地獄と人間でなくなった人間

地獄についての物語を見ていた。

地獄に落ちた人がそれぞれいく場所というので

 

・怒りや争いの心に満ち暴力や言葉で人を傷つけた人がいく地獄

・人の幸福や成功を妬み引きずり落とそうとした人がいく地獄

・異性のことばかり考えた人がいく地獄

 

という地獄の場所紹介が面白かった。

 

自分の過ちを反省し

人間らしい心を取り戻すことが地獄から救われる道だという。

 

「人間らしい」というのをその物語では

見返りを求めずに与える愛としていた。

 

今、私は背筋さんのホラー小説にハマっているのだけど

ホラーに触れていると

やっぱりホラーって生きてる人間の事だよなと思う。

 

「人間らしい」が見返りを求めない愛なのだとするならば、

怖い話に出てくる人の中には

・嫉妬心や執着心で正気を失った人

・恐れで我を見失った人

・怒りに飲み込まれた人

こういう人がわりと出てくる。

 

怨念とかの恨み自体が、

報われなかった苦しみや悲しみへの執着心でもあるし。

 

そういう感情に飲み込まれている人は

もはや人間ではなくなっている

という事なのかもしれない。

そのメタファーとして幽霊や化け物が使われているのかも。

 

私は、超理不尽な目にあったとして

自分が地獄に落ちてもいいから

その理不尽な目にあわせた奴に復讐すると誓う人の生き方は否定しない。

何も深く考えようともせず

浅瀬でぼーっと生きて人を軽んじてバカにしている人間よりは

むしろよっぽど自分にとっての大義があると思う。

 

だけど、それはやっぱりこの世の平和に導くための考えとしては

人間らしさを怒りで失ってしまうとされるのだろう。

そしてその怒りは確実に自分の身を滅ぼすわけで。

怒りに飲み込まれた時点で

半分は鬼のように、人間ではなくなっているのだろう。

 

怒りの力を暗黒的な力に変えるのは、御法度なのだ。

その怒りの内容によっては

あの世で情状酌量の余地が受け渡されるかもしれない。

 

歯を食いしばって血を流しても、

怒りが成仏して負ではなく正の方へ流していかなければ

この世の暗闇を増やすことになってしまうから

許してもらえることではないのだろう。