった。

ナミは、歩いた。

彼女にとっての本当を知るために。

 

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2.歌詞について

曲の世界の中にもっと一緒に入るための遊びを提案したいです。

歌詞はさらっと聴いて感触として終わりでももちろん良し。

自由に好きに楽しむことが一番大切だと思っています。

けれど、私が提案する問いかけに

あなたなりの答えを見つけ出すとき

この歌の世界がただ聴くだけの時とはまた違った味わい方が

きっと出来ると思いました。

 

今回の歌詞は、ナミという主人公の女性が

先生を亡くしたことをきっかけに故郷を旅立つという話です。

このお話をより深く潜るための質問をいくつかするので

あなたなりの自由な答えを出してみてください。

不正解は1つもありません。

では、以下が質問です。

 

Q.先生はなぜ殺されてしまったのだろう。どんな事をしたんだと思いますか?

Q先生が発見した本当の世界とは、どんな世界でしょうか。

Q.あなたが思う「本当のこと」はどんなものがありますか。

Q.ナミは旅の先にどんな出会いをしたと思いますか。

Q.ナミの出来事や心情と同じような出来事があなたにはありましたか。

 

あなたがこの質問から答えを出したあと、

この曲を聴いたらまた違う味わいが出来るかもしれません。

あなたなりの意味と、私の想いが混ざり合った

唯一無二の世界観になると思います。

 

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3.音声ラジオとこのブログの今後

 

このブログは毎月お届けする

「君は絶望のなかで戦士になる」を購入された方のみ

閲覧可能のものにしていましたが

この先のブログは誰でもご覧になれるようにしたいと思います。

 

音声ラジオは5分くらいしか残せない仕様になっていたので

この先はパッション道場をお借りして

毎月作品についてのお話をしていきたいと思います。

パッション道場で話された内容は

アップされ次第このブログにも載せていこうと思いますので

あわせてお楽しみください。

 

それでは「君は絶望のなかで戦士になる」にご興味を持たれた方は

以下の商品ページをご覧ください。

https://shigi.thebase.in/items/29365082

 

界王拳10倍でのぞむスタジオ

先週はかなり忙しく出歩いていた。

土日は疲労オブ疲労を癒すためにかなり省エネモードで生きた。

 

先週はドラマーのこうちゃんと初めてスタジオに入った。

 


ドラムが入ったスタジオはめちゃ久しぶりだったけど

疲れも合間ってかめちゃ爆音に聴こえて目が覚めた。笑

そうだったドラムがいるといつも歌ってるのの

何倍も力を出して歌っていたのを思い出した。

 

準備してる時はこうちゃんとしょへのやってる

ハードコアバンドeventdayの話をしたり

ライブハウスの話などに花を咲かせた。

こうちゃんはしょへのバンドが昔から好きみたいで

働いてたスタジオとかで布教していたり

復活したライブも全部行ってたみたいだった。

 

元々、私とは同級生のもときの紹介で知り合って

スタンスパンクスのドラムを叩いてるということで

もときのバンドメンバーとみんなで行ったのが良い思い出。

(懐かしい。スタパンのライブに見に行った時)

今こうちゃんは175Rでも叩いてるみたいだ。

しょへすんとこうちゃんは昔から知っていたみたいで

一緒にスタジオに入るの不思議だねみたいな話をしていた。

 

初回のスタジオはちょっと機材不備などがあり

満足いくドラムを叩けなかったと思うけど

それでも久しぶりのドラムありで

向き合って歌う私の心の中は

なぜかセッションを想像していたよ。

 

7月のテストライブが楽しみだ。

化学変化

本当に自分が形にしたいものとはどんなものなのだろうか。

なぜ、それをするのか。なぜ、私がするのだろうか。

どうして、それをした方が良いと思うのだろうか。

そのために、何を変える必要があるのか。

 

1日しょへすんとアレンジしていて

思っていた以上の良いアレンジに突入した。

始めてから6時間後で良い場所に差し掛かった。

こういう事があるからすごく面白いなと思う。

想像外の所に辿り着くこと(想像の範疇よりも良くなる)。

 

昨日はしげちゃまも混ぜてスタジオに入った。

アレンジとか個人の作業とかで地味な時間が多いので

大きな声を出したり人と楽しい時間を過ごせるとすごく癒される…。

このメリハリ具合が今ちょうどよいバランスな気がしている。

本当はもう少し色んな人と出会いたいんだけど

誰に会うにしても今は自分が作っているものを形にしていかないことには

何かの化学変化も起きようがないので

今はグッとこらえてそこに集中している。

 

 

 

