レストランNがあったとする。
そこの店長が、私の友人Sに加害行為をしたとする。
Sは店長の行為を法律で罰することができず
さらに店長から別の行為で加害され、追い詰められる。
という状況にあったとする。
私はその話を聞いて、とても憤りを感じる。
私が尊敬しているOがいるとする。
OがレストランNに毎年記念日に行っていた事を偶然知ってしまう。
そして店長とも仲が良いということを知ってしまう。
私は基本的に人間は自由意思で好きなところへ行き
好きに人と関わればいいと思っていて
束縛も干渉も大嫌いなのだけれど
そんな「好きにすればいいじゃん」の私が
尊敬するOと加害をしていた店長と繋がりがあった事に
自分でも意外なくらい動揺した。
この気持ちはなんだろう。
だからといって、Oにその店に行かないでほしいとか
その店長がどんなひどい奴かなどを話すことはしない。
そんな権利は当事者でもない私にはない。
それはOの自由だ。Oが悪いわけでもない。
なのになぜかショックを受けた自分がいた。
そんな自分の感情が意外だった。
友人をそこまで大切に思っていたのだろうか。
それとも自分の中で悪だと認識している場所と
私にとって光の存在である人が繋がっていたことへの驚きだろうか。
明確にこれだという答えが言語化できないけれど
それでもこれは自分の中に確かに芽生えた感情なので
なかった事にはせずに受け止めようと思う。
行き場のない感情なので気持ちが悪い感覚がするけれど
人間関係の集団で生きている生き物なんだ。
こんな気持ちになることもあるだろうな、という気持ちだ。
本音に一番近いのはなんだろう。
友人や店長に向けた気持ちではない。
自分はOに裸の心ならこう伝えたい。
お前知っているだろ!知らないなんてことないだろ!
そこの店の悪い噂を知っているだろ!
知っていて知らぬふりをして関わるのか!
自分が聖人君主ではないからか!?
私も聖人君主ではないが
あんなくそみたいな奴となぜ関わる。
君はまっすぐ見つめられるのか。
澱みなく答えられるのか。
私は無理だ。
ちんけな欲望で他人を消耗させ搾取し傷つける
そんな弱く卑劣な人間と関わり続けるなんて無理だ。
君は好きだが、君のその行為を肯定できない。
君は君で好きに生きるのがよい。それでしかない。
君は好きだが、君のその選択は受け入れたくない。
ただ私も、一時期炎上していた人と繋がりがあって
個人的にその人に大変お世話になっていたから
自分がどのような立場でいればいいのか困惑した事があった。
だから、わからなくもない。
簡単に割り切ることばかりが存在しているわけではない。