君はおさえられない

スタジオの近くにサンマルクカフェがある。

この間、待ち時間があったので寄ると

わりと広めの席の3割くらいが埋まっている感じだった。

 

静かな空間の中でパソコンを広げて作業をしていると

いきなり机を思い切り何かで叩いたような音が響き渡る。

「なんじゃなんじゃ!?」と思い音がする方を見ると

大人の腰くらいはある縦長で大きなリュックと

ボストンバックを置いた青年がゲームをしていて

そのゲーム機を叩きつけた音だった。

 

そして青年は叩きつけた勢いで舌打ちをして

思い切り振り返って外に出ていこうとした。

すると私の座っていた席の反対側の椅子に青年の体が当たり

その椅子が私の机にぶつかり飲んでいた紅茶が大きく揺れた。

青年はそのまま出て行った。

 

そこから数分して戻ってくると、またゲーム機を手にした。

その後は舌打ちしたり叩きつけたりの繰り返しだった。

 

こいつやべえ奴だと身の危険を感じた人は

早々に怪訝な顔をしながら席を立った。

 

私を含めた数人の「おもしれー奴」勢はそのまま座っていた。

 

感情を抑えづらい特性も存在するから

そういう特性を持っている人なのか

それとも単純にイライラしまくっているのか

なぜそんな大きな荷物を2つ持っているのか

色々なイメージが浮かぶ人だった。

 

私はこういう感情を抑えられない人が嫌いじゃない。

(身近には絶対に置いておきたくないが)

むしろ興味深い。

社会的な仮面を被れる人間だったらしない行為を

生身のようなヒリヒリとした感情が剥き出しにされた時に

社会性を持った人たちがピンと張り詰めた空気感を出すのが面白いし

その空気感を出しながらもその場に居続けるのも良いし

その場に居続けることで異様な存在感を放つ人も

この社会の中に結局は抱かれているのだ、と感じると

なんとも言えないがなんだか良い気分になる。

多様性ってこういうことだよね、

異質な存在がいてもいいってこういうことなんだろうなと思う。

その反面、私を含む異質ではない存在たちは

誰にも迷惑はかけていないが

なんだか能面のような居ても居なくても記憶に残らない存在のようにも感じる。

 

このデコボコしている、うまく収まらないような空間が嫌いではない。

私が喫茶店が好きな、それもどこにでもあるチェーン店の喫茶店が好きなのは

こういう理由もあるかもしれない。

社会の枠組みからはみ出た存在と、それをスルーしようか受け止めようか

去ろうか迷う人の存在を見て体感することができる。

人間色々あって、それがいいっていうのは、こういう場面に表れると思う。

 

青年は怒りに任せてゲーム機を叩きつける。

良いな。壊れもせず、君が持っているのはなんて頑丈な機械だ。

すごいな、日本の技術というものかねこれは。

君は、そのゲームを作り出した人たちの世界観に没頭し、

そして踊らされているが、楽しんでいる。

怒りがわくほどに、楽しんでいる。

良い空間だった。