自分が形にしていきたい世界観や形態の力添えを一緒にしてくれる

感謝に溢れているこの頃。

アレンジもそうだし、楽器を鳴らし合うのもそうで

その人と私だからこその化学変化みたいな

そういうところに人間としてとか、音楽としての面白さを感じる。

言葉の刃物で切り付ける奴を切り付ける

私が怒りを感じる時は大体似ている。

 

自分のことではあまり怒らない。

ややこしい人や失礼や無礼な人が現れたとしても

怒りよりも先に相手の存在を消してしまうので(ミュートなりなんなり)

蚊を外に出したくらいの感覚でいる。

(心の中では思い切り罵倒してはいる。)

 

私が好んで見ているyoutubeがいくつかある。

基本的には穏やかで平和な空気が流れているが

ごくごくまれに私の目に意地悪なコメントが入ってくる。

そのコメントは何の学びにもならないただの意地の悪いコメントだ。

 

例えば、

「何を言ってるのかサッパリわかんない(てへぺろんみたいな顔文字を添えて)」

みたいな低俗なものや

「あなたみたいにヘラヘラしながら話してる人は社会の害悪だ。

社会の役に立ってる人間は眠らずに苦労しているんだ。」

みたいな訳わからないものもあった。

 

私は基本的にあまりSNSでもコメントしないのだが

こういう時は黙っていない。

大体私が見ているチャンネルは

大人しそうな女性がやっているチャンネルで

見てる人コメントをする人も控えめなタイプの人が多そうな印象がある。

 

だからか失礼千万な奴のコメントに何も言わない。

それはスルーして大事にしないという意思表示かもしれないけれど

私は自分がチャンネル主だった場合に

いつも良いコメントをくれる人

がみんなその失礼なコメントを無視していたら

少し切ない感情に襲われると思う。

誰も味方をしてくれないような気持ちになると思う。

でもきっと優しく控えめな人が多いから触れないのだろう。

 

だが私はそういう空気はあえて読まないので突っ込んでいく。

「何を言ってるのかサッパリわかんない(てへぺろんみたいな顔文字を添えて)」

みたいな奴に対しては同じような態度で

「あんたの頭じゃ理解できないか(てへぺろんみたいな顔文字を添えて)」

みたいな返答を、

「あなたみたいにヘラヘラしながら話してる人は社会の害悪だ。

社会の役に立ってる人間は眠らずに苦労しているんだ。」

という訳わからん難癖をつけるやつに対しては

「人の役に立とうと動画をあげてくれる人の心を折ろうとする

お前の言動こそが社会の害悪だ」

と書く。

 

外でもそうだけど、私はこういう時べつに怒ってはいない。

むしろこの高まりをどこか楽しんでいる。

日常ではなかなか味わえないイベントだからだ。

 

世のため人のために自分の好きなことで頑張ろうという

そういう清い川のような存在の

清い気持ちに空き缶を投げつけて汚そうとする存在を見ると

ぶっ飛ばさずにはいられない。

 

私の口撃はめんどくさいと思う。

理論詰めとアウトレイジが混ざったようなタイプなので

それによって若い頃はイラッとすることを言う人に対して

100倍返しして傷つけて泣かせたこともあって

そこからあまり自分が思い切り思ったことを話さないようにしようと

なるべく優しいを心がけ刃物を納めていたんだけれど

最近この刃物の使い所を知った。

 

「馬鹿とハサミは使いよう」というのは、

まさにどっちも自分のことだなと思う。

一見短所な部分も場所によっては使える。

 

ちなみに、こういう時に仲介に入ろうとする人はあまり好きではない。

お前は同じ阿呆のくせして何を穏便にすませようと思っとんねん。

祭りじゃぞこれは。お前も踊れよ。という気持ちだ。

 

「同じ土俵にあがったら負け」理論の人とも話が合わない。

そもそも相手がどんなうざい奴だとしても人間という観点において

私たちは全員同じ土俵で対等だと思っている。

それに対して「自分の方があいつよりはマシだ」という優劣の姿勢が

「同じ土俵にあがったら負け」理論の人には感じ取れる。

私は清い人の心に空き缶を投げつけて汚す奴を許さないが

そいつより自分が優れているとはみじんも思わない。

同じ人間だと思っている。

同じ人間としてお前はそれでいいのかと思うから言いにいく。

 

 

とはいえ私だってそこらへんの通りで喧嘩が起こった時に

「わたしもわたしも同じ土俵だしまぜてええええ!」なんて割ってはいるような

そういう人間なわけでもない。

あくまでも清い川流れる場所に空き缶を捨てるような輩に対して発動する。

その方が私にとって間違っていないという自分に分があると

深層心理で計算しているのかもしれない。

罵声を使うのなら、相手を言い負かすのなら、

はたから見て間違っていない場所で思い切り言おうとしようとする

そう思うと私こそかなり悪趣味な人間なのかもしれない。

世界の重ちゃま

7月のテスト(というより実験でもある)ライブに向けて

スタジオに入ったり練習したり。

世界の重ちゃんは(時と場合で色んな呼び方になってきている)、

いつも良いと思ったことを素直に言葉にしてくれるのがとても嬉しい。

 

