最近の所感

今日は双子座で満月なので今の自分の思いを長くなるがつらつら書いていきたい。
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音楽を何も考えず始めさして深く考えず作曲しさして考えずライブを重ねた。

これでは退化するばかりではないのか?と思った数年。

「これは自分がやりたい事ではない、でも何をすれば良いのか」

みたいな思いが常につきまとった居心地の悪い時間だった。
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みんながよくやるようなライブの形式に疑問をもち、

では自分が思うライブをひとつの作品として作るなら?を考え、

その実践と修正が出来た2025。

その場をくれた佐藤さんと宮田丸とライブハウスの方とお客さんには深く胸熱感謝。
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年を重ねてから良い意味で自分らしさを受け入れられるようになった。

楽観的ゆえ実はめちゃくちゃポジティブな私は、

シリアスなシギのあり方にはもうずっと違和感があったのが素直な所。

底抜けに明るい哲学者がわりと多いように、

余裕があるから人の世の闇や葛藤が歌えると解釈していたが、

その裏の裏みたいなやり方は、正直もう飽きてしまった。
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子供の頃は普通の人が見たがらない闇を

うんこ投げるみたいにぶつけるように歌い上げるのが気持ちよかった。

今思うと自分の鬱屈の憂さ晴らしを大声で歌える事は

自分のケアのために大切だった。しかし次第にそこと距離が出来た。
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世の中ままならないよね、みたいな感じの人が私の周りには多かった。

私はそれがつまらなかった。

私の恩師達は、こう生きろ!!!おらあ!!!みたいな熱さがあった。

でも身近にいる人達は、全開の力を出す前に諦めるように見えた。

私はそれがつまらなかった。

人生を圧倒するのではなく、人生に圧倒されている人が多かった。
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私は、悲しくて泣いている時でさえ鏡をみて

「めちゃくちゃ不細工じゃねえか!」と思って吹き出すくらいに楽観だ。

ちょっとおかしいのかもしれない。どん底が長続きしない。

面白い事を見つけてすぐ面白くなってしまう。

年を重ねさらに心に余裕が出来る事で

子供の頃に作ったシリアスなシギと距離が出来るのは当然の事だった。
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西洋占星術をかじり、私が星からどんな地図を渡されたかを知って愕然とした。

「あなたは眩しいくらいの光で人を照らす人。

あなたが眩しすぎて潰れる人もいる。

それでもあなたは世界を強い光で輝かせる役割の人」

本来の自分の楽観性とポジティビティを出せと言われてるようだった。
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それを知っても数年間はうだうだ覚悟が決まらずにいた。

動きたいのに、暖簾に腕押しみたいな気持ちだ。

けれどようやく今は乗り越えられた。
楽観性が強くアホみたいに前向きな自分を音楽に反映させたい、

と決めて作った曲がある。来年、2曲目くらいにリリースされる予定。
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思い切り振り切っていくので苦手な人は本当に嫌いな音楽になると思う。

離れる人もいると思う。

でもそれは今更で、活動してるかもわからないような私に

ついてきてくれる方がいる事がありがたい。

失うものはない。人員や環境も揃ってない。

音もあまり良くないだろうが、それも承知で今できることをやり抜きたい。
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私が決心出来たのは、ひろ、める、知人が自ら命を絶ったりした出来事を前に、

自分は自分の命を本心で使えているだろうか、

これじゃないと言いながら、いつまで踏み出さない気なんだ。

そういうどうしようもない想いが積み重なった結果だと思う。

それでも曲にするのには随分かかった。

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シギは何をしているんだと思っていた人も少なくないと思う。

けれど私は、これでいいのかと思いながら今までやってきた事を

気持ち半分で続ける事は出来なかった。

何年かかっても、これが自分なのだ!と

心から爆発出来る部分を掴みたかった。

そうでなければ、自分に嘘をつく事になるから。
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自分がもつ楽観性やポジティビティを他人に合わせ加減してきたので

居心地も少し悪かったが目の前の人に向けようとせずに(相手が疲れるから)

音楽でやればいいんだ!とも思った。

そうする事で「君の言ってることがすごくわかるぞ!!!」と

言ってくれる私のような人達にたくさん出会えるかもしれない。
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どうせ生きていくなら、こう生きよう!と決めた自分をやり抜いてみたい。

