人生という踊り場でおどれよ。

ニーチェは言った。

「脱皮できない蛇は死ぬ。」

 

いや俺蛇じゃねーし…

 

と言うツッコミは置いておいて。

 

「それとこれは別の話」としてしまえばそれで終わり。

 

全く別の事象を(この場合は蛇)自分に当てはめる事

それは新しい企画案とかアイディアやインスピレーション的なものの

強烈な後押しをしてくれる。

 

 

そもそもなぜ成長や進化は良きこととされているのだろうか。

あなたは良きことと思うだろうか。

 

 

私は成長はこの世の真理だと思っている。

例外なく全ての命あるものは成長して命を終わらせる。

どんな長生きのものもそうだ。

 

どんなに変わりたくないと心で思っていても

実際に肉体が成長していく。これを止めることは出来ない。

 

吉田松陰は人の命を春夏秋冬に例えた。

どんな短い命でもその命なりの春夏秋冬があると。

 

春夏秋冬も流れていくものだ。

この世に留まり続けるものなんて存在しないのではないだろうか。

 

それでも今に執着してしまう

過去に執着してしまう人間が多いから

仏教は諸行無常と諭したのではないだろうか。

 

最近中島みゆきの世情をよく思い出す。

「世の中はいつも変わっているから頑固者だけが悲しい思いをする」

これは本当にどの時代でも当てはまる言葉だなぁ。

 

自分がその頑固者の立場になっていないか。

別になっていたって構わないし誰も止めやしないが

頑固者の終着点は頑固者が望んだものになるだろうか。

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何かを強烈に変えるためには

今までの自分の考え方のままではいけない。

別の新しい考え方を

自分にインストールしてその自分として生きる必要がある。

 

それは果たして本当の自分だろうか?と思うこともあったが

本当の自分かどうかなんて曖昧なものは

自分で勝手に決めればいい話で

これが自分なんだ!!!!と思い切ればそれが自分となる。

 

 

生きている限り

望むものをがある方が景色は色鮮やかに見える。

そして出来ればその望みは良心的な心から生まれたものであってほしい。

そうすれば

その望みに到着する手前に絶望や悔しさが起きても

望むものが北極星として存在する限り

その絶望のモノクロでさえも鮮やかに感じられるだろう。

 

望みは変化を強制する。

変化は成長や進化の道へと繋がっている。

そしてそれは年齢とともにいつか終わりを迎える。

それまでそこに向かって輝きを放っていたい。

いくつになっても新しい成長へ向かいたい。

それは真理に身を委ねることのように思う。

真理を受け入れることと同義のような気がする。