メンバー間ってあんまり言葉にしないことも多いけど

「あの曲すごい良い!ここがすごい良い!」みたいにわざわざ言葉にして

言ってくれるって作り手にとってはすごく嬉しい。

ギリギリでうまく歯車がまわってないときも

それを前提としていてくれるのですごく助かる。

 

最初に越谷で共演して、その後飲みに行ってお互いの色んな話をして

はじまりから私はなんとなくだけど

魂が人にあるとするのなら

重田さんの魂はきっと綺麗だろうなと感じていた。

魂が綺麗だろうなと感じる人って、そんなには出会わない。

 

だから一緒に演奏できたらいいなと思った。

シンガーソングライターだからそれぞれの世界と思っていたけど

その思い込みをしょへすんの「重田さんにギター頼もうよ!」という一言で

崩してくれてしょへすんに感謝だ。

 

とにかく私もしょへすんも、

(今までのメンバーもすごく好きだし嫌なことなんてないのは前提として)

一緒に音楽をやるのは人が良いと感じられるのが本当に大事だよね、

という話をよくしている。経験値、実績、能力第一主義じゃなく。

 

今までの資本主義的競争社会にありがちな

自分の価値になるから使うとか、

ストレスで血反吐吐いても勝ちにいくみたいな

そんな先にある勝利って実はすごく貧しくて虚しい場所なんじゃないかって思う。

そろそろ社会に生きる人もそういう事に気がついていって

自分にフィットした、本当に自分が求める将来像とは?自分の役割とは?

みたいなものにシフトしている人も増えているような気もする。

 

なので我々も、戦争みたいな勝つだ負けるだの

競争社会的ありかたではないありかたで結果を出す

その一例みたいになれたらいいなと思う。

 

経験値や実績や能力ではないとは言ったけれど

とはいえ世界の重ちゃまは我々よりギターが上手なのだけど。笑

 

昨日久しぶりにひろの夢を見て、

天国のひろもきっと重ちゃまがギターに入って喜んでいるよねって思った。

見守っていてね。

ひろが羨ましくなるくらいのシギの世界を作らなきゃね。

 

そんなこんなで7月に初めてライブハウスで音を出し合う我々!

今からドキドキワクワクだ。

そして近々、もうひとりチームシギに助太刀してくれる方が…います!

君はおさえられない

スタジオの近くにサンマルクカフェがある。

この間、待ち時間があったので寄ると

わりと広めの席の3割くらいが埋まっている感じだった。

 

静かな空間の中でパソコンを広げて作業をしていると

いきなり机を思い切り何かで叩いたような音が響き渡る。

「なんじゃなんじゃ!?」と思い音がする方を見ると

大人の腰くらいはある縦長で大きなリュックと

ボストンバックを置いた青年がゲームをしていて

そのゲーム機を叩きつけた音だった。

 

そして青年は叩きつけた勢いで舌打ちをして

思い切り振り返って外に出ていこうとした。

すると私の座っていた席の反対側の椅子に青年の体が当たり

その椅子が私の机にぶつかり飲んでいた紅茶が大きく揺れた。

青年はそのまま出て行った。

 

そこから数分して戻ってくると、またゲーム機を手にした。

その後は舌打ちしたり叩きつけたりの繰り返しだった。

 

こいつやべえ奴だと身の危険を感じた人は

早々に怪訝な顔をしながら席を立った。

 

私を含めた数人の「おもしれー奴」勢はそのまま座っていた。

 

感情を抑えづらい特性も存在するから

そういう特性を持っている人なのか

それとも単純にイライラしまくっているのか

なぜそんな大きな荷物を2つ持っているのか

色々なイメージが浮かぶ人だった。

 

私はこういう感情を抑えられない人が嫌いじゃない。

(身近には絶対に置いておきたくないが)

むしろ興味深い。

社会的な仮面を被れる人間だったらしない行為を

生身のようなヒリヒリとした感情が剥き出しにされた時に

社会性を持った人たちがピンと張り詰めた空気感を出すのが面白いし

その空気感を出しながらもその場に居続けるのも良いし

その場に居続けることで異様な存在感を放つ人も

この社会の中に結局は抱かれているのだ、と感じると

なんとも言えないがなんだか良い気分になる。

多様性ってこういうことだよね、

異質な存在がいてもいいってこういうことなんだろうなと思う。

その反面、私を含む異質ではない存在たちは

誰にも迷惑はかけていないが

なんだか能面のような居ても居なくても記憶に残らない存在のようにも感じる。

 