飽きるまで。

私は楽しい事が好きで、希望を感じられることが好きで、

人の笑顔を見るのが大好きだから、

ゆくゆくは私の歌でみんなの笑顔が見られたら嬉しい。
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でも不思議と、色々なことを考えて感じて生きてきた私だから、

私の声質だからか、明るければ明るいほど、

前向きであればあるほど、なんだか泣けるんだよね。

中身のない楽観じゃなくて、

色々あった上で選んだ楽観だからなのかもしれない。

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今日その2曲目にリリース予定の曲を初めて大声で歌って、

ああやっと自分はここに来た…と感慨深い気持ちになれて、

語ってしまったよね。

そんな訳で、俺は俺を生きている最中なので、

新しい曲たちが出来た時は聴いてもらえたら嬉しい。

自分についての解像度をあげる

多くの人は悪い人間になりたくない。

だから嫌いなものでもなるべく角が立たないようにする。

コミュニケーション上の礼儀としてはそれが正しいように思う。

 

けれど自分の心の中で良い人のフィルターをかけていると

どんどん自分という人間の解像度がぼやける。

自分は明確に何が好きで、明確に何が嫌いなのかがわからなくなってくる。

だからどうでもいいものを置いておく。

好きでもない人と無理して笑って付き合い

好きでもない誘いに無理してのったり

 

自分はお気に入りの料理の何が好きで、

嫌いな食べ物の何が嫌いなのか。

好きな音楽の何が好きで、嫌いな音楽の…映画の、他人の、小説の…などなど

良い人の仮面をつけて生きていると

どんどん自分とはどういう人間かの解像度が下がる。

 

その結果が「自分がよくわからない」になる。

 

私はといえば

長い時間がかかったが

この部分の自分らしさを突き抜けてやっていこうと決めて制作をし始めてから

どんどん苦手だったものがはっきり嫌いなのだと感じるようになった。

「あの知人は私のことが苦手なんだろうな」と思う知人については、

私がそもそもそいつの言動が好きじゃないんだと腑に落ちた。

 

少し前に話題になっていたコラムを見ても全然共感できなかった。

「ほどほどに過ごす」「生きるとは何かみたいなそんなむずい事はめんどい」

「別れた彼女を今も未練がましく思っている俺…」

よくあるこういう類の言葉や作品は総じて嫌いなのだと思った。

前から薄々気づいてはいたが、苦手というより嫌いなのだと明確にした。

 

自分はほどほどよりも振り切りたいし、

生きるとは何かみたいなその著者が言うところの

”めんどい事”を考え続けている人に刺激を受けてきたし、

それを考えない奴は人間として大人としてどうなのかとさえ思う。

別れた彼女を今も未練がましく思う前にお前は他に何かやる事があるだろうがよ、と

ツッコミたくなる。

 

これは自分が望んでいる空気感や美学と

相容れないから好きではないのだと知る。

それでいいのだ。

私がすることを良しとしない人間が当たり前にいるように

自分も良しとしないものが当たり前にある。

 

良しとしないものに直接「俺!お前を!良しとしない!」とは言わない。

それは私の礼儀に反する。

そういう無礼者はしょうもない。

私がどんなに良くないと思っても、

そこには何かの背景や想いがあるのだろうから。

それと私の美学とが違うだけ。

それらを受け入れ、さらに自分の気持ちを明確にしていく。

 

そうすると自分が見ている世界の解像度があがっていく。

自分とはどういう人間なのかの手触りがしっかりする。

近視で乱視の裸眼からコンタクトをつけた時のように

世界はクリアに、綺麗になっていく。

 

見えるものがクリアになると、

いらないものも目につくようになる。

私のように明確にし始めのうちは、

気に入らないものがよく見えてくる。

「なんであいつはあれするんかね!!」

「なんでそんなこと言うんかね!!!」

いにしえの小姑のように心の中で突っ込むのも楽しい。

 

しかしだんだんそんな遊びにも一区切りつけて

自分がありたい空気感や

世界を揃えていく段階に入っていくんだろう。

 

自分が自分を明確にし主張するごとに

合わないものは自然と遠ざかっていき

合うものは近づいてきて共鳴し合い

合うものと合わないものは別々の世界線を生きるようになる。

 

フィルターバブルといわれる世界は

こういう所にも顕著に表れてくるのかもしれない。