このデコボコしている、うまく収まらないような空間が嫌いではない。

私が喫茶店が好きな、それもどこにでもあるチェーン店の喫茶店が好きなのは

こういう理由もあるかもしれない。

社会の枠組みからはみ出た存在と、それをスルーしようか受け止めようか

去ろうか迷う人の存在を見て体感することができる。

人間色々あって、それがいいっていうのは、こういう場面に表れると思う。

 

青年は怒りに任せてゲーム機を叩きつける。

良いな。壊れもせず、君が持っているのはなんて頑丈な機械だ。

すごいな、日本の技術というものかねこれは。

君は、そのゲームを作り出した人たちの世界観に没頭し、

そして踊らされているが、楽しんでいる。

怒りがわくほどに、楽しんでいる。

良い空間だった。

超えてゆけ。

久しぶりすぎるブログになった。

とにかく最近は制作とライブに向けて練習や体を整えたりしている。

Xにも載せたけど最近好きな昼食。

キーマカレーにオクラを混ぜて、右側はほうれん草とブロッコリー。

栄養たんまりご飯。

 

カロリーコントロールを最近は少し気にしてやってて

何もしない時は1,400kcal

動く時は1,500-1,800内で生きている。

 

この間筋トレした後に料理してたら

めちゃ気持ち悪くなって立ってられんかった。

吐きたかったけど横になったら治った。

筋トレ有識者に聞くとそういう事はままあるそう。

こういう経験を踏んでいくんだな!と思った。

これもまた経験。

 

静かで地味な日々なんだけれど

こういう日々にどういう生き方をしていたかが

後々大きな意味を持つことになるのはわかっている。

 

ずっとやりたかったことをやりなさい

みたいなタイトルの本があったけれど

ずっとやりたかったことの一つをしている。

でもそのやりたかったことをやる手前の準備というのは

めちゃくちゃ静かで地味な日々なんだなと実感する。

これを一個ずつレンガを積み上げるみたいにしていくと

またステージが変わっていくんだと思うけど

この騒がしくない日々こそがやりたかったことにおいて

大切な時間なんだなと思う。

 

今の地味な日々に関わる人間なんてほとんどいないんだけど

そんな中でちょこっとでも関わる人たちを想ってみると

心の綺麗さや逞しさをもった人たちだなあと思って幸せになる。

この幸せを深呼吸みたいにぐーっと吸い込んで体に充満させる。

 

自分が作っていくもの、出していくもの、体を使っていくもの

ひとりじゃできないもの

ひとりでやるべきもの

試行錯誤しながら一歩一歩。

 

超えていけ、過去の自分を。

超えていけ、限界だと思い込む心を。

保護中: 君は絶望のなかで戦士になるvol6

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第1回シ組ハイキング部終了!

記念すべき第一回は埼玉県の飯能の山!!!!

なんとシ組メンバーの中に飯能にお住まいかつ

山登り歴のある方がいらっしゃって…!!!

パッション道場でもゲスト出演してもらったるりさんといい

なんとも心強いメンバーでハイキングが出来ました。

出発前。どうなるか!ドキドキ

 

まず天覧山の山頂まで行きました。

山頂までは駐車場から歩いて20分もかからないくらいの距離。

日曜日なこともあり

家族連れや仕事で来てるのか学者さんみたいな方達とか

わんちゃん連れなど色んな方がいらっしゃいました。

次に多峰主山の山頂へ。

ここでお弁当を食べられる!?と思いきや

まだ道のりがあった…

緑の中を歩いてるときくらげ透明verみたいなのが

残念ながら私の好きなカナヘビちゃんには出会えず…

前日が雨だったからか

結構ぬかるんだ泥っぽい道もあり

鎖を掴んで上り下りするような場面もあり

用意してもらった杖的なやつが大活躍でした。

河原に着くと川のせせらぎを聞きながら

コーヒーを淹れて飲むという贅沢体験をしました。

自然で食べるご飯はなんでも美味しい!!

焚き火をしてる人がいたり釣り人がいたり

みんなそれぞれの楽しみをしてました。

そんなこんなで無事ゴール!!!!

誰も怪我や体調不良も出ずに終われて良かった…

この日は1日で13,000歩、

階段でいうと53階分昇ったらしくて

めちゃくちゃ良い運動になりました。

 

るりさんをはじめ

経験者の方のサポートがあっての無事ゴールだったと思います!

第二回も少しずつ成長して良い時間を作っていきたいです!

 


そんなシ組へのご加入はこちらから↓

https://shigi.thebase.in/items/